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『ワンダーランドは大炎上!?――ビッグベンが見守る逃走劇!』

 ――ガシャァァァンッ!!!


 マーチ・ヘアの悲鳴がアジトに響いた直後、煉瓦の壁に嵌められたガラス窓が激しく叩き割られた。

 煤煙の這うロンドンの裏路地から投げ込まれたのは、即席の火炎瓶だ。


 炎が床を舐める不気味な明かりの中、割れた窓の向こうから、鉄パイプや棍棒を手にした煤まみれの男たち――思想に脳を焼かれたコックニーの暴徒たちが、ニヤニヤと下劣な笑みを浮かべてアジトへと雪崩れ込んでくる。


「見つけたぞ、ウサギの巣穴だ!」


「王女を捕まえろ! 資本家どもが飼い慣らした白兎(ペット)め!」


「もうっ、不法侵入の上に私の秘密基地(ワンダーランド)を汚すなんて、いい度胸じゃないの……!」


 アリス王女のロイヤルブルーの瞳が、怒りで一瞬にして鋭く据わる。ドレスの裾を翻して迎え撃とうとした――その時、ウサギの着ぐるみ姿のピーターが、弾かれたようにアジトの心臓部へと駆け抜けた。


 そここそが、特務機関の通信を支える巨大な黎明期の電気式通信機。


 壁一面に並んだ無数の真空管が、怪しくオレンジ色の光を放っている。

 ピーターは無表情なウサギの被り物のまま、迷うことなく制御レバーを力任せに引き抜き、メイン回路を強引に短絡(ショート)させた。


 ――バチバチバチバチィィィンッッ!!!


 凄まじい高電圧の負荷がかかり、アジトの中に青白い火花が激しく飛び散る。

 過熱した真空管たちが悲鳴を上げるように「ギュゥゥゥン」と異音を響かせ、そのガラス球の内部でフィラメントが太陽のように白熱していく。


 ピーターはガサゴソとスケッチブックをめくり、全員に向けて掲げた。


『過電圧で、全部爆破する。巻き込まれたくなければ、伏せて』


 ピーターの無機質なスケッチブックが掲げられた、まさにその瞬間。


「のじゃあッッッ!!」


 重厚な十二単の裾を乱暴に蹴り上げた松平輝夜が、アジトの中央に据えられていた大無垢材の頑丈な木製テーブルを、信じられない怪力でガバァッ! と力任せにひっくり返した。


――ドゴォン!


 重々しい音を立てて床に固定された厚い木盾の裏側へと、輝夜はアリス王女と白先生の首根っこをまとめて掴んで強引に引きずり込む。


「全員、この陰に隠れるのじゃ! シロ、袖を引っ込めよ!」


「ちょっとピーター! 豪快にアジトを使い捨てすぎでしょーーー!?」


 アリス王女がテーブルの陰から半泣きで叫び、マーチ・ヘアがシルクハットを抱えて頭を伏せた、次の瞬間だった。


 ――ドガァァァァンッッ!!!


 破裂音と共に、並んだ巨大真空管たちが一斉に大爆発を起こした。


 ひっくり返したテーブルの表面に「バラバラバラッ!」と無数のガラス破片や千切れた導線が激しく突き刺さり、漏れ出した電気の火花がアジト内の紙資料や火炎瓶の油に引火していく。

 一瞬にして猛烈な爆炎と黒煙が部屋中を包み込んでいった。


 真空管通信機の壮絶な過熱自爆がアジトを木っ端微塵に吹き飛ばし、ランベスの裏路地へ猛烈な爆炎と黒煙が噴き出した。

 大混乱に陥る暴徒たちの隙を突き、ひっくり返した大無垢材のテーブルを蹴り飛ばして飛び出したのは、煤煙の幕を切り裂く美しきじゃじゃ馬たちだった。


「最短のランベス橋には、すでにガルの手下どもが陣取っているはずじゃ! 北のウェストミンスター橋へ回るのじゃ!」


 重厚な十二単の裾を優雅に、かつ猛然と翻しながら、松平輝夜が先頭をきって夜のロンドンを疾走する。その華奢な肩には、身の丈を遥かに超える無骨な大鉄塊――名槍《御手杵》がギラリとガス灯の光を反射していた。


