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『きっと君(警察犬)は来ない!――あれ? 私(妾)なにかやっちゃいました?』

 1888年11月9日、金曜日。


 あのダブル・イベントの夜から1ヶ月以上もの間、ロンドンの夜霧は不気味なまでの沈黙を保ち続けていた。

 だが、その不穏な膠着を切り裂くようにして――運命のカレンダーの針が、午前10時45分を回ったまさにその刹那であった。


 カタカタカタカタカタカタッ!!!


 ランベス区の極秘アジトの作戦机の隅で、真鍮製の大型電信機が突如として大パニックの内部電信(迷走ログ)を爆速で吐き出し始めた。


「……来たよ、青いの、白。ホワイトチャペルのヤードが、今完全な大混乱(バグ)を起こしている。――ミラーズ・コート13号室、鍵のかかった密室のベッドの上で、凄惨な損壊遺体が発見されたのさ」


 アーちゃんは冷めた紅茶のカップをソーサーに戻し、オッドアイを鋭く細めて、吐き出されたばかりの通信紙テープを凝視した。


「ヤードのアバーラインたちはすでに現場に到着しているけれど、ウォーレン総監の無能な命令のせいで『警察犬が来るまでドアを1インチもぶち壊すな』と、鍵のかかったドアの前でただオロオロと直立不動で足止めを喰らっているみたいだね」


「……鍵のかかった、密室、ですか。――ふむ、私が言うのもなんですが、何か曰くがありそうな気がしますね」


 顎に手を当てて思案する白。だが、そんな思案を吹き飛ばす脳筋ガールがそこにはいた。


「何言ってるの?部屋の鍵が掛かっているんだったら、壊して入ればいいじゃない!」


 ふんす! とない胸を張り、アリス王女は【宝剣ヴォーパル】の柄をポンと叩いて無邪気に言い放った。


「……アリスくん。自分で言うのもなんですが、国家最高検屍顧問である私の前で、ミステリーの歴史への冒涜(脳筋プログラミング)をドヤ顔で語るのをおやめなさい。ですが――いけませんね。今回ばかりは、あなたのその人の心(ハート)の欠片もない蛮勇が、ヤードの無能どもの隙を突く最高の手(ハッキング)になりますよ」


 白は赤い目を冷酷に細め、白衣のポケットから手を抜いて作戦机のランタンを掴んだ。


「ヤードの連中がいつウォーレン総監の無能な命令(トップダウン)を放棄して、この密室の扉をぶち破ってくるかは判りません。一分後かもしれないし、数時間後かもしれない。……ですが、無能どもが外で警察犬を待って右往左往している【今(・)】この瞬間こそが、私たちがヤードより一足早く侵入し、中の正体を検屍(スクラップ)してあげる唯一の空白(ログ)ですよ。アリスくん、輝夜様。……連続特コウ(急行)です」


「うむ! 白の胃壁を脅かす怪物を、妾の誇る名槍で今度こそすり潰してやるのじゃ! アリス殿、遅れるでないぞ!」


「ええ、行きましょう!!」


 アジトの窓から飛び出した三人の影。そしてそれからやや遅れて小さな影が飛び出していく。それは、人知れず着ぐるみを脱ぎ捨てて『浮浪児』の姿へと身を変えたピーターだ。

 大雨に煙る午前中のロンドンを、無駄口も叩かずに爆速全力疾走で駆け抜けた。


 ◇


 ホワイトチャペル、ミラーズ・コート13号室の前。

 長屋の狭い正面通路では、アバーライン警部補たちが「犬はまだか! 早く命令を解除しろ!」とウォーレン総監の無能トップダウンの前に青白い顔で歯噛みし、巡査たちがドアを見張って右往左往している。

 だが、そのすぐ裏手の死角――。

 外套がギチギチに詰められていたという、あの【割れた窓ガラス】の隙間へと、浮浪児姿のピーターがアリス王女たちよりも先に到着し、ぬるりと滑り込んでいた。その小さな指先が、真鍮のラッチ(窓の鍵)をカチリと音もなくハッキング(解錠)する。

