『大英帝国よ、これがジャポニズム!――王女の腹芸を壊さないで!』
「――ハッ、それよりアーちゃん、あっちに、真っ赤に塗ったストーンヘンジみたいなのが見えますよ!」
黒のシルクハットの中に長いウサギ耳をぎゅぎゅっと収めたマーチ・ヘアが、勢いよく前方を指差した。
その視線の先には、サウス・ケンジントンに建てられた水晶宮の一角――鮮やかな朱塗りの大きな鳥居がそびえ立っている。
そここそが、オールコック卿が趣向を凝らした日本セクション。日本の使節団が陣取るブースだった。
だが、その鳥居の向こうは、今まさに息を呑むような静寂に支配されていた。
大勢のイギリス人たちが固唾を呑んで見守る中心、即席の演武台の上で、使節団の剣術指南役の男が、そっと腰の一振りの日本刀の柄に手をかける。
「ふっ――!」
鋭い呼気と共に男の体が踏み込まれた、次の瞬間だった。
――ッターーン!!
爆音めいた衝撃音がガラスの宮殿に響き渡る。抜刀から斬撃、そして納刀まで、文字通り一瞬の出来事。
男が平然と元の姿勢に戻ったときには、据えられていた極太の竹筒が美しい断面を見せながら斜めに滑り落ち、床へと激しく転がっていた。
「Amazingーーーーッ!!」
「なんという早業だ!」
割れんばかりの拍手喝采が沸き起こる演武台の脇で、今日はお祭りに合わせて特別に仕立てられた、華やかな『振袖』姿の小柄な少女――稲葉白が、流暢な英語で居合の文化を生真面目に解説していた。
純白の絹地に彼女のルビーの瞳と同じ色で染められた深紅の椿が咲き誇るその晴れ着は、アルビノの白い髪にこの上なく可憐に映えている。中央の漆黒の帯には、相棒である銀の懐中時計が帯留めとして固定されていた。
白は近づいてきたじゃじゃ馬一行に気づくと、ルビーの瞳を嬉しそうに和ませ、振袖の長い袖をそっと合わせながら、英国風に美しいカーテシーを捧げてみせた。
「おや――王女殿下、そしてリデル殿。万博の会場でお会いできるとは、光栄にございます」
「あ、白! さっきの凄いわね! あれが日本のサムライの技なのね!」
アリス王女がロイヤルブルーのドレスを揺らして目を輝かせると、鳥居の奥から、さらに神々しい威厳を放つ影が現れた。
松平輝夜だ。
今日の彼女は、万博という大祭典に相応しい日本の最高礼装――絢爛豪華な『十二単(五衣唐衣裳)』を身に纏っていた。
夜空をイメージした深い濃紺の唐衣には、竹取の至宝や月兎の意匠が鮮やかに金糸で施され、ガラスの宮殿の光を浴びてきらきらと輝いている。
あまりにも雅びな宮廷装束。
しかし、そんな優美な姫君がその華奢な肩に平然と担いでいるのは、身の丈を遥かに超える無骨な大鉄塊――名槍《御手杵》であった。
「我が国の武芸は、遠国の大英帝国でも大人気なのじゃ!」
満月のように金色の瞳を輝かせ、重厚な十二単の裾を優雅に揺らしながら、輝夜が豪快に笑う。
「おお、アリス様たちもよくぞおいでくださったのじゃ! マーチ殿、演武の後は我がブースが誇る至高の甘味Confeitoを茶と共に楽しむがよいのじゃ!」
「待ってましたんですぅーーーっ!」
マーチ・ヘアがシルクハットの中で長い耳をピコピコと大喜びで震わせる中、アリス王女たちは朱塗りの鳥居の奥に設けられた、即席のお茶席へと案内された。
十二単の袖を優雅に払った輝夜が、手際よく茶筅を振るい、泡立つ鮮やかな緑色の液体――日本の伝統である『抹茶』を、これまた見事な和器に注いで差し出す。