「白、王女殿下、そして皆の者よ。遅れるでないぞ」


「誰に向かって言ってるのよ! 私のこのロイヤルブルーのドレス、走るようには設計されてないんだからね!」


「アーちゃん、文句を言ってる場合じゃないんですぅ! 後ろから煤まみれの変なおじさんたちが、いっぱい追いかけてくるんですぅ!」


 マニッシュな正装の黒シルクハットを必死に手で押さえ、長いウサギ耳を伏せたマーチ・ヘアが悲鳴を上げる。

 純白の振袖の袂を帯にきゅっと挟み込み、黒い革の編み上げロングブーツでアスファルトを力強く蹴る稲葉白が、帯留めの銀の懐中時計を片手でチェックした。


「タイムスケジュールに大幅な遅れが生じています! 早く橋を渡りきり、万博会場(サウス・ケンジントン)へ急行しなければ、ガルのショウが始まってしまいます!」


 じゃじゃ馬一行が息を切らせてウェストミンスター橋へと駆け上がった、その瞬間だった。

 行く手を阻むように、ガス灯の逆光のなか、鉄パイプやサーベルを手にした数十人のコックニーの暴徒たちが、不気味な笑い声を上げて橋の向こうから迫り来る。


 背後には、大英帝国の象徴である国会議事堂の時計塔(ビッグベン)が、夜のテムズ川の川面に美しい光の陰影を落としていた。


「へえ、王女様とそのウサギどもが網にかかったぞ! 捕らえてガル卿に差し出せ!」


 せっかくの美しいロンドンの夜景を汚す下劣な怒号に対し、先頭を走る松平輝夜は、満月のように金色の瞳を爛々と輝かせた。

 彼女は一歩も歩みを緩めることなく、担いでいた大槍《御手杵》をその豪腕で一閃させ、空気を切り裂く轟音を響かせる。


「すまぬが、手加減は出来ぬやも知れぬ。――御免ッッッ!」


 ――ズガァァァァンッッ!!!


 それは、人間の華奢な腕から放たれたとは思えない、まるで最新鋭の蒸気機関が炸裂したかのような文字通りの一撃だった。

 名槍が引き起こした凄まじい衝撃波(風圧)だけで、正面から突撃してきた暴徒たちの体が、枯れ葉のようにまとめて夜のテムズ川へと吹き飛ばされ、激しい水しぶきを上げて沈んでいく。


「ひっ、化け物か!?」


「東洋の、奇妙なガウンを着た女戦士だァーッ!」


「ざまぁみろなのよ! 私のワンダーランドに泥を塗った罰よ、そのまま全員テムズ川のウナギの餌になりなさい!!」


 アリス王女はロイヤルブルーの高級ドレスの裾をガバッと豪快にたくし上げ、仮面を完全にかなぐり捨てた生の声(地声)で怒声を張り上げた。お淑やかな王女の面影など微塵もない。


「ピーター、マーチ! 輝夜の開けた穴に突っ込むわよ!」


「 お仕置きの時間なんですぅ!――女王サマとお呼び!ですぅ!」


 マーチ・ヘアが黒のシルクハットをパッと脱ぎ捨てた――その瞬間、彼女の手元でしなやかな『ウィップ(鞭)』がガス灯の光を浴びて鋭く唸りを上げる。


 上品なおめかし姿から繰り出されるのは、容赦のない女王様のごとき(※自主規制)苛烈な鞭の連撃だ。バシィィィンッ! と凄まじい風切り音と共に暴徒たちの顔面や手首が的確に切り裂かれ、ひるんだ隙にロングブーツの鋭い前蹴りがその急所へと深々と叩き込まれる。


「……マーちゃん、後で不敬罪でしょっ引くわね」


「なんでえええええー!? アーちゃんのために、アタシはこんなに実力行使で頑張ってるんですよぅー!」


「タイムスケジュール、さらに三分短縮! このまま一気に橋を渡りきります!」


 ウェストミンスター橋を文字通り『力業』で突破し、じゃじゃ馬一行はテムズ川を渡りきった。


 だが、息を整える間すら、ロンドンの闇は与えてくれない。


「おいおい、ウサギ狩りの時間だって聞いてよぉ、わざわざ『エーカー(あそこ)』から出張ってきたんだぜ?」


 ガス灯の届かない薄暗い路地裏から、次々と不気味な影が這い出してくる。

 鉄パイプを鳴らす浮浪児、肉切り包丁をニヤつかせる大男、銃身を切り詰めた散弾銃(ソウドオフ・ショットガン)を構える無頼漢――。


 橋を渡った先にあるロンドン最悪の無法地帯、《デビルズ・エーカー》の凶悪な住人たちが、コックニーの暴徒たちに扇動されて「おかわり」と言わんばかりに路地を埋め尽くしていった。