 そして、アリス王女たちが到着するのを見届けるよりも前に、ロンドンの深い霧の闇に溶け込んでいった。


「はれ?窓、空いてるよ?――もう!ドイル先生やアーちゃんがヤードのことを『無能、無能』って言う理由が、私わかった気がするわ!」


 ピーターの優秀すぎる隠密工作に1インチも気づかぬまま、アリス王女はツイードの鹿撃ち帽の下で青い眼を輝かせ、ふんす! とない胸を張ってドヤ顔をキメた。


「(やれやれ。ピーターどのの八面六臂の活躍ぶり、王女殿下は気付きませんか。ヤードのことを言えた義理ではない気がしますがね。――ともあれ)……お邪魔しますよ」


 赤い目をジト目にして心中ごちると、アリスを先頭に、輝夜、白の三人がヤードの目を盗んで窓から『鍵のかかった密室の内部』へと神速で滑り込んだ。


 ――だが、その一歩を踏み入れた瞬間、彼女たちの全身のゼンマイが、悍ましい真鍮の波動(パルス)によってガガガッと凍りつく。


 大雨の日中、わずかな光が差し込む薄暗い部屋の奥。

 血に染まったベッドの上にいた人影の眼窩に、ルビーよりも禍々しい赤い光がパチリと点火した。


 ――バキバキバキバキバキッ!!!


 突如、人間の肉体では断じて不可能な、真鍮シリンダーが逆流するような悍ましい破壊音が密室に響き渡る。怪物は首や四肢のギヤの噛み合わせを音を立てて真逆に反転させると、【逆さ向きの四つん這い(スパイダーウォーク)】の姿勢となり、ギチギチと真鍮パイプを軋ませながら天井や壁を猛スピードで這い回り始めた。


「ひゃああああああっ!? なによあの動き! 完全に倫理観が狂ってるわーーっ!!」


 さすがのアリス王女も半分夢の中から一瞬で大覚醒し、青い眼を引っくり返して大絶叫した。


「……いけませんね。王女殿下。あれは関節のギアの噛み合わせを無理やり狂わせて、最高速で動いていますよ。輝夜さま、ランタンで奴の死角を照らしてください!」


「うむ! 妖怪・土蜘蛛もどきめとあらば、遠慮は要らぬな!妾の誇る名槍で床ごと串刺しにしてくれるわーーっ!!」


 輝夜の大槍が室内の家具を木っ端微塵に粉砕し、白のランタンが夜霧を射抜くなか、逆さ四つん這いの怪物は天井からアリス王女の顔面を強襲せんと、真紅の爪を剥き出しにして牙を剥いた。


「――そぉ、れっっ!!」


 アリス王女がヤケクソ気味に叫び、宝剣を一閃させた。狭い密室の中で、鮮烈なハッキング光の一撃が、天井から襲いかかってきた怪物の頭部へとクリティカルヒットで直撃する。


 ――ズガガガガガガアンッ!!!


 金属音の乱舞の末、怪物は完全に駆動を停止され、床の上へとドサリと崩れ落ちた。

 だが、その直後であった。


「アリス、油断するでないぞよ! 東国の土蜘蛛は、首を撥ねても執念深く噛み付いてくるのじゃ! 妾の誇る名槍の肉壁(手加減物理)を喰らうがよいのじゃーーーっ!!!」


「わ、ちょっとかぐちゃん、待っ――」


 アリスの制止が届くよりも早く、輝夜は満月の瞳を爛々と輝かせ、ダウンした怪物の頭部へ向かって天下三名槍『御手杵』を全力で突き立てた。


 ――ズゴゴゴゴゴゴゴゴゴオォォォンッ!!!


