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『敵さんにダーウィン賞を!――下水道はキドニーパイの香り』

「首尾はどうであった? ――いや、その様子では、なにかまたやらかしたようだね」


 ホワイトチャペルの喧騒から少し離れた、深い夜霧が立ち込める路地裏。


 正面玄関でヤードの警邏相手にマッスル(屁理屈)を張り倒し、完璧に時間を稼いでくれていたドイルは、ミラーズ・コートの長屋から文字通り逃げるようにして飛び出してきた特務機関《ヴォーパル・バニー》の面々を目ざとく見つけると、立派な口髭を実におかしそうに震わせて声を掛けた。



「ど、ドイル先生ぇ……。女の人がシャカシャカってきて、カグちゃんがドーン! でバーン! でぇ……」


 半分涙目になりながら、アリス王女はマッスル文豪の胸元へと縋り付くようにして必死に訴えかけた。ついさっき体験した逆さ四つん這いの悪夢と、やらかしてしまった顔面木っ端微塵の恐怖のあまり、金髪プリンセスの言語プログラミング(語彙力)は完全に幼児退行のエラーを起こしていたのだ。


 そんな王女に、輝夜は冷酷につるりとツッコむ。


「アリス殿とて、割とノリノリでおったではないか。『――そぉ、れっっ!!』と、その得物を振り回しておったのを、見逃す妾ではないのじゃ」


「はぁ……。お二人とも、お国のためにこれ以上その不名誉なログ(なろう無双)を大声で同期するのをやめなさい。自分で言うのもなんですが、国家最高検屍顧問としての私の胃壁がまた限界を迎えますよ。いけませんね」


 キリキリと痛む胃を抑えながら白が深く溜息をつき、その手にしっかりと握り締めていた【最終形態(メアリー)から剥ぎ取った真鍮のメイン回路パーツ】をドイルのランタンの光へと差し出した。


「ともあれ、文豪先生。お気遣い痛み入ります。おかげさまで、ヤードが突入してパニックを起こす前に、あの怪物と化してしまった被害者の頭部から、黒幕であろう人物の親機と繋がっていた【遠隔受信ギヤ】をスリ盗るのには成功しましたよ」


 白がギヤのネジをカチリと回した、まさにその刹那だった。


 チチチチチチチチッ!!!


 剥き出しになった真鍮パーツがドイルのランタンの熱に反応し、ガル卿の地下アトリエが発信し続けている不気味なパルスを逆探探知(逆流同期)して激しい電気火花を放ち始めたのだ。


 ギヤから漏れ出した鮮血のような真紅の電流は、足元の石畳の隙間――ホワイトチャペルの地下へと網の目のように張り巡らされた、大英帝国の真鍮電信配管へとドロリと逆流。

 真犯人が潜む『真の最終アトリエ』へと繋がる下水溝の暗闇のルートだけを、不気味な赤色の光の回路(ナビゲーション)として鮮烈に明滅させ始めたのである。


「この可憐にして苛烈なウサギたちは、ヤードのイヌどもよりも有能じゃないか。……なるほど、奴の真のアトリエ(終着点)は、このホワイトチャペルの地下電信網のさらに奥深く、というわけか」


 下水溝の鉄柵の奥から吹き上げてくる、焦げ付いたオイルと錆びた真鍮の冷たい風。


 その最悪の戦場の入り口を前にして、コナン・ドイルは片手のランタンを高く掲げ、ボクサー並みの分厚い胸板を張り直すと、立派な口髭の奥から大英帝国の騎士(ナイト)にふさわしい、どこまでもブレない紳士の魂を渋く紡ぎ出した。