 その数、さきほどの倍以上。


「もうっ、次から次へと……! ロンドンの底辺はどれだけクソマッドサイエンティストに脳を焼かれてるのよ!」


 アリス王女が高級ドレスの裾を握り締め、忌々しげに悪態をつく。

 マーチ・ヘアの鞭(ウィップ)が鋭く唸る。


 しかし、相手の数が多すぎる上に飛び道具まで持ち出されては、どれだけ武闘派のじゃじゃ馬たちといえど無傷の突破は不可能に近かった。


「タイムスケジュール、完全に赤信号です! 地上でこれだけの数を相手にしていては、万博会場にたどり着く前にロンドンが火の海になります!」


 純白の振袖の袂を縛り上げた白が、銀の懐中時計を握り締め、悲痛な声を上げる。

 前後を完全に包囲され、絶体絶命の危機が迫ったその時、安楽椅子の疲労からようやく立ち上がったアリス・リデルが、灰緑と紫のオッドアイをギラリと光らせて、アスファルトの道路に掘られた「巨大な穴」を指差した。


「……青いの。地上(スラム)がダメなら、まだ誰もいない『地下』へ逃げ込むさ」


「え……? 地下って、まさか!」


「そう。この下に眠る、開通直前の世界初の地下鉄(アンダーグラウンド)のトンネルさ。まだレールが敷かれたばかりの真っ暗な闇の中だ。ガルの手下どもも、ここまでは追ってこられない」


 リデルの言葉が終わるより早く、ピーターが無表情なウサギの被り物のまま、建設中の掘削溝のバリケードを蹴り破った。

 その向こうには、ロンドンの地下深くへと続く、巨大で不気味な漆黒の縦穴が口を開けている。


「よし、全員ダイブよ! 泥棒猫(ガル)のショウを特等席でぶち壊しにいくわよ!」


 アリス王女の号令と共に、ロイヤルブルーのドレス、絢爛な十二単、ルビーの振袖が、夜のロンドンのアスファルトから漆黒の地下トンネルの闇へと、次々と鮮やかに飛び込んでいった。

 ここまでお読みくださり、ありがとうございます。


  アジト大炎上からの、ウェストミンスター橋での大無双! おめかし最高礼装のドレスや振袖を煤で汚しながら、文字通り『力業』で強行突破していくウサギたちでした。


 さて、今回ウサギたちに「おかわり」の追撃を仕掛けてきた物騒な連中の本拠地、《デビルズ・エーカー(悪魔の1エーカー)》。

 これは創作ではなく、19世紀のロンドンに実在した「当時世界で最も危険で邪悪」と恐れられた伝説の極貧スラム街です。

 なんと、大英帝国の政治の中枢であるウェストミンスター宮殿(ビッグベン)のすぐ目と鼻の先に、その地獄のような無法地帯が広がっていたのです!


 そんな地上の地獄に退路を断たれた一行が、最後に飛び込んだのが、道路に開いた大きな縦穴――《ロンドン地下鉄(アンダーグラウンド)》の建設中のトンネルです。


 第1章をお読みの方はニヤリとされたかもしれませんが、あのユーストン駅付近での崩落事件を引き起こした、世界初の地下鉄道(メトロポリタン鉄道)の線路ですね。

 この万博が行われている1862年という時代は、まさに翌年の正式開通に向けて、ロンドンの地下深くに真っ暗な巨大トンネルとレールが敷き詰められていた、歴史的な過渡期にあたります。


 地上に逃げ場を失い、まだ一般の人間は誰も立ち入ったことのない「闇の地下迷宮」へとダイブしたヴォーパルバニー。


 ここから万博会場(サウス・ケンジントン)の真下を目指して、漆黒の線路を爆走します!


 次回、ついに怪物の待つ特等席へ。


 どうぞお楽しみに! 評価やブクマ、感想などもいただけると大変励みになります!

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