『見せられないよ!――第4の事件はスプラッター!?』
「ここはダットフィールズ・ヤードだな。すぐ目の前に国際労働者教育クラブだ」
ドイルがランタンの光を周囲の暗い煉瓦壁へと向けながら、大物文豪ならではの冷静な観察眼で即座に現場の地名を紡ぎ出した。
「私がヤードに行って、アババーバ・バーババ巡査に伝えてくるわ!」
ふんす! とアリス王女が手を挙げる。ツイードの鹿撃ち帽を抑えながら名探偵面で飛び出そうとするが、それを白は制止。
「アリスくん。自分が言うのもなんですが、既に名前が崩壊してますぞ。そんな状態では、正確に伝えるものも伝えられません。私が行ってきますよ」
「白の手を煩わせるぐらいじゃったら、妾が行くのじゃ!」
「いや、レディ。淑女がたに任せるのは忍びない。どれ。私が行ってこよう」
「「「どうぞ、どうぞ」」」
ボクサー並みの分厚い胸板を張り、完璧な紳士のレディ・ファーストとして手を挙げたコナン・ドイルに対し、三人の美しい声が1インチの躊躇もなく夜霧に響き渡った。
「……ふむ。どうにも割り切れぬ気持ちが去来しているが、言い出した以上は、仕方あるまい。――いや、しかし。レディをここに置き去りにするのは、ふむ、困ったぞ」
「もう、そう易々と思考停止しないでください。脳みそが筋クランプでも起こしてしまったのですか?」
白衣のポケットに手を突っ込んだまま、呆れ果てたようにルビーの瞳を細める白。
大英帝国の誇る騎士道精神が完全に空回りし、夜霧のなかで巨大な彫像のようにフリーズしてしまったマッスル文豪に対し、東国の天才医師の容赦のない引導が叩き込まれた。
「仕方ありませんね。皆で移動しましょう。ドイル卿、私たちの護衛、お願いしますね」
「なっ! 白! 妾の護衛では不服と申すか!」
「申す申す。自分で言うのもなんですが、こう、貞操の危機を常に感じるのですよ」
「む、むぅ……! 白、それはあまりにも酷い誤解なのじゃ……!」
輝夜の満月のような瞳が丸く見開かれて本気でショック(?)を受けている横で、ドイル先生だけは「ドイル卿」とナイトの誇りを尊ばれたことで、その口髭の奥から「ふむ! 任せなさいレディ!」と秒速で元気を取り戻していた。
コナン・ドイルが王女を守る騎士のように先頭に立ち、ロンドン警視庁へと繋がる大通りへと出た瞬間――。
目の前を、警官が複数人、駆け出していった。
夜霧を裂いて響き渡る、激しいホイッスルの音とドタバタとした無数のブーツの地響き。
だが、彼らは自分たちの管轄の空き地(現場)へ向かうのではなく、何やら大通りをパニックの形相で逆走していたのである。
「おい、待ちなさい諸君! こっちの空き地で大変な事件が――ダメだ、完全にパニックになっていて声が届かん。というか、あいつら詰所の警邏のくせに、なぜ目の前の現場を放り出して隣のシティの領地へ向かっている!?」
ドイルがランタンを掲げながら、その異常すぎる光景に口髭を震わせた、まさにその瞬間だった。
――ザザッ……ジ、ジジッ!
突如として、アリス王女がツイードの鹿撃ち帽の下に隠し持っていた、お忍び(コスプレ)カチューシャの真鍮パーツから不快な砂嵐の音が響き渡る。
スピーカーの細い振動板から、冷徹な『少女の肉声』が彼女の耳元へハッキリと降ってきた。
『青いの、聞こえる? 今、ヤードに新たな事件の通信を傍受した。場所は――』
「あ、アーちゃん!? 凄いわ、今ちょうど目の前を詰所の警邏たちがものすごい勢いで走っていったところよ!」
『音が割れる! 頭が割れる! 声デカい!』
「ひゃんっ!? ご、ごめんなさい、嬉しくてつい声が大きくなっちゃったわ!」
ヘッドホンごしに放たれた王女の鼓膜爆撃(大音声)に、アジトにいるアリス・リデルが本気で耳を押さえて顔をしかめる。
だがすぐに気を取り直すと、再びその声に怜悧な知性を取り戻し、アリス王女に伝えた。
『……まったく。ヤードは今、パニックを起こしているよ。ここから西へわずか十分の距離――シティ・オブ・ロンドンの『ミトレイ・スクエア』で、第四の事件が起動した』
◇
エリザベス・ストライドの事件現場、バーナー・ストリートからわずか10分ほどの距離にある、マイター・スクエアの一角。
そこで第4の事件の被害者の遺体が発見された。
警察官が何人もひしめきあっていたが、彼らは被害者にランタンに向けたかと思うと、一様に顔を背ける。ある者は広場の隅で胃の中身をぶち撒けていた。
見知った顔が、ランタンの光に照らされる。
アババーバ……もとい、アバーライン警部補だ。
その顔が青白く見えるのは、ランタンの光のせいか、あるいは日々の激務のせいか。
「アババー……」
「――アバーラインだ」
声を掛けようとしたアリス王女に一瞥もくれず、アバーラインは畳み掛けるように言った。
「悪いが、この遺体はさすがに君たちに見せないほうがいいと思う。見ろ。ヤードの猛者でさえあの有り様だ」
広場の隅で吐いている警官たちを顎でしゃくるように示す。
「ふむ。私は構わないかね?これでも医者なのでね。」
コナン・ドイルはランタンを高く掲げ、大物文豪の皮を剥ぎ取った『一人の医師』としての冷徹な双眸で、アバーラインを真っ直ぐに見据えた。彼のその堂々たる佇まいと、人命を救う学問を修めた者としての重みのある言葉に、アバーラインはかすかに目を見張る。
「自分で言うのもなんですが、私も、見ても? 女王陛下からの許可はいただいているはずですが?」
(ま、偽物なんですけどね)
白が白衣のポケットに手を突っ込んだまま、ルビーの瞳を実におかしそうに細めて、ドイルの隣へと優雅に割り込んだ。東国の天才医師はアリス(青いの)が面白半分に捏造した最高機密(偽勅)の存在を盾にして、ヤードの指揮官へと冷徹な知のマウントを叩きつける。
「う、うぐっ……。東国のドクターに、ドイル先生か。……分かった。国家憲兵のプライドに懸けて一般人を惨劇の渦中に引きずり込みたくはなかったのだが、女王陛下の命令と、二人の医師の言葉とあっては拒む理由がない」
アバーライン警部補は激務にすり潰された顔を歪め、胃を押さえながら、重い夜霧に包まれた広場の一角へと、二人を導くように一歩を引いた。
ドイルが掲げるランタンのぼんやりとしたオレンジ色の灯火が、闇と夜霧の中に沈んでいた第四の遺体の姿を、生々しく照らし出す――。
「……これは、さっきの『黒い服装の婦人』とは、明らかに組み込まれている歯車の精度(出力)の桁が違うね。東国のドクター、君の目にはどう映るかね?」
ドイルはランタンの火を極限まで遺体へと近づけ、衣服の裂け目から覗く真鍮の駆動パーツを見つめながら、元医師としての鋭い視線で立派な口髭を引き締めた。
「いいえ、文豪先生。歯車の精度が違うのではありません――犯人がこの二つの事件で【試したかった実験の方向性】そのものが、根本から違っているのですよ」
白は白衣のポケットに手を突っ込んだまま、ルビーの瞳をかつてないほど冷酷に鋭く尖らせ、その冷たい金属の輝きをスキャンするように見つめた。
「先ほど輝夜様が力技で機能停止させたあの個体(第三の事件)は、殺害直後の死体に爆速で歯車を埋め込み、どれだけ素早く自立兵器として稼働できるかという『駆動時間』の実験。……対してこちらは、人間の肉体をどこまで精密にパーツ解剖し、その奥にどれほど滑らかに回路を噛み合わせられるかという、恐るべき『切開技術』の実験です。いけませんね。犯人はこのロンドンの夜霧を、己の狂った超科学の『実験場』として完全にハッキングしていますよ」
白の冷徹極まりないプロファイリングの言葉に、アバーライン警部補だけでなく、ドイル先生さえも背筋に冷たい戦慄の歯車が走るのを止められなかった。
だが、東国の天才医師の解剖は、まだ終わっていなかった。
白はピンセットを握る白い指先を、凄惨に切開された遺体の奥へと滑らせた。ランタンのオレンジ色の灯火が、その『決定的な違和感』を不気味に浮かび上がらせる。
「東国のドクター、どうしたのかね……?」
「この遺体――単に切開実験を施されただけではありません。内臓の最重要パーツ……【左の腎臓】を構成する肉体と、そこへ噛み合わされていた真鍮のメイン回路そのものが、跡形もなく、綺麗に切り取られて『持ち去られて』いますよ」
「なんだって……!? 臓器を……盗まれたというのか!?」
アバーラインが顔を青白くさせて絶叫する。
「待て、東国のドクター。犯人は……被害者の身体から『臓器の一部を持ち去っている』というのか……? だとすれば、ふむ。過去の事件ではどうだったのだね? 先の第二の事件の検死記録でも、確かヤードの報告書には不可検な空隙(パーツの欠損)があったはずだ……!」
「さすがですね、文豪先生。その通りです。アニー・チャップマンの遺体からは【子宮】が持ち去られていました。いけませんね。単なる猟奇殺人などではない。犯人はあらかじめ明確な目的を持って、被害者たちの肉体から、特定の『パーツ(臓器)』を摘出し、収集しているのですよ」
夜霧に包まれたマイター・スクエアに、二人の天才医師が暴き出した最悪の『不気味な共通点』が静かに落ちる。
次にいつ、どの臓器が狙われるか分からない、底知れない緊張感の始まりを予感させながら――。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
なんというか、かるーい気持ちで19世紀ロンドンのスチームパンクものを、と思っていたのですが、切り裂きジャックを題材にすると、ここまで暗い内容になっていくのか、と。
切り裂きジャックが関与したとされる被害者はカノニカル・ファイブと呼ばれる5人ですが、なかでもこの第4の殺人、キャサリン・エドウッズに関しては、遺体の損壊度が酷いらしく。
Wikipediaでも写真には【閲覧注意】の注釈がなされるぐらいです。
とはいえ、『お前が始めた物語だろ!』ということで、完結までエタらずつき進んでいきますね。
最後までお付き合いいただけると助かります。
次回、第25話(第2章11話)。
事件はここから、不気味なまでの「沈黙の10月」の膠着期間へと突入します。
次の惨劇への緊張感が張り詰めるなか、特務機関のアジトで白先生の持ち帰った臓器パズルの解剖、そしてヤードが無能にも発見して秒速で消去してしまったという『ゴールストン・ストリートの謎の落書き』を巡る、水面下の最高に知的な情報戦・プロファイリングが幕を開けます!
どうぞお楽しみに! 評価やブクマ、感想などもいただけると、白先生が白衣のポケットから手を抜いて、皆さんのための最高の検屍報告をパチパチと文字盤に刻み込んでくれるかもしれません!