「さあアリス様、リデル殿。我が国が誇る『茶の湯』の神髄、遠慮なく味わうがよいのじゃ!」
「あら、大変結構な趣向ですわ。大英帝国の王女として、異国の文化を拝聴させていただきますわね」
ロイヤルブルーのドレスを上品に整え、完璧な淑女の微笑みを浮かべたアリス王女が、優雅な手つきで器を口元へと運んだ。
そして、一口、コクりと含んだ――その瞬間。
「――っっっ!!!!(にっがーーーーーい!!!!)」
王女の美しい顔が一瞬で引きつった。
完璧な笑顔の仮面の裏でロイヤルブルーの瞳を限界まで見開き、声にならない悲鳴を上げながら、涙目でプルプルと震えだす。
「……日本人は、こんな苦いものを砂糖もミルクもなしによく飲めるね。散々イギリス料理をバカにしてきたのに。アボリジニの投擲武器も真っ青だ」
黒いボンネットの奥から、差し出された『濃緑の苦汁』を口にしたアリス・リデルが、灰緑と紫のオッドアイをひどく遠い目にして、厭世的なため息混じりにのたまう。
「ニシシ! そう言うと思ってな、アリス様、リデル殿! 我が国の茶の湯には、この『苦味』を引き立てるための最強の相棒が存在するのじゃ!」
輝夜は愉快そうに大笑いすると、十二単の懐から、きらきらと光るガラスの器を取り出した。
その中に収められていたのは、まるで夜空の星をそのまま閉じ込めたかのようにカラフルで、トゲトゲした不思議な形の小さな砂糖菓子だった。
「これこそが、我が国の誇る至高の甘味――『Confeito』というものなのじゃ!」
「ハッ……! お、お菓子の星なんですぅ……!」
お菓子の匂いに本能を呼び覚まされたマーチ・ヘアが、黒のシルクハットをぽこぽこと揺らしながら、待ちきれないとばかりにその『星』を一つ、口へと放り込んだ。
「――っ! あ、甘ーーーいんですぅ! カグちゃんのところのお菓子は、噛んだ瞬間にカリッとして、お口の中に優しいお星様が広がるんですぅ!」
あまりの美味しさに、ハットの中でウサギ耳が限界までピンと跳ね、上品に耳を収めていたシルクハットが「ぽこーん!」とコミカルに頭から浮き上がった。
それを見たアリス王女も、ロイヤルブルーのドレスの袖をそっと揺らし、上品な手つきで桃色の金平糖を口へと運ぶ。
その瞬間、先ほどまで彼女の舌を激しく責め立てていた濃緑の苦汁が、嘘のようにまろやかなコクへと反転した。
「誠に素晴らしい味わいですわ。このお茶の深みと、お菓子の雅びな甘みの調和こそ、日出ずる国の美徳の真髄ですのね」
《ふぅ、死ぬかと思ったわ! でもこのトゲトゲ、噛んだ瞬間にカリッとして、あの殺人的な苦汁が一瞬で極上のスイーツに大逆転しちゃうじゃないの! 日本の技術、恐るべしね!》
完璧な王女の微笑みを浮かべたまま、腹話術で大感動するアリス王女。
そんな様子を横目で見ながら、アリス・リデルも不器用そうにツノの生えた星を口に放り込み、灰緑と紫のオッドアイを少しだけ丸くした。
「形は、棘付きメイス(打撃武器)みたいだね。ただの砂糖の塊かと思ったら結晶のさせ方がじつに緻密だ。からくり時計の歯車のように繊細な職人技を感じるよ。」
相変わらず毒舌をそのまま口に出してのたまうリデルだったが、味自体は気に入ったのか、二個目の金平糖へとそっと手を伸ばした。
「ふむ。――して、過日はお疲れ様だったのじゃ」
十二単の袖を整え、輝夜が改まって口にする。
それは、ウィリアム・ガルの地下ラボを襲撃し、切り裂きジャック――彼のオートマタ《ジャックハート》を打ち倒した時のことを言っているのだろう。
