『世界よ、これが大英帝国だ!――お転婆王女の華麗なる転身』
「どうして僕まで……。父が招待状を貰ってきてしまったので、なし崩し的に来る羽目になってしまった」
サウス・ケンジントンの広大な敷地に、およそ現実の物とは思えぬ美しさでそびえ立つ大建築――全面ガラスと鉄骨が太陽の光を浴びてきらきらと輝く水晶宮の壮大なエントランス。
黒髪に黒のゴシックドレスを纏い、余所行き用の黒いボンネットを被った少女、アリス・リデルは、灰緑と紫のオッドアイをひどく遠い目にして、厭世的なため息を深くついた。
アジトでは「人混みなど理解に苦しむ」と冷徹に言い放ち、絶対に動かないと誓っていたはずの彼女だったが、高名な学者である父親が持ち帰ってきた最高賓客用の招待状の威力には逆らえなかったのである。
「――おや、リデル。せっかくの大英帝国の栄華を象徴する祭典ですもの、そう暗い顔をなさっては勿体ありませんわ」
鈴を転がすような、あまりにも気品に満ちた可憐な声。
金髪に青い瞳を輝かせ、非の打ち所のない淑女としての美しい微笑みを浮かべた少女が、優雅にリデルを振り返った。
アリス王女。
今日の彼女は、アジトで揉くちゃにしていたエプロンドレスでも、某名探偵を真似たツイードの鹿撃ち帽にインバネスコートというキテレツな格好でもない。
正式な『王女枠』として臨席するに相応しい、王室の気品を湛えた最高級のロイヤルブルーのドレスを身に纏っている。
背筋をぴんと伸ばし、すれ違う各国の賓客や貴族たちへ向けて、慈愛に満ちた完璧な『王女の仮面』で優雅に手を振る姿は、昨日までアジトで大暴れしていたじゃじゃ馬にはとても見えなかった。
「……よくやるよ。昨日までアジトで冷めた紅茶でも飲んでいろと言い放っていたじゃじゃ馬が、よくもまあそこまで綺麗に化けられたものだね」
リデルが声を潜めて呆れたように呟くと、アリス王女は完璧な淑女の微笑みを貼り付けたまま、腹話術のように口元だけを小さく動かして囁き返す。
「(うるさいわねリデル! これもすべて、あの恐ろしい看護指導から数ヶ月間、合法的に逃げ切るための尊い演技(公務)よ! 今日は完璧に立ち振る舞って、ウィンザー城のおばあさまへの報告書にも満点を書かせるんだから!)」
「アーちゃん、仮面が剥がれかけてるんですぅ。せっかくアタシたちも王女様が手配してくれた特別招待券で、侍女の仕事を免除されて客として楽しめてるんですから、ボロを出して連行されるのだけは勘弁してほしいんですぅ」
自慢の長いウサギ耳を上品な黒のシルクハットの中へとぎゅぎゅっと健気に収め、英国風のマニッシュな正装に身を包んだマーチ・ヘアが、屋台のシナモンの匂いを嗅ぎつけながら釘を刺す。
ハットの中で耳をピクピクと動かすたびに、頭の上のシルクハットが僅かにぽこぽことユーモラスに揺れていた。
そんなじゃじゃ馬一行がガラスの宮殿の中へと足を踏み入れると、そこは光と鋼鉄が調和する新時代の縮図だった。
天井まで届く大噴水が涼やかな音を立て、世界各国の驚異的な発明品が並ぶ並木道を、着飾った紳士淑女たちが行き交っている。
そんな喧騒の中心で、ひときわ大きな人だかりと、天を仰ぐ人々の大歓声が湧き起こっているブースがあった。
「おお! 見ろ、空を飛んでいるぞ!」
「信じられん、鳥でもないのに、機械が自律して空中を旋回している……!」
カメラのフラッシュがパシャパシャと焚かれる中心にいたのは、ウサギの着ぐるみを着た特務機関の機械工――ピーターだった。
王女の「お祭りだから誰も怪しまない」という暴論は見事に(?)的中しており、周囲の貴族や子供たちからは「さすが王室お抱えの最新式自動人形は精巧だな!」「万博のマスコットだ!」と大絶賛されていた。
ピーターは無表情なウサギの被り物のまま、手元にあるダイヤルとレバーが無数に並んだ真鍮製のコントローラーを、もふもふとした着ぐるみの手で器用に操作する。
――ブゥゥゥン!
小気味よい羽音を響かせ、観客たちの頭上を飛び回っていたのは、真鍮の薄いローターと軽量ギアを組み合わせた小さな飛行メカ。
ピーターがもふもふの手でレバーを引くたびに、そのメカはまるで生きているかのように急上昇し、空中できれいに宙返りを決めてみせる。
メカがピーターの手の平へ見事に着陸すると、集まった貴族や子供たちから割れんばかりの拍手喝采が沸き起こった。
「Amazing!(すばらしい!)」
観客の一人が叫ぶと、ピーターはドヤ顔(の雰囲気)でウサギの短い前足を上げ、スケッチブックを掲げてみせる。
『Thank you!』
「(いつの間にあんなものを作って、大人気になってるじゃないの。相変わらず、よく分からないけれど、凄いってことだけは判るわ)」
アリス王女は優雅に周囲へ手を振りながら、口元だけを器用に動かしてリデルに囁いた。
「玩具の皮を被っているけれど、あれは動く標体としての『軌道の計算』を完全にクリアしている精密なからくりの塊さ。相変わらず、中身と同じく得体のしれない恐ろしいものを作るじゃじゃ馬だよ」
リデルは黒いボンネットのツバの奥から、ピーターのコントローラーを冷ややかに、しかし確かな評価を込めて見つめていた。
押し寄せる大歓声を背に、完璧な王女の仮面を被ったアリス王女は、再び優雅に歩みを進めた。
ガラスの天井からまばゆい陽光が降り注ぐ広大な水晶宮の内部には、世界各国の驚異的な発明品や展示物がどこまでも並んでいる。
「(まあ、見てリデル! あそこにある巨大な植物……プールに浮かぶお皿みたいだわ!)」
淑女の微笑みを崩さぬまま、アリス王女が視線で指し示したのは、大きな水槽に浮かぶオオオニバスの巨葉だった。
「あれが、このガラスの宮殿の設計のヒントになった植物さ。自然のからくりを模倣してこんな巨大建造物を作るのだから、大英帝国の建築家も相当に頭が狂っているね」
リデルが黒いボンネットのツバに手を添え、冷淡な口調で呟く。そんな辛辣なツッコミを気に留める様子もなく、その隣では、ウサギの着ぐるみ姿のピーターが、展示されている巨大なインド象の剥製の前に佇んでいた。
ピーターは無表情なウサギの被り物のまま、象の巨体をじっと見上げると、ガサゴソとスケッチブックをめくり、無言で新しいページを掲げてみせた。
『中に機械を入れれば動くかも』
「(どこかのマッドサイエンティストを思い出すじゃない)」
おめでたい発想を繰り出す機械工に対し、アリス王女は笑顔の仮面をピキピキとさせながら、腹話術で鋭くツッコミを入れた。
「ショクブツガクとかセイブツガクとか、難しいですぅ。もっとお菓子の博覧会とかのほうがいいと思いますぅ」
マーチ・ヘアが退屈そうな見学ツアーに耐えかねたように声を張り、前方を指差した。
「――ハッ、それよりアーちゃん、あっちに、真っ赤に塗ったストーンヘンジみたいなのが見えますよ!」
彼女が勢いよく指差した先には、万博会場の一角に建てられた、鮮やかな朱塗りの大きな鳥居があった。
そここそが、オールコック卿が趣向を凝らした日本セクション――日本の使節団が陣取るブースだった。
ここまでお読みくださり、ありがとうございます。
ロンドン万博のお祭り風景を書いてみました。
実際のロンドン万博の目玉となった、オオオニバスやインド象に関する描写をしましたが、あともう一つ、インドから送られたという世界最大のダイヤ、「コ・イ・ヌール」などについても描写するつもりだったのですが、文字数がオーバーしてしまうため、泣く泣くカットしました。
さて、作中でも少し触れられていますが、万博の会場となったクリスタルパレスは、オオオニバスの葉の構造を研究したことで生まれたそうです。
設計者はデヴォンシャー公爵のお抱え庭師、ジョセフ・パクストン。この万博のパビリオンの設計自体も、鉄道の打ち合わせのための数十分の間にスケッチしたとか。
しかも、現代の建築の常識であるプレハブ工法を、この時代に世界で初めて実用化して、あの巨大な宮殿をわずか9ヶ月で建てちゃってます。
さらには、現在我々の食卓に並んでいるバナナの品種「キャベンディッシュ」を温室で栽培し、世界中に流通させたのもこのパクストンさんです。
お前、絶対転生者だろ。
「俺、また何かやっちゃいました?」とか言うヤツだろ。
さて、次回40話は、ロンドン万博に設けられた日本ブースに関するお話です。
どうぞお楽しみに! 評価やブクマ、感想などもいただけると嬉しいです。ピーターが真鍮製のラジコン(ドローン?)を披露くれるかもしれません。