「よし、行くぞレディたち。レディ・ファーストとは言うが、ここは君たちを守るナイトとなるべく、私が先頭に立とう」


 ドイルを先頭に、五人は赤く光る地下配管を辿って、夜霧のロンドンのさらに底――黒幕の潜む【地下研究室(ラボ)】の暗闇の奥深くへと、足を踏み入れる。



◇



「ううう、くっさーい! お鼻が取れちゃいそう!」


 アリス王女はツイードの鹿撃ち帽の下で小さな鼻をきゅっとツまみながら、半分涙目で無邪気に叫んだ。

 迷路のように張り巡らされた地下下水道の網。

 その内部に充満する、焦げ付いたオイルと錆びた真鍮の強烈な激臭を前にして、金髪プリンセスの嗅覚は、潜入早々に破綻をきたしていた。


「アリスくん……自分で言うのもなんですが、先日アリスくんがこさえてくれた臓物パイも、負けず劣らずの悪臭でしたよ」


 白も悪臭に顔を顰(しか)め鼻を摘まみながらも、アリス王女に向けて冷酷極まりない東国の毒舌(カウンター)を淡々と落とした。


「大変申し上げにくいのだが、レディ。――我々が既に猟奇的な殺人犯の勢力圏下にいる可能性を考慮し、少し静かにしてもらえると助かるのだがね」


 ランタンのオレンジ色の灯火を前方の暗闇へと滑らせながら、先頭を行くドイルは立派な口髭をピキピキと震わせ、最高に格調高いトーンで背後の凸凹プリンセスたちをたしなめる。大物文豪の皮を剥ぎ取った捜査者としての冷静なプロファイリングであった。


 アリス王女は慌てて口を両手で塞ぎ、白や輝夜に向けて『お喋り厳禁!』のジェスチャーを全力で取ってみせた。

 ついさっきまで自分が一番の大音量で「くっさーい!」と叫んでいたことなど1インチも記憶にないかのような、あまりにも無邪気でお転婆なプリンセスマインドである。


 今度こそ静まり返った冷たい煉瓦壁の静寂のなか、ランタンの光で足元を慎重に照らしながら、五人で音もなく一歩、また一歩と下水道の暗闇の奥深くへと歩みを進めていった。


「おや、これはいけませんね」


 ひんやりとした暗闇が満ちる通路のなかで、白が緊張感のない声色で告げた。


 見れば、白が手にしていた受信ギヤから発せられていた電磁パルスの怪しい光が明滅し、徐々にその輝きが鈍っていく。

 煉瓦の隙間に這わされた、ヤードの真鍮製電信配管をドロリと赤く染めていたハッキングナビゲーションの波形が、まるで寿命を迎えたかのように、暗闇の奥へと静かに溶けて消え去ろうとしていたのだ。


『困りましたね。こんなところで道しるべを失っては、帰り道すら怪しくなりますよ』


 赤い目をシニカルに細めながら平然とした声音で、不測の事態をランタンの光のなかへと落とす。


「いや、その心配は無さそうだよ、東国の小さなレディ」


 だが、先頭に立つドイルは片手のランタンを前方の煉瓦壁へと滑らせ、立派な口髭の下から実におかしそうに笑った。

 文豪が指差した先――薄暗い研究室の分岐点には、ぼんやりと蛍光塗料で光る、不気味な矢印の案内板が設置されていたのだ。


 しかもそこには、これ以上ないほどご丁寧に、【『←Enemy!』『Exit→』】と、歪なアルファベットで刻まれていたのである。


「なんじゃ? 罠かも知れんのじゃ」


 輝夜が『御手杵』を構え、ピキピキと警戒させて声を潜める。


「いえ、その心配はないでしょうねぇ」


 警戒する輝夜の声に、白はのんびりと応える。

 ドイルが掲げるランタンのオレンジ色の灯火が、その案内板のすぐ真下――通路の暗がりに、闇に埋もれるようにして小さく蹲っている『一人の浮浪児(ストリート・アーチン)』の影を静かに捉えた。


 アリス王女たちよりも先に現場へと裏口潜入をかまし、後からやってくるみんなのために蛍光塗料を片手に『←Enemy!』や、その足元に【『Fight!(頑張って!)』】という最高に健気な応援ログを仕込んで待っていたのは、あの機械工(ピーター)だ。


「ぷぷぷ! 間抜けな犯人さんね! 自分で行き先を教えるなんて!」


 ピーターの優秀すぎる道案内に1インチも気づかぬまま、アリス王女はツイードの鹿撃ち帽の下で青い眼を輝かせ、ふんす! とない胸を張って、文字通り『間抜けな犯人』を盛大に煽り倒してドヤ顔をキメた。


