『ピンチの王女を救うのは、白衣カーテシーの東国美少女医師!?』
「……ふうぅぅっ!!」
ナイチンゲールの姿が見えなくなった瞬間、アリスはせきを切ったように激しく息を吐き出し、その場にへたり込みそうになった。
「な、何よあのご婦人……! 私のことを『王女殿下』とも『アリス』とも、一度も呼ばなかったくせに……!」
冷や汗を拭いながら、アリスはナイチンゲールから渡された『カルテと証言の書類』をきつく抱きしめた。
『お母君』に『お父様』、そして『お兄様』。
口にされたのは、どれもアリスの家族のことばかり。
アリスの身内がグレート・ブリテンの頂点に立つ王室であるという事実を、これでもかと突きつけられたのだ。
「あえて身分を呼ばないことで、ただの『出来の悪い新米ナース』としてお説教する形を保つなんて……。大人の意地悪って、本当に逃げ道がないんだから!」
完璧に変装してお忍びのつもりだったのに、これでは形無しだ。
とにかく、この場を離れてリデル(アーちゃん)の元へ戻らなければならない。そう思った、その時だった。
「――おやおや。そこで小さくなっていらっしゃるのは、我が使節団が最大の敬意を払うべき盟主――偉大なる大英帝国の愛らしい第三王女殿下ではありませんか?」」
ふいに、廊下の陰から鈴を転がすような、しかしどこか冷静で理知的な少女の声が掛けられた。
驚いてアリスが振り返ると、そこにいたのは見慣れない東洋の意匠を取り入れた、仕立ての良い白い衣服――白衣をまとった物静かな白髪の美少女だった。
ハッと息を呑むほどに、真っ白な髪。その白い髪を三つ編みにし、後ろで綺麗にシニヨン(お団子)に纏めている。磨かれた大理石のように透き通った白い肌。そして、白衣の襟元から覗くその顔には、まるで上質なルビーを嵌め込んだかのような、妖しくも美しい一対の『赤い瞳』が輝いていた。
アリスがまばたきをする間に、その少女はすっと白衣の裾を両手で上品に摘まみ、片足を斜め後ろに引いて、流れるような美しい動作で頭を下げた。
英国王室に捧げる、完璧なカーテシー(お辞儀)だった。
「私は稲葉白。東国からの使節団に随行している医師です。……どうやら、面白い書類をお持ちのようですね、アリス王女殿下?」
アリスの頭ひとつ分ほど背が低い、ちんまりとした合法ロリ体型。一見すると迷子のお子様のようにも見える。だが、その赤い瞳に宿る知性は底知れず、大英帝国の王女を前にしても微塵も物怖じしていない。
「だ、誰!? あなた、ロンドン警視庁の人間じゃないわね? っていうか、なぜ私の正体を知っているの!?」
お忍びの外套を思わずきつく抱きしめるアリスに、白はクスリと、どこか悪戯っぽく微笑んだ。
「我が国の遣欧使節団の一員として参加し、この国に到着するや、真っ先に謁見を預かりまして。お美しいドレス姿の殿下を、私はしっかりとお見かけしております。――もしかして、覚えておられない?」
「う、うぐっ……ご、ごめんなさい! ほら、私、あの手の退屈な儀式って、いつも眠くなっちゃって……」
アリスが顔を真っ赤にして両手を振って弁明すると、白は楽しそうに目を細めた。
「ふふ、冗談です。公式の席では、私のような末席の医師など視界に入らなくて当然ですから。……ですが、お忙しくいらっしゃる、栄えある大英帝国の王女殿下が、わざわざ『下層労働者である被害者へのお見舞い』とは実に慈悲深いことで」
白はそこで一度言葉を区切ると、ルビーのような赤い瞳を妖しく細め、悪戯っぽく小首を傾げた。
「――まさか、他意があるわけでは、ないですよねぇ?」
「うぐっ……! よ、用があるに決まっているわ! 私は女王陛下の特務機関の名探偵アリスよ! ――それと、お忍び中だから『アリス』って呼びなさいな!」
核心を突かれて慌てたアリスは、隠すつもりだったはずの秘密を、フンスと胸を張って自ら大真面目にバラしてしまうのだった。