「何のことでしょう? 私と一緒に、『スターリング・シングル』で旅行した思い出のことでしょうか?」
《本当に死ぬかと思ったわよ! 輝夜があの大車輪の猛スピードで突っ込んで、ガルのクソからくり共をまとめて粉砕してくれなきゃ、今頃みんなミンチにされてたわ!》
アリス王女はロイヤルブルーのドレスの胸元にそっと手を当て、完璧な王女の微笑みを浮かべたまま、最高に物騒な本音を腹話術で大爆発させた。
それを聞いた輝夜が、我が意を得たりとばかりに豪快に笑う。
「そうじゃ! 地下ラボでのあの死闘を――」
「まあ! 気に入っていただけて、嬉しく存じますわ!」《ちょっとー! 地下ラボでの死闘なんて、公衆の面前でバラさないでー!!》
輝夜が天然で爆弾を投下しかけた瞬間、アリス王女は笑顔の仮面をピキピキとさせながら、凄まじいスピードの建前で会話を上書きした。ロイヤルブルーの瞳で「静粛に!」と無言の圧力をかけながらも、脳内では全力の悲鳴を上げている。
「おっと、すまぬ、アリス様に睨まれてしまったのじゃ! いや、この万博会場に並ぶ最新鋭の蒸気機関たちを見ていると――」
「――お、王女殿下もご公務でお忙しいかと思います。皆さま、王女殿下をお見送りします! 威儀を正されますよう!」
これ以上は輝夜のさらなる爆弾発言を許してはならぬ、と白が慌てて言葉を遮るように取り繕った。
周囲に集まっていたイギリス人の観客たちへ向けて大声で呼びかける。
事情を知らないロンドンっ子たちは「おお、流石はアリス王女殿下だ!」「お忙しい中、日本ブースへ臨席してくださったのだな!」と大感動し、割れんばかりの拍手でお見送りの列を作り始める。
「(ちょっと白ぉ! まだコペイトーを二個しか食べてないわよ!? トゲトゲメイスおかわりー!!)」
「それでは皆さま、ごきげんよう。日出ずる国の素晴らしき文化に、大英帝国の栄光あれ」
笑顔の仮面をピキピキと引きつらせ、脳内で激怒しながらも、アリス王女はロイヤルブルーのドレスの裾を優雅に揺らし、完璧なロイヤルスマイルで手を振りながら日本ブースを後にせざるを得なかった。
――こうして、楽しかった万博初日の夜が更けていく。
ここまでお読みくださり、ありがとうございます。
1862年に行われた第二回ロンドン万博では、初代駐日大使であるラザフォード・オールコック卿(日本ではアルコック卿と呼ばれてました)による、日本文化の展示が行われました。
その数、約1,500点!
漆器や陶磁器、木象嵌や箱根細工、浮世絵、さらには蓑笠や提灯、草履など、日本のライフスタイルが紹介されたそうで、「ジャパン・コート」として人気を博しました。
ところが、英国人には人気を博したものの、福沢諭吉ら遣欧使節団はイギリスの最新の工業出展物と比較し、「このようなみすぼらしいものをお出ししてしまい、恥ずかしい」と述懐していたようです。
日本人の自己評価はさておき、人気を博したこのジャパン・コート、1910年には日英博覧会という形で再び開催されたのです。
本作では、創作ということに甘えて、ビジュアルを意識した「居合」や「野点」のコーナーを贅沢に挟んでみましたが、楽しんでいただけましたでしょうか?
次回から急転直下、またアイツが動き始めます!
まぎれもなくヤツさ!
ヒュー!!
どうぞお楽しみに! 評価やブクマ、感想などもいただけると大変励みになります!




