『無名の名文豪はストーカー!?――お忍び王女、イケナイ発言大連発!』
バタン、と詰所の薄暗い木製のドアが静かに開け放たれた。
「――まったく。淑女の方々が探偵ごっことは。頭が痛くなる」
静まり返る自警団の詰所に、やれやれと肩をすくめた低い声が厳かに響き渡る。
驚いて全員が振り返ったそこには、コートの襟を立て、立派な口髭を揺らしながら歩み出てきた大柄な紳士――コナン・ドイル先生が立っていた。
「なんじゃ? この偉丈夫は?」
東国の姫君としての武人の本能が、男のコートの上からでも分かるボクサー並みの分厚い胸板を鋭く捉える。
だが、そのお輝ちゃんの言葉を聞いた瞬間、隣にいたお忍び姿のアリス王女が、信じられないものを見るかのようにその青い瞳を限界まで丸く見開いた。
「はえ? 輝夜ちゃん、ドイル先生を知らないの!? それでよくこの大英帝国で生きていけるわね!?」
「……いや、アリスくん。輝夜様は東国から来たばかりの使節団の身ですし、そもそもその文豪先生の知名度はまだそこまで義務教育レベルの常識ではありませんよ。いけませんね。脳細胞のゼンマイと一緒に一般常識まで吹き飛んでしまいましたか」
白衣のポケットに手を突っ込んだままの白先生が、死んだ魚のような目で即座にアリス王女へと冷徹なツッコミを叩き込む。
「いや、東国のドクターの言う通り、私はただの一介の眼科医であり、手慰みに娯楽小説を書いているだけの男なのだがね……。というか、なぜお忍びのつもりでいるレディが、1キロ先からでも街灯の光に乱反射して視認できるほど巨大な『熊毛の鞘(名槍)』を堂々と背負って夜のロンドンを闊歩しているんだね? 尾行の難易度が児戯にも等しかったよ」
大物文豪がやれやれと溜息を吐きながら、自身の完璧な追跡劇を自白した、まさにその瞬間。
輝夜が自身の背丈を遥かに超える《御手杵》の熊毛の鞘をぴくりと揺らし、その満月のように光る金色の瞳で、ドイル先生をビシッと指差した。
「――なるほど。つまり、こやつが黒幕(犯人)、というわけじゃな?」
「わ、私をあのホワイトチャペルの猟奇殺人鬼と一緒にするかね……!? 私はただ、心配になって後を追ってきただけで――」
筋金入りの紳士が口髭を震わせて絶句した次の瞬間、金髪のファンガールがドイル先生を庇おうと、凄まじいハリケーンとなって割り込んだ。
「ちっがーう! ドイル先生がストーキングなんて真似をしていることにはびっくりしたけど、それは探偵としては常識も常識! もうマリファナもアヘンも常識ーーーーッ!!」
「……レディ」
守るべき対象から、自分の脳内に身に覚えのないアングラな悪癖(※小説のホームズの嗜好設定)を100%全肯定の笑顔でぶち撒けられ、コナン・ドイルは本気で眩暈を覚えたようにこめかみを押さえた。
「アリスくん……それは『おうじょ』――いえ、『淑女』として口にしてはいけないレベルの問題発言ですよ」
白衣のポケットに手を突っ込んだままの白先生が、本気で辟易とした目で、しかしお忍びの正体がバレそうになった言葉のネジを爆速で巻き直してツッコミを叩き込んだ。
これ以上、この金髪の暴走助手に大英帝国の禁忌を叫ばせるわけにはいかなかったのである。
「あの、探偵さま?……そのぅ。そちらの、口ひげを蓄えたマッスルな紳士は、どちら様で……?」
四人のやり取りを遠巻きに見ていた自警団の者たちだったが、リーダーとおぼしき男がおずおずと尋ねてくる。
輝夜の威嚇で腰を抜かした彼らにとって、深夜の詰所に突如現れたその大柄な男のガタイ(フィジカル)は、ただの不審者というには威圧感が高すぎたのだ。
「もー! どうしてロンドンの『下町っ子』が知らないのよ!」
なぜか、本人よりもアリスが悔しそうに地団太を踏む。
大英帝国の首都ロンドン、しかもその生粋の下町(東エンド)に住んでいながら、今をときめくホームズの生みの親を知らないなんて、お前たちは本当にロンドン市民なのかと理不尽にキレ散らかしているのだ。
インバネスコートの裾をパタパタさせ、ツイードの鹿撃ち帽を抑えながら悔しがるその姿は、完全に自分の推し(レジェンド)の知名度が低くて荒れている厄介なファンそのものであった。
