『ゴールにストン?――ヤードの評価はストップ安!』
「ねぇ、まだ捜査を続けるの? 私、もうベッドで寝たいんだけど……ふあぁ」
ガス街灯の灯火すら拒むほど深い、午前四時過ぎのホワイトチャペルの夜霧のなか。
アリス王女はツイードの鹿撃ち帽の下で眠そうな目を擦り、とぼとぼと歩きながらアジトへの帰還を促した。犯人の悍ましさに息を呑んでいたはずの金髪のプリンセスであったが、限界ミーハーな脳内回路(体力)は、夜明け前の睡魔を前にして秒速でポンコツ化の駆動エラーを起こしていたのだ。
「うむ。白よ。寝不足は肌に悪いぞよ。戻って寝るのじゃ。妾が添い寝してやるのじゃ喜ぶがよい!」
「はぁ。では輝夜様。アリスくんを連れて、抱き枕にしてあげてください。自分で言うのもなんですが、私はもう少し現場を見ておきたいものでして」
「その通りだ。証拠というのは常に生き物のように流動的だ。後になって探しても、見つからぬ時は多いのでね」
コナン・ドイルは片手のランタンを高く掲げ、未だ重苦しく垂れ込める夜霧の奥を鋭い双眸で見据えながら、立派な口髭を引き締めた。そして、隣で眠そうにしている王女たちへと視線を和らげ、大英帝国の騎士らしく渋く言葉を重ねる。
「レディがたは、もう戻って休まれるのを推奨する」
「おやおや。ドイル先生。レディ・ファーストは美徳かもしれませんが、あまり行き過ぎると、時に要らぬ軋轢を生みます。おっと。これは出過ぎたことをいいましたね。失敬」
白い顔の、赤い目の下に、寝不足によるクマを隠そうともせず、白はルビーの瞳を実におかしそうに細めてぬるりと言い放った。
大英帝国の誇る紳士の歯車を正面から受け流し、国家最高検屍顧問としての冷徹なプライドを覗かせる東国の天才医師。そのあまりにも不敵なカウンターに、ドイルは「う、うぐっ……」とボクサー並みの分厚い胸板を張り直しながら、タジタジとなって口髭を震わせるしかなかった。
タジタジになったドイルを見て多少の留飲を下げたのか、白は声色を落として捜査員の顔つきになる。
それを見たドイルもまた、彼女を捜査の助手と見立てるべく、声のトーンをやや芝居がかったものへと変えた。
「初歩的なことだよ、白くん」
ドイルがランタンの光を夜霧へと突き出し、最高の『名探偵のポーズ』をキメた、まさにその瞬間だった。
――ザザッ……ジ、ジジッ!
アリス王女の鹿撃ち帽の下――カチューシャの根元に仕込まれたピーター特製の真鍮レシーバーから、不快な砂嵐の音を引き裂いて、アジトの司令塔の冷徹な肉声が響き渡った。
『盛り上がっているところ悪いのだけれど、ゴールストン・ストリート108番から119番にある、ウェントワース・モデル・ドウェルズ――通称、モデル住宅に向かってくれないかな? ちょっとしたトラブルが起きているようだ』
アリス王女が「ひゃんっ!」と耳元を押さえながら、その極小スピーカーから降ってきた推しの声に青い眼を見開く。
「どうかしたかね? レディ」
変な声を出したアリス王女に対し、ドイルはその決めポーズのまま、芝居がかった演技を続ける。
「あ、えっと、アーちゃんが、ゴールにストン? って」
「ふむ? urchin(いたずら者)が? ゴールにストン?」
ドイルはランタンを掲げたまま立派な口髭を震わせ、王女の口から出たあまりにも珍妙な単語の羅列を、そのインテリな脳細胞で爆速でマッピングし始めた。
「……待ちなさい。urchinがゴールにストン……ゴールストン(Goulston)・ストリートのことか!? あそこの108番地から119番地には、確か『ウェントワース・モデル・ドウェルズ(モデル住宅)』があったはずだが……!」
「さすがですね、文豪先生。その通りです」
白い顔のクマをシパシパと瞬かせながら、白が声色を一瞬で臨戦態勢の冷酷さへと引き締めた。
「私たちの自警団の無線が今、ヤードの不穏な通信を傍受しました。チャールズ・ウォーレン警視総監が自らそのモデル住宅へ向かい、夜が明ける前に【ある重大な手がかり(落書き)】を水とスポンジで洗い流して消去しようとしているそうです。いけませんね。無能な治安組織が、最高の手がかりを自らスクラップ(証拠隠滅)しようとしていますよ」
「なんだって……!? 証拠を自ら消すというのか!?」
アリスの口から飛び出した「urchinがゴールにストン」という珍妙な符号から、一瞬で『ゴールストン・ストリートのモデル住宅』という正確な番地を特定してみせたドイルは、ボクサー並みの分厚い胸板を激しい怒りで怒張させた。
「――走るぞレディたち、私に遅れずについてきなさい! まったく、ヤードの無能どもが。……これから書く小説のレストレードの知性を、当初のプロットから大幅に下方修正せねばならんな!」
「ふふ。それはいい。大英帝国の国家憲兵たちの『無能の品格』が、先生の創作にまで影響を与えるとは」
ドイルが片手のランタンを高く掲げ、マッスル紳士の正義感を最大出力で駆動させて夜霧の奥へと爆速で走り出す。その背中を流麗についていく白の口元には、実におかしそうな最高検屍顧問(ドS)の笑顔がパチリと浮かんでいた。
四人がガス街灯の灯火の下、夜明け前の冷たいホワイトチャペルを1マイルの無駄口も叩かずに全力疾走で駆け抜けていった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
本来ならここで一旦、アジトへ戻って、10月の空白期間を過ごす流れにしようと考えていました。
が、「ゴールストン・ストリートの落書き」について言及しようとすると、9月30日の早朝のうちに動いていないといけないという、あまりにも忙しない展開で。
なので、そのまま現場に残って調査をする流れにしました。
機械工のピーターが作りアリス・リデルの使う通信機、非常に重宝しますが、コナン・ドイルは使用していないため、アリス王女からの又聞き、という手段になってしまったところ、意外なシナジーが発生してしまいました。
アリス王女がアリス・リデルを呼ぶ「アーちゃん」という響き、英語だとurchin(浮浪児、あるいはいたずら者)となります。
次回は、ゴールストン・ストリートの落書きについて書いていきます。
どうぞお楽しみに! 評価やブクマ、感想などもいただけると、輝夜様が皆さんを御手杵を振り回す怪力でもって抱き枕にしてれるかもしれません!