「(……やれやれ。王女殿下は気付きませんか。ヤードのことも犯人のことも言えた義理ではない気がしますがね。――ともあれ、ピーター殿のMVPっぷりは、私の胸にしまっておきますかね)」


 アリス王女が「バカねー!」とクスクス笑いながら全力で壁の文字を指差して煽り倒すその後ろで、白は、半分以上闇に溶け込んだような浮浪児に向けて、小さくカテーシーをして敬意を表すと、何食わぬ顔で白衣を翻し、先へ進む王女たちに続いた。


 やがて、五人は通路の終着点――薄暗い地下の奥底にそびえ立つ、大仰な鉄の扉に行き当たった。

 その重厚な扉の前には、やはり同じ蛍光塗料の歪な文字列で、【『Enemy Here! ↑(敵はココ!)』】、さらには【『God Bless You.(神のご加護を)』】の文字が、ご丁寧に書き残されていたのである。


「もう、ここまでおマヌケさんだと、一周回って感動しちゃうわ! ダーウィン先生の自然淘汰説で、真っ先に消えちゃうんじゃないかしら」


 もう何度目かになる、アリス王女の勘違い列伝。白は静かに、後ろにいるであろうピーターに向けて、労いの念を送るのであった。


「ふむ。犯人が自ら退路を断ってここで待っているというわけか。――よし、レディたち。先ほどのナイト宣言の通り、この大仰な鉄の扉は、私が先頭に立ってマッスル(腕力)でぶち開けよう!」


 ドイルはランタンを高く掲げて一歩前に出た [INDEX]。彼が分厚い胸板を張り、鋼鉄のドアノブへとその太い剛腕をかけた、まさにその刹那――。

 ここまでお読みくださり、ありがとうございます。


 ――ここからは1858年のテムズ川よろしく、当時のロンドン下水道事情の薀蓄(インク)を垂れ流させてください(笑)。

 実はこの時代(1888年)のロンドンの下水道は、1865年に天才エンジニアのジョセフ・バザルゲットによって完成されたばかりの、当時における【世界最新鋭のハイテク巨大煉瓦建造物】だったりします。


 それまでのロンドンは糞尿をすべてテムズ川にそのまま垂れ流していたため、1858年に歴史上悪名高い「大悪臭(The Great Stink)」という、国会が臭すぎて休会になるレベルの大パニック(バグ)を起こしていました。

 それを解消するために国を挙げて造られたのが、今回の舞台である「何億枚もの極上の煉瓦を美しく積み上げた、地下の巨大な迷宮」なのです。

 アリス王女たちが「お鼻が取れちゃう!」と叫んだのも、大英帝国のすべての澱み(オイルや真鍮の錆び)がそこに充満していたからですね。


 そして、今回のサブタイトルにある『ダーウィン賞』のお話。

 アリス王女が「ダーウィン先生の自然淘汰説で消えちゃうんじゃないかしら」と間抜けな犯人を煽っていましたが、実は現代に実在する『ダーウィン賞』とは、まさに「お馬鹿な行為で自滅し、人類の優秀な遺伝子を(自然淘汰によって)守ることに貢献した人間」に贈られる、最高にブラックで名誉ある(?)皮肉な賞だったりします(笑)。

 1859年にチャールズ・ダーウィン先生が発表した『種の起源』は大英帝国のインテリたちの脳細胞を大パニックさせましたが、ピーターが仕込んだ道しるべを前に「犯人が行き先を教えてくれた! 間抜けさんね!」とぷぷぷと笑い飛ばすアリス王女の無自覚無双っぷりは、まさに進化論の歴史を裏側からハッキングするにふさわしい、キレ味抜群のブリカス煽りです。


 次回、いよいよ黒幕の登場です。

 ちょっぴり匂わせたり、匂わせどころかガッツリ言及してしまっていた気もしますが。


 どうぞお楽しみに! 評価やブクマ、感想などもいただけると、アリス王女がロンドンの下水道の臭いもかくや、というキドニーパイを作ってくれるかも知れません!

 飛ぶぜ(精神的に)。

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