『驚愕の事実!?大文豪先生、脳筋にしてスピリチュアル!』
「……人間に、こんなことが出来る膂力などあるわけがないですよ」
その呟きを、ドイル先生の鋭い耳が拾う。
「いや? 私なら可能だな」
「――は?」
「なにしろ私はボクシングとクリケットで鍛え上げていてね。私ほどの筋力があれば、この程度の切開、人間の腕力でも十分に再現可能だとも」
大人の余裕をこれでもかと引っ提げ、満足そうに口髭を撫でる大柄な文豪。
だが、その見下ろされたちんまりとした最高検屍顧問――稲葉白のフリーズが解けた瞬間、ルビーの赤い瞳がかつてないほど冷ややかに細められた。
「……あの、文豪先生。私は解剖医学の『論理』の話をしているのですが。なぜそこで自分のゴリラ並みの筋肉を引き合いに出してくるのですか。いけませんね。脳細胞まで真鍮でできているのですか」
白の本気であきれ果てた毒舌ツッコミが朝の濃霧に響く。
だが、その筋肉マウントの言い合いを余所に、一介の助手――アリス王女はふんす!と激しく鼻息を荒くして両手を腰に当て、ドイル先生へと詰め寄った。
「そうなのよドイル先生! だからあのお気の毒なお兄様(エディ王子)に、そんなゴリラみたいな膂力があるわけないのよ! この間なんて、お兄様ったら侍女に隠れてシャツを洗ってたのよ! どうしたのか聞いたら、『テムズ川があまりにもキラキラ輝いていて、気付いたら服のまま泳いでいた』ですって! 『侍女には黙っていてくれよ?』って情けない顔で口止めされたけど、その夜に本人が高熱を出して速攻でバレてたのよ!? 信じられる!?」
アリス王女の身振り手振りを交えたおマヌケ暴露は止まらない。
「それにね! 私がお兄様のお菓子をつまみ食いしたら、お兄様ったら『おやおや、妖精さんが来て食べてしまったのかな?』なんて言うのよ!? そんなお人好しで抜けたお兄様が、凶悪な殺人鬼なわけがないじゃない!」
次期国王候補のあまりにもトホホすぎる日常を、これ以上ないドヤ顔で語りきったアリス王女。
しかし、行き過ぎた騎士道精神を誇る高名な文豪は、その立派な口髭の奥から、驚くほど真剣な、ガチのトーンで言葉を返した。
「……妖精なら、いるが?」
「へっ?」
アリス王女は、ジャーン!とポーズを決めていた両手を挙げたまま、完全に脳の駆動が停止してポカンと口を開けた。
お兄様のマヌケさを証明する完璧な計算だったはずが、目の前のレジェンド文豪が、まさかの本物のオカルト・スピリチュアル脳だったという想定外の壁。
完全に噛み合わないハチャメチャな二人のラリーを前に、白はハァ、と深いため息を吐きながらパカッと銀の懐中時計を閉じた。
ルビーの瞳に宿るのは、もはや哀れみすら通り越した圧倒的な虚無である。
「これは、ベドラム行きのほうがよろしいかもしれませんねぇ」
「お、おい東国のドクター、私は至って大真面目なのだよ!? 妖精は実在するし、なんなら私は将来、彼らの写真の正当性を証明する論文(コティングリー事件)すら書くつもりなのだが――」
「はいはい。筋肉の次は、脳細胞のゼンマイから妖精さんでも飛び出してきましたか。いけませんね。これ以上パズルのノイズ(狂人)に付き合っている暇はありません。アリスくん、検屍(ピース回収)は完了しました。ヤードの優秀な警部補殿の胃壁が本当に消滅する前に、戻りましょう」
白はパチリ。と懐中時計の蓋を閉じる。
「それではアバーライン警部補殿、文豪先生。私どもはこれにて失礼いたします。妖精さんの論文、楽しみにしておりますよ」
「ごきげんよう、アバーランド警部、そして大英帝国の偉大なる文豪のドイル先生。新作、楽しみにしてますね!」
白は実におかしそうにルビーの瞳を輝かせると、仕立ての良い白衣の裾を小さく指先で摘まみ、そっと淑女の礼を取った。
アリス王女もそれに合わせるように、インバネスコートの裾を上品に摘まんで、ジャーン!と決めたポーズからくるりと優雅に一礼する。
「だから、アバーライン、それに警部ではなく警部補……」
朝の濃霧が漂うハンベリー・ストリートの裏庭に、ひらひらと可憐なドレスの残像を残すようにして、東国の天才医師とお忍びの助手(王女)は流麗な足取りで現場を辞していった。
残されたドイル先生は、呆然と口髭を震わせながらも、彼女たちの卓越した手際、そしてアリス王女の漏らした「お兄様の無実」という言葉の裏にある、大英帝国を揺るがす真の闇に、小説家としての本能をギラリと燃え上がらせるのだった。
