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『聖トーマス病院潜入ミッション!――と、伝説の女傑による恐怖のお説教』

 ヴォーパル・バニーの拠点を出たアリスは、聖トーマス病院に向かう。

 同じランベス区内にある為、移動にはさほど掛からない。


「お見舞いを装うなら、お花を持っていったほうがいいかもしれませんね」


 ミス・マーチの提案したので、彼女に付き添ってもらって花を買っていった。

 彼女はおどおどしているようで、そういう気配りができる女性だ。


 テムズ川に沿って北上すると、やがて聖トーマス病院の建物が見えてくる。ロンドンでも最も古からある病院だけあって、規模はとても大きい。


 対岸には、昨年完成したばかりの国会議事堂の時計塔が見える。

 キラキラと金色に輝く時計塔の威容は《太陽の沈まない国》グレート・ブリテンの誇りを体現しているようにも見える。


 そして、その国会議事堂に負けず劣らずの規模を、聖トーマス病院は持っているのだ。


 中に付いて行きますか?と不安げに聞いてくるミス・マーチを制する。彼女には彼女の役割がある。アリスに付いて回る必要はないのだ。


 花のアドバイスのお礼を言って別れ、アバーライン刑事の目を誤魔化した例の外套(マント)をしっかりと羽織り直して、病院のエントランスへと足を運ぶ。


 中は広くまた人も多い。

 迷子になるのでは、という不安もあるが、むしろこれだけ広い病院を探険できる好奇心に胸を膨らませる。

 入り口で見舞いに来たことを伝えると、ナイチンゲール看護学校のほうだと伝えられる。


 事件の被害者達が下層の労働者だったこともあってか、聖トーマス病院の正式な患者として認められず、苦肉の策としてナイチンゲールが研修の一環として運び入れたのかも知れない。



 案内係の後ろに付いていく。


 しばらくすると、病棟の雰囲気がガラッと変わったことに気づく。

 白を基調とした壁に、天井まで届きそうな大きな窓が続き、そこから差し込む光が病院内を照らし、明るく清潔な雰囲気を醸す。


 アリスが今まで病院というものに抱いていた暗く不潔なイメージは、すっかり塗り替えられる思いがした。


「――おや。お見舞いですか。殊勝な心掛けですね」


 物珍しそうにキョロキョロしながら案内係に付いて歩いていると、ふいに声を掛けられる。


 見れば、ナイチンゲールその人だった。

 両手には沢山の資料を抱えている。患者達のカルテだろうか。


「それとも、事故の被害者達に、何か訊きたいことでもありましたか?」


 いきなり核心を突いてくる。やはりこの人は侮れない。


「え、えっとぉ……」


 返事に窮し、しどろもどろになるアリス。

 そんなアリスに、ナイチンゲールは手にした書類の中から一つを取る。


「なんとなく、貴女がまた来そうな気はしていましたよ。だから、手を煩わせないように私のほうで訊きたいであろうことは確認しておきました」

 

 書類には、被害者の人数と死傷者の怪我の状況、また簡単な略歴に事故当時の証言が書かれている。


「下手な訊き方は、患者の負担にもなりますからね。本来なら有無を言わさず追い払うところですが、どうせ警察が取り調べにも来るでしょうし、そちらの対応で面倒事になるぐらいなら、私が纏めてしまえば患者に会わせる必要もなくなります」


 この人数を一人で確認するのはきっと一筋縄ではいかなかったに違いない。

 特に、見舞いを装っただけの外部の人間であるアリスでは、到底不可能だっただろう。


 それにしても、昨日の今日でよくここまで調べあげたものだ。


 寝る暇があったのだろうか。

「――夜、見廻りの時。眠れない患者を宥めながら話を聞きましたからね」


 しれっとそんなことを言う。

 夜は見廻りで、昼間もこうして働いているとすると、この人はいったいいつ、寝ているのだろう。

「健康な人間は、少しぐらい寝なくても死にませんよ」


 それだって限度はあろう。

 この人は人間を超越してしまっているのではないか。


 アリスは改めて、ナイチンゲールという英傑に感服するのだった。



「――ところで、お母君はご健勝でいらっしゃいます?」


 ふいに、そんな言葉が投げ掛けられ、アリスの顔が凍りつく。 

 この人はいったい、どこまで知っているのだろう。


「お父様は、お気の毒でしたね」


――ああ。


 《クリミアの天使》《ランプの貴婦人》などと華やかな二つ名で呼ばれるナイチンゲールに、もう一つある剣呑な二つ名の由来を垣間見た気がした。

 

 軍人相手でも怯まず自分の主張を通し、看護の立場を貫いた女傑。

 そんな彼女に畏怖と揶揄を込めて、彼女はこう呼ばれるのだった。


――《小陸軍省殿》。


 そう呼ばれる彼女が、アリスの身の上を調べてもおかしくはないのだ。


「ともあれ、あまり火遊びはよろしくありませんよ。お兄様のこともありますし」


 さらにナイチンゲールの舌鋒が続く。

 笑顔で誤魔化そうとするが、顔が凍りついて上手く笑えない。下手くそな愛想笑いになるだけだ。

 そんなアリスを見て、ナイチンゲールは少し頬を緩ませる。


「貴女さえよければ、私の看護学校においでなさい。貴女なら、素養がありそうな気がします。これは、私の勘ですけどね。――それでは、私はこれで失礼しますね」


 そういうと、ナイチンゲールは颯爽と去っていく。

 アリスは蛇に睨まれた蛙のような心地だった。

 再び登場したナイチンゲール!

 アリスの正体があっさりとバレているようですね!

 いったい、何女なんだ……。


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