「……名探偵、ですか」
白は一瞬きょとんとした後、口元を片手で覆ってクスクスと楽しそうに肩を揺らした。その切れ長の瞳が、いたずらっぽく細められる。
「ああ……。もしかして、最近ロンドンの巷で流行っている、あの推理小説に感化されちゃってるんですね?」
「な、なによ! 悪い!? 私の直感は、ヤードの無能どもよりよっぽど冴えてるんだから!」
顔を真っ赤にしてぷんぷんと怒るアリスに、白は「失礼しました」と白衣の裾を揺らして微笑む。
「ですが、そのお転婆な直感、あながち間違いでもないかもしれませんよ?」
「え? どういうこと?」
アリスが首を傾げると、白はアリスが大事そうに抱えていた書類を、指先でトントンと軽く叩いた。
「自分で言うのもなんですが、これでも東国ではそれなりに医術を修めて参りました。……その、あのご婦人――ナイチンゲール代表が夜通し集めたという『カルテと証言の書類』、私にも見せていただけますか? 『名探偵』のパズルのピース、私がお医者様の目で見つけて差し上げられるかもしれません」
アリスから手渡されたカルテの束を受け取ると、白の目はクスクスと笑っていたものから、完全に『プロの医師』のそれへと切り替わった。
大きな窓から差し込む5月のまばゆい日差しに、その赤い瞳を少し眩しそうに細めながら、書かれた英語の医学データを恐るべき速度で凝視していく。やがて、ある1枚のページに達したとき、白の美しい指先がピタリと止まった。
「……なるほど。ふむ、やはりおかしいですね」
「何なに? 何か、わかったの!?」
白はカルテの記述を指でなぞりながら、声音を一段と低くした。
「ロンドン警視庁は、同胞の夏目殿を『現場で自爆テロを企てた犯人』としてスピード逮捕したそうですが……この3人目の身元不明の遺体、肺に煙の煤が一切入っていません。つまり、彼は爆発が起きる『前』に、すでに呼吸を止めていた(殺されていた)ということです」
「えっ……!? 殺されていたって、じゃあ……」
「ええ。あらかじめ別の場所で殺しておいた死体を現場に遺棄し、爆破によってテロの被害者に見せかけようとした、真犯人の『偽装工作』です。夏目殿はただ、その陰謀に利用され、罠にハメられただけに過ぎません」
「そうすると、これはただの事故なんかじゃなく、事件だっていう私の直観は、正しかったってことになるのね!?」
事件だと判断したのは、ここにいるアリスではなく、アジトで待機中のアリス(リデル)だったのだが、ここにそれをツッコむ者はいない。
「ふむ。だとすると、この事件、さらに危険なものになるかもしれませんね」
白は、顎に手を当てて思案する。
「――事件だと、なにかマズいの?」
「ええ。真犯人、または犯人の息のかかった者が、関係者を口封じにくる可能性が高いでしょうね」
カチャリ、と白は白衣のポケットから上質な銀の懐中時計を取り出し、パカッと蓋を開いた。ルビーのような赤い瞳で文字盤を厳格に睨み、次のスケジュールを確認する。
「殿下。これでも私は国賓としてこの病院の設備を借りている身です。……そうと分かれば、大英帝国の愛らしい王女殿下を、このままお一人で放り出すわけにはいきませんね。もしここで殿下の身に何かあれば、我が国の使節団の立場も危うくなりますから」
白は時計をポケットに仕舞うと、楽しげに小首を傾げた。
「もしよろしければ、『我が国の使節団が、ロンドン現地でお雇いした臨時の見習い助手』ということにして、しばらくここに潜り込みますか? 近くで患者たちの様子を見守るには、それが一番安全です」
ここで登場するのは、まさかの日本人!?
遣欧使節団の一人、という設定です。
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