「いや、だからお嬢さん、私はまだ『ストランド・マガジン』で数本短編を書いたばかりのしがない眼科医なのだから、東エンドの彼らのような労働者層が知らないのは当然なのだがね……」
ドイル先生はやれやれと立派な口髭を撫でながら苦笑いすると、組んでいた腕をほどき、自警団の男たちへと向き直った。
その仕立ての良いコートの襟を正し、朗々と、しかし筋金入りの紳士としての低い声を響かせる。
「私はアーサー・コナン・ドイル。――そこの、お忍びの概念が色々と狂っている可憐なレディたちの、ただの心配性なオブザーバー(監視役)だよ。……自警団の諸君。彼女たちが『ホワイトチャペル殺人事件』の警護顧問を引き受けたというのは、本当かね?」
「は、はい! そのお着物のお嬢様の槍(鞘)が凄まじすぎて、ぜひ夜回りの特別顧問にと平伏して頼んでいたところでして……!」
ラスクたちがコクコクと必死に首を縦に振る。
ドイルは振り返り、お輝ちゃんの背中の巨大な《御手杵》の『熊毛の鞘』、そしてアリスの腰の【宝剣ヴォーパル】を見つめる。
そしてフッと不敵に、しかしどこか過保護な大人の笑みを浮かべた。
「なるほど。だが、いくら腕が立つとはいえ、これほど美しい令嬢がた(レディ)を、物騒極まりないホワイトチャペルの夜の闇に放っておくわけにはいかないからね。――我が大英帝国の騎士道精神の名において、私もその夜回りの警護(探偵ごっこ)に、同行させてもらうとしようじゃないか」
大物文豪が完璧なナイトとしての格好よさを見せつけた、まさにその直後の静寂。
「おやおや、高名な文豪先生。私どもの可愛いお忍び(?)をストーキングした挙句、今度は夜回りへの乱入ですか。いけませんね」
白衣のポケットに手を突っ込んだまま、白はルビーの瞳を実におかしそうに細めてぼそりと呟いた。
「……まあ、物騒極まりない夜霧のなかで、そのゴリラ並みの筋肉がレディたちを守る盾の代わりに役立つのであれば、一介のオブザーバーとして同行を許可してあげなくもありませんがね?」
「ははは、東国のドクターから随分な高評価をいただいたものだ。頼もしい盾になってみせるとも」
白の極上のドSマウントを、ドイル先生は大人の余裕の笑みでカラリと受け流す。
その横で、輝夜は金色の瞳を爛々と輝かせると、口元を隠しながらフッと喉を鳴らした。
「ふふ、白に妾の真の武勇を見せる絶好の機会じゃな。夜霧の悪鬼とやら、どこからでもかかってくるがよいのじゃ」
「はわわわわわっ! ドイル先生とご一緒の夜回り!? これってもしかして、ファンサービスってやつ!?」
アリス王女がインバネスコートの裾をパタパタさせ、両手を頬に当てて限界オタクの悲鳴を上げる。
そんな不敵な一同を見て、完全に腰を抜かしていた自警団の男たちも、「あ、ありがとうございます、探偵様、ドイル先生……っ!」と涙目で平伏し、夜回りのランタンの準備を始めるのだった。
第22話をお読みいただきありがとうございました!
自警団の詰め所に再び現れた、コナン・ドイル先生!
今の日本人でこそ、コナン・ドイルの名やその代表作「シャーロック・ホームズ」シリーズを知らない人はいないでしょう。
しかし、当時の日本はおろか、本場ロンドンですら、その作品を知るのは中流階級以上。
下町の労働者などは、識字率すらも怪しかったわけです。
そんな輝夜や下町っ子たちに力説するアリス王女ですが、擁護の方向性を誤って、なかなかに毒のあるセリフになってしまいました。
(ちなみにアリスの叫んだ「アヘンも常識!」という問題発言は、シャーロック・ホームズが作中で『コカインの7パーセント溶液』を愛好していたという超有名な原作設定を、限界オタクの彼女が盛大に勘違いしてドイル先生本人にぶち撒けた……という原作オマージュだったりします。ドイル先生、本当にごめんなさい!)
次回、第23話。ヴォーパル・バニー、そしてドイル先生を加えたホワイトチャペル自警団。
そんな彼らをあざ笑うかのように事件がまたまたまたまた、起きる!?
どうぞお楽しみに! 評価やブクマ、感想などもいただけると、ドイル先生の代わりに作者がファンサービスするかもしれません。
え?
要らん?
帰れ?