◇
ランベス区の煉瓦造りのアジト。
夜明けのホワイトチャペルから高速離脱したアリス王女たちがドアを開けると、冷え切った部屋の中には、すでに香ばしいアールグレイの紅茶の香りが満ちていた。
「おかえり、二人とも。パズルの回収(検屍)は無事に終わったようだね」
新聞を丁寧に折り畳み、ティーカップをソーサーに戻したのは、黒髪の少女――アリス・リデルだった。
紫と緑のオッドアイを冷たく細め、僕っ娘司令塔としての理知的な視線を、戻ってきた二人の青い瞳と赤い瞳へと向ける。
「ただいまアーちゃん! 本物のドイル先生にお会いできて大感激の特コウ(特攻)だったわ! でもあの先生、お兄様と同じくらい頭の中に妖精さんが住み着いているオカルトおじ様だったのよ!?」
「いやはや、大英帝国の誇る脳細胞は、随分と長閑を通り越して精神病院送り寸前のようですね。アリスくんのポンコツお兄様と同レベルの変人が朝霧を這い回っていましたよ」
現場でのハチャメチャな知恵比べを思い出し、白先生がハァとため息を吐くなか、アリス・リデルは冷めた紅茶を見つめながら、トントンと白い指先で机を叩いた。
「お喋りな文豪のことは後回しにしよう。……それよりも白、第二の遺体の回路の構造はどうだった?」
「ふむ。やはり、最初のパズル(ポリーの歯車)とは構造の次元が違いました。あの真鍮の回路は、被害者が絶命する瞬間の『恐怖の心音』をゼンマイに記憶する、二連式の時計仕掛け(ダブル・ギミック)でしたよ」
白先生が現場からピンセットで爆速回収してきた、歪んだ真鍮のギアの破片を机の上にコト、と置く。
アリス・リデルはその削り出しの癖をオッドアイで見つめながら、不気味に、しかし確信に満ちた笑みをその唇の端に浮かべた。
「……なるほどね。事件を追うごとに、真犯人の造る回路が『進化』しているわけだ。市井の新聞がヤードの無能を叩くスピードの異常さといい、このパズルをプログラミングしている黒幕は、僕たちの想像以上にロンドンのあらゆる歯車を掌握しているらしい」
アリス・リデルは冷めた紅茶のカップをソーサーに置くと、紫と緑のオッドアイを冷酷に細め、不敵な笑みをその唇の端に浮かべた。
「面白いじゃないか。大英帝国の全ての歯車を狂わせるのが先か、僕たちがその黒幕の首根っこをハッキングして強制停止させるのが先か――次のパズル、どちらが勝つか知恵比べといこう」
第20話をお読みいただきありがとうございました!
ドイル先生の筋肉自慢に続く、まさかの「スピリチュアル(オカルト)脳」の暴露回でしたが……いかがでしたでしょうか?
アリスが「お兄様はおマヌケさん(妖精さん信者)だから犯人なわけないでしょ!」という証明のために語った可愛いお菓子つまみ食いエピソード。
それに対し、大物文豪が真顔で「……妖精なら、いるが?」と全肯定してアリスを「へっ?」とフリーズさせるやり取り、書いていて最高に楽しかったです(笑)
実はこれも本作のガチの歴史こだわり裏話でして、シャーロック・ホームズという至高の論理的探偵を生み出したコナン・ドイル先生ですが、プライベートでは筋金入りのオカルト信奉者。
晩年には「コティングリー妖精事件」という、捏造された妖精の写真を本物だと本気で大擁護して世界中に大騒動を起こしたという、凄まじい史実のギャップ(狂気)を持っていたりします。
ちょうど、「名探偵プリキュア」でも引き合いに出されたエピソードですね。
筋肉の次は脳細胞から妖精さんが飛び出してきた文豪に対し、白先生がルビーの瞳を完全な虚無にして「ベドラム(ロンドンの有名な王立精神病院)行きのほうがよろしいかもしれませんねぇ」と冷ややかに引導を渡すブラックユーモア、大英帝国の歴史に根差したお気に入りの一撃です。
そんなハチャメチャな知恵比べの末に、アジトへと持ち帰られたアニーの『二連式時計仕掛け回路』。
事件を追うごとにジャックの機械が時計の進化の歴史を辿って不気味に進化しているという真実を前に、司令塔アーちゃんが「知恵比べといこう」とニヒルに笑ったところで改ページです!
次回、第21話。大英帝国のすべての歯車を狂わせんとするマッドサイエンティスト(ガル卿)の闇に、特務機関が本格的なハッキング(反撃)の火蓋を切ります!どうぞお楽しみに!
評価やブクマ、感想などもいただけると、アリス王女が「ジャーン!」と可愛くポーズをキメて、皆さんのもとへ新作のエールを贈りに行ってくれるかもしれません!




