『見てくださいこのインバネスコートと鹿撃ち帽!――ミステリー界の巨匠、怪事件に参入!?』
「――ふむ。やはりおかしいですね。ただ大動脈の脈動を吸うだけだった最初の回路とは、構造の次元が違います。この回路は、被害者が絶命する瞬間の『恐怖の心音』をゼンマイの回転エネルギーに変換して記憶する、最悪な学習機能を搭載し始めていますよ」
ヤードの警察医たちが、東国から来た天才医師のあまりに異質で鮮やかな看破に恐怖し、静まり返ったまさにその時。
「――このような猟奇的な殺人現場に、麗しい令嬢がたがいるとは。――ここは危ない。安全な場所に行きなさい」
突如、朝の濃霧の奥から、低くよく響く男の声が掛けられた。
驚いて全員が振り返ったそこには、朝の澄んだ光を背に受けて、ぬっと現れた一人の大柄な紳士が立っていた。
仕立ての