『文豪先生のサインに小陸軍省様のオーダー。王女の心はジェットコースター!』
「はっ! いかん、ここは急いで出るぞレディたち」
周囲に轟く爆音と地響き、そして引火した火災の激しい硝煙のなか、ソファーの影で目を覚ましたドイルはいち早く異常事態に気付くと、アリスたちに即座の撤退を促した。
「おはようございます、ドイル先生。お加減はいかがですか?」
「そんな呑気に挨拶している場合ではありませんよ、アリスくん! 今すぐ脱出しないと。ここは崩落寸前です!」
状況を顧みずに、悠長にドイルに挨拶するアリス王女に、白は退避に必要な時間を確認するためにパチリと自らの懐中時計を取り出した。
「急がないと、手遅れ(遅刻)になってしまいますよ」
白はいつもにない早口でアリスたちの足を促した。
崩れゆく壁面から赤い煉瓦の破片が降り注ぐなか、白衣の裾を翻して時計を睨みながら先頭をせかせかと駆けるその華奢な姿は、まるで、不思議の国のアリスに登場するあの『白ウサギ』のようでもあった。
幸いにして下水道内には、ピーターが残したインクが今なお発光しつづけ、脱出の手助けをしてくれる。
それどころか、暗闇の煉瓦の壁面には【『Exit(出口)』】【『Short Cut(近道)』】といった、脱出ルートを示すお茶目な案内文字までインクの光で追加されていた。
「ふむ。流石はピーター殿ですね。地獄に仏とはまさにこのことです」
「えっ、コレ、ピーちゃんの仕業なの!? ガルがお馬鹿なだけだったんじゃないの?」
並走する白の冷静な称賛に対し、アリスはサイン入りの鹿撃ち帽がズレるのも構わずに、青い眼を丸くして素のツッコミを投げ返した。
怪しく発光する極上のインクの導きを頼りに、アリスたちは崩落する煙のなかをノンストップで爆進。煉瓦の破片の雨を間一髪で掻い潜りながら、マンホールから夜霧のロンドンの『地上』へと一気に這い出た。
崩落するラボと下水道網、それらを搔い潜り、冷たい夜風の吹く地上の街路に脱出すると、そこでようやく安堵の息を漏らすのであった――。
◇
「ねえ、ドイル先生。結局、一連の事件の犯人はガル卿のオートマタ(ジャックハート)だったわけだけれど――スコットランドヤードには、解決したって報告しないでいいのでしょうか?」
王女としての至極真っ当な疑問に対し、ドイルは立派な口髭を震わせ、分厚い胸板をどっしりと張り直すと、大物文豪としての格調高き声音でアリスへと告げた。
「あの体たらくを見ていると、下手に解決したことを伝えてしまっては、また元の腑抜けた駄犬に戻るだけだ。ちょっとはいい刺激になろうだろう」
「え、ええええ……? 解決したのに教えてもらえないなんて、レストレード達、これから一生ビクビクしてパトロールすることになっちゃうじゃない……!」
「フッ。……あのアバーライン警部補、といったかな。彼は一生、名前を憶えてもらえぬだろうな」
ドイルは立派な口髭を不敵に揺らし、最高に意地の悪い文豪の笑みをランタンの光の中に浮かべた。
アリスが現実のヤードの現場責任者の存在を、完全に自らの愛読するホームズ小説の登場人物とごちゃ混ぜにして勘違いしていることに気づいたからだ。
「ええええっ!? アバーラインって誰よそれー! あのお髭のおまわりさんはレストレードさんじゃないのーーっ!?」
アリスはサイン入りの鹿撃ち帽の下で、青い眼を限界まで引っくり返してトホホな絶叫をあげた。
こうして、ロンドンを恐怖に陥れた最悪の猟奇殺人事件は、特務機関の手によって、歴史の闇へと永遠に「迷宮入り」として葬られることとなったのである――。
◇
無事(?)に事件が解決し、上機嫌でランベスのアジトへと帰還するアリス王女たち。
その鹿撃ち帽には、流れるような筆記体で【『My Dear Princess.』『Arthur Conan Doyle』】の文字。
これこそが、彼女が上機嫌な理由であった。
「やあ、お疲れ様。通信機は、地下に入ると途端にただのガラクタになってしまうようだね。改良が必要なようだ」
カチャリ、と温かいティーカップをソーサーに置き、アリス・リデルが何事もなかったかのように優雅に言う。
だが、そのリデルのすぐ横には、目を覆いたくなるような惨状が広がっていた。
お馴染みの不気味なバニーガール姿のまま、一オンスの生気もなく、ぐったりと木製のテーブルに突っ伏して白目を剥いている女性――マーチ・ヘアであった。
「マーちゃん、ずっといなかったじゃない! どこ行ってたのよ!」
アリス王女はサイン入りの鹿撃ち帽をこれ見よがしにふんす! と直しながら、昨日までの大乱戦の最中に一人だけ完全不在だった三月ウサギへ向かって、理不尽極まりない絶叫ツッコミを叩き込んだ。
「わたしぃ、王女殿下の身代わりとして、ずっとずっとずうううううぅっと、ナイチンゲール先生のところでしごかれてたんですうううううう」
マーチ・ヘアはテーブルに突っ伏したまま、シクシクと涙を流しながら、この世の終わりかのような声を絞り出した。
お転婆プリンセスが前章で「看護の勉強なんて退屈よー!」とフローレンス・ナイチンゲール総監の一番弟子の座をブッチし、その理不尽な身代わり(犠牲)としてバニーガール姿のまま送り込まれていた三月ウサギ。
血を見るのが苦手で、カノニカル・ファイブ(切り裂きジャックの被害者ファイル)を見ただけでも卒倒するほどのポンコツ看護師だというのに、あのクリミアの鬼教官の元で二十四時間体制の衛生スパルタ教育を叩き込まれ、彼女の精神は文字通り跡形もなくスクラップにされていたのである。
「ううう……自分が押し付けておいて、忘れて怒るなんて、アーちゃんの言い草、酷すぎますううううううぅ……!」
「そんなアーちゃんに、ナイチンゲール先生から伝言があります」
マーチ・ヘアはシクシクと泣き濡れていた顔をぬるりと持ち上げ、バニーガール姿のまま、底冷えするようなおぞましい笑顔をアリス王女へと向けた。
「な、なによその目は……。せ、先生が、私に何か言っていたの……?」
その声帯を完璧に模写しながら、最悪のデス伝言をねっとりと読み上げる。
『しばらくは、探偵ごっこも伝言ゲーム(偽の勅)も、お預けです。明日から聖トーマス病院に来るように』
さっきまでの上機嫌な様子はすっかり鳴りを潜め、アリス王女は今や小陸軍省様から突きつけられた下知にフリーズした。
「え、ええええええええっ!? なんで先生が私の偽の勅令のことまで知ってるのよーーーっ!? 完全にどこからか情報が筒抜けじゃないのよーーーっ!!!」
アリスはランベスのリビングの真ん中で、金髪のツインテールを直立させながら、文字通りひっくり返ってトホホな悲鳴をあげた。
ホワイトチャペルの陰惨な事件は去った。
だが、アリス王女の凄惨な修行生活は、これから始まるのである――。
ここまでお読みくださり、ありがとうございます。
無事に……無事に、切り裂きジャック編を終えられました。
ギャグテイストのスチームパンクものにしたかったのですが、切り裂きジャック編は本当に陰惨すぎて、これをギャグテイストに落とし込むのがとても大変でした。
この第2章では、徹底してミス・マーチ(マーチ・ヘア)が出てきませんでした。
まぁ、半分忘れていたというのもあるのですが(オイ)、血を見るのもイヤ、という彼女がこの事件に関わったとて、どう動かすか迷ったのもあります。
まぁ、半分忘れていただけなんですが。
途中で「アリス王女の代わりに、ナイチンゲールのところで看護師修行しているってことにすればいいや!」と開き直り、エピローグでアリス王女に死刑宣告をする役目を与えました。
彼女、アリス・リデルの声真似やナイチンゲールの声真似するので、使い方次第では有能なキャラに化けるのでは?と思ったりしました。
どうぞお楽しみに! 評価やブクマ、感想などもいただけると嬉しいです。さもないと、ナイチンゲール先生からの修行の宣告が来るかも!