 激しい破壊音の乱舞の末、お輝ちゃんが満足げに名槍を引き抜いた、大雨の13号室。

 焦げ付いたオイルと、剥き出しの真鍮の匂いが立ち込める室内で、完全停止したオートマタの残骸を覗き込んだアリス王女は、突如として頭を抱えて真っ青になった。

 輝夜の『手加減』という名のオーバーキル(大連撃)が全力で決まりすぎたせいで、怪物の顔面は、文字通り形を留めぬほど木っ端微塵に物理破壊されてしまっていたのだ。


「……あ、あれ? やりすぎちゃった!☆」


 アリス王女はツイードの鹿撃ち帽を抑えながら、てへぺロとばかりに可愛く首を傾げた。


「お、おかしいのじゃ……? 妾は確かに、木っ端微塵(半殺し)の手加減をしたはずなのに、イギリスのオートマタは存外に脆いのじゃ……?」


 すぐ横で、お輝ちゃんもまた名槍を抱えたまま、きょとんと首を傾げている。


「……王女殿下、そして輝夜様。自分で言うのもなんですが、あなたのその東国の『手加減』という名の物理粉砕のせいで、ヤードの無能どもが後からドアをぶち破ってこれを見たら、ロンドン中が恐怖の大絶叫(パニック)を起こして気絶しますよ。いけませんね。ウォーレン総監の無能命令が解除されてヤードが突入してくる前に、至急、私たちの痕跡を消去して、ここからずらかる準備をしましょう」


 白はただでさえ白い顔をさらに蒼白にしながら、頭を抱える脳筋お姫様へと淡々と撤退の指示を出したのであった。


 ――ヴォーパルバニーの侵入に遅れること2時間後。

 警察犬の手配の行き違いなどの命令系統の混乱の末、最終的に斧で扉を破壊して内部に進入したヤードは、あまりに凄惨な事件現場を見て、絶句したのであった。

 第29話をお読みいただきありがとうございました!


 ついに切り裂きジャック事件が関わったとされるカノニカル・ファイブの最後の事件、11月9日の『ミラーズ・コート13号室の密室』の火蓋が切って落とされました!


 第3の事件で、本来であれば被害者だったはずの女性(エリザベス・ストライド)が襲い掛かってきたように、この第5の事件の被害者、メアリー・ジェーン・ケリーも襲い掛かってくる、という流れにしました。

 動き方をどうするか考えた結果、ホラー映画の定番である、逆さ向きの四つん這いでシャカシャカと襲ってくるアレを思い出し、それを採用しました。

 これに対し、輝夜が「土蜘蛛もどきめ!」と、日本の妖怪に擬えさせてみました。

 史実におけるメアリー・ケリーのあまりにも凄惨な顔面損壊の検屍記録のファクトを、凸凹プリンセス二人による、サブタイトルにもある通りの最強の様式美【「あれ? 私(妾)なにかやっちゃいました?(てへぺロ☆)」】へと脳内で完璧に裏返し天丼してしまいました!

 やりすぎた気もしますが、後悔はしていない(自重はしないけど自嘲はします)。


 次回、第30話(第2章15話)。

 11月9日の凄惨な朝を超え、最終形態の残骸から剥ぎ取ったメイン回路のプロファイルを手がかりに、特務機関はいよいよ、ホワイトチャペルの地下――黒幕ガル卿が潜む、真の『最終アトリエ』への全面戦争へと駆動していきます!

 正面でヤードをマッスル(屁理屈)で引き止めて時間を稼いでくれていたドイル先生とも合流し、いよいよのちの歴史の名設定である【東洋の神秘の格闘技・バリツ(Baritsu)】の牙が、最前線で最大風速でアクティベート(再起動)されることに……!?


 どうぞお楽しみに! 評価やブクマ、感想などもいただけると、お輝ちゃんが「ふんす! 頼もしい読者様のためなら、次の黒幕の顔面も手加減(木っ端微塵)にしてやるのじゃ!☆」と、御手杵をギラリと光らせて夜霧のロンドンを再び爆走してくれるかもしれません!

 飛ぶぜ(物理的に)

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