『夜空に舞う黒の刺客!これは第三の事件!?――もうちょっとだけ続くのじゃ!』
「音がしたわ! あっちよ!」
アリス王女がふんす! とツイードの鹿撃ち帽を抑えながら、夜霧の奥へと白い指先を指し示す。
腰の【宝剣ヴォーパル】の柄に手をかけ、凛々しくも元気いっぱいの突撃態勢。
――だが。
「何を言っておるのじゃ? そちらではない。ほれ、こっちじゃ」
輝夜は、アリス王女が指す方向とは全く正反対を指す。
背中に背負った巨大な《御手杵》を両手に持ち直し、金色の瞳で夜の闇を堂々と見据える。
「レディ、大変言いにくいのだが、こちらではないか?」
ドイルはさらに違う方向を指さす。
ランタンを持たないほうの手で誰もいない闇の路地を大真面目な顔で指し示していた。
「……はえ?」
「のじゃ?」
「――ふむ」
三人が見事なまでにバラバラの方向を差し、夜霧のなかでフリーズする。
決して彼女たちの脳細胞がまとめてポンコツになったわけではない。
大英帝国の首都を包み込むあまりにも重く深い夜霧が、音の波形を壁や粒子に乱反射させ、彼らの鋭い五感(方向感覚)を完全にバグらせていたのだ。
決して彼女たちの脳細胞がまとめてポンコツになったわけではない。
ポンコツになったわけではないのだ!!
完全に噛み合わない三人のラリーを前に、白は白衣のポケットに手を突っ込んだまま、ハァ、と小さくため息を吐き出した。
ルビーの瞳を鋭く細め、ロンドンの重い夜霧そのものを解剖するように見つめる。
「ホワイトチャペルのこの密集した煉瓦の建物。そして夜の闇をさらに深く覆うこの霧。そんな状況であるならば、音が乱反射することぐらい、少し考えれば判るではないですか。その、首から上に付いているのは帽子掛けですか?」
ロンドンの深い霧に覆われた夜に辟易としていた白は、なかば八つ当たりのように、緊張感のない三人に向けて辛辣な言葉を投げる。
「あら、白先生も、このツイードの鹿撃ち帽が気に入った? 今度プレゼントしますねっ!」
アリス王女はふんす! とない胸を張ったまま、青い眼をきらきらと輝かせて満面の笑みを浮かべた。
どんなに八つ当たりの嫌味を叩き込まれようとも、彼女の限界ミーハーな脳内回路には1ミリのダメージも通らないのだ。……無敵か?
「なんだか、癖になってきてしまいそうだ」
「……は?」
レジェンド文豪までが分厚い胸板をほんのり震わせて危険な領域へと足を踏み入れ、白先生がルビーの瞳をかつてないほど本気で引き気味に点滅させた、まさにその刹那だった。
白がその流麗な指先を、三人が指差したどの方向でもない、自分たちの真上へと冷徹に突き上げる。
ギチギチギチギチギチッ!!!
街灯の届かない薄暗い煉瓦壁の上――。
そこから、黒い服装に身を包んだ婦人が、およそ人とは思えぬ音を響かせながらアリス王女の頭上から、猛然と組み敷こうとしてきたのである!
「よいっしょーーっっ!」
チィン!
アリス王女の右手が薙ぐ。
本能のままに抜かれた宝剣が、謎の刺客からの攻撃を防ぐ。
夜霧と闇を切り裂いて放たれた、黒い婦人の【硬質な爪】。
それを、アリスが抜き放った【宝剣ヴォーパル】の白銀の刃が、コンマ数ミリの火花を散らしながら完全に正面から弾き返したのだ。
「よく防いだ、レディ! あとは任せなさい……いや、相手もご婦人ではないか!」
ドイルはボクサー並みの拳を構えてアリスの前に割って入ったものの、その刺客が『黒い服装の婦人』であると認識した瞬間、自身の騎士道精神に則って凄まじいブレーキがかかる。
そして、フリーズ。
大英帝国の筋金入りの紳士として、いかに襲撃者とはいえレディにマッスル(拳闘)を叩き込むなど、彼の倫理回路が全否定したのである。
「――ふん。情けないのぅ偉丈夫よ。敵を前にして何をのんきに呆けておるのじゃ。白の手前、危険は排除するのじゃ!」
紳士が夜霧のなかでオロオロと拳を泳がせた、まさにその隙に。
輝夜が自身の背丈を遥かに超える名槍《御手杵》を、その重厚な鞘にのままに電光石火の速度で一閃させる。
「白に怒られてしまうからの。半殺しで許してやるのじゃ」
バコォォォーーン!!!
顔面に名槍の鞘がクリティカルヒット!
輝夜の宣告と共に、棍棒もかくやという質量の『熊毛の鞘』が、猛烈な風切り音を置き去りにして黒い婦人の横面へと完璧なカウンターで叩き込まれた。
ギュルギュルギュルギュルッ!
錐揉み回転しながら吹き飛んだ、女性の姿の刺客は――そのまま壁に激突して動かなくなる。
「輝夜様。自分で言うのもなんですが、今のを半殺しと呼ぶのはいささか無理があるかと」
「むぅ。白。刺客からの襲撃から守ったのじゃ。お小言ではなく、少しは褒めてほしいのじゃ」
「はいはい、えらいですえらいです。少し確認したいことがあります。文豪センセイ、ランタンを近づけていただいてもよろしいですか?」
大物文豪コナン・ドイルは自分の扱い(人間照明スタンド)の雑さに口髭をヒクヒクと震わせつつも、レディの頼みとあっては断れず、おずおずと片手のランタンの火を、ピクリとも動かなくなった黒い衣服の婦人へと近づけた。
ぼんやりとしたオレンジ色の灯火が、闇と夜霧の中に沈んでいた刺客の姿を、生々しく照らし出す――。
「これは……なんとも悍ましい。ご婦人の身体をこのように弄ぶとは。真犯人はおよそ、人命への尊厳など、持ち合わせてはいないのだろうな」
ランタンの光のなか、婦人の破れた黒いジャケットの隙間から覗いたのは、血の通った筋肉などではなく、ギチギチと冷たく噛み合う真鍮の歯車と回路であった。元医師でもあるドイルの瞳に、レディを弄ぶ猟奇の黒幕への激しい憤怒の炎が宿る。
「……ええ。おやおや、驚いたことに、まだ完全に死後硬直すら始まっておらず、わずかに生体反応が残っていますね。いけませんね」
白はルビーの瞳を細め、その婦人の手首に流れる不気味な駆動振動を指先でなぞりながら、冷ややかに呟いた。
「これは過去の遺体などではありません。ヤードにあの不遜な手紙(犯行声明)が届いた直後――まさに今夜、ほんの数十分前に殺害され、その直後に真鍮の歯車を埋め込まれて兵器として射出された、リアルタイムの『第3の被害者』そのものですよ」
白の冷徹な医学的看破の言葉が、夜霧の路地に厳かに響き渡る。
「さて、ヤードの警官にも立ち会ってもらわないといけなくなりましたね。この場所はいったい――何処なんです?」
キョロキョロと見回す白。
東国から来たばかりの彼女には、ホワイトチャペルの土地勘が全くない上に、この一寸先も見えない闇と深い夜霧の中にあっては、自分たちが今スラムのどこに立っているのかなど分かるはずもなかった。
「ここはダットフィールズ・ヤードだな。すぐ目の前に国際労働者教育クラブがある」
ドイルがランタンの光を周囲の暗い煉瓦壁へと向けながら、大物文豪ならではの冷静な観察眼で即座に現場の地名を紡ぎ出した。
第24話、お読みいただきありがとうございました!
さて、切り裂きジャックの第三の事件、被害者はエリザベス・ストライドと言います。
この婦人、生前にテムズ川の外輪客船「プリンセス・アリス号」の遭難事故の被害者とのこと。
この事故で夫と子供2人を亡くした、と語っていたと伝えられています。
そして今回の事件では、奇しくもアリス王女が首を突っ込んで引っ掻き回している、という因果に、ちょっと驚きました。
被害者は発見当時、ダットフィールズ・ヤードの壁に頭を向けていたとのこと。
また、前歯を失っていたとのことで、その発見時の状況になるような工夫をしました。
次回、第25話(第2章11話)。
切り裂きジャックの第三の事件は、第四の事件と同時に起きる『ダブル・イベント』となります。
なので、今回のサブタイトル、【もうちょっとだけ続くのじゃ!】は、ここから数百メートル離れた別の広場で起きます。
ガル卿の本命である『第4の事件』への連続特コウ(全力疾走)が幕を開ける!
どうぞお楽しみに!
評価やブクマ、感想などもいただけると、輝夜の天下名槍のもふもふの鞘で皆さんの日々の疲れを顔面クリティカルヒット(優しく半殺し)で吹き飛ばしてくれるかもしれません!
――飛ぶぜ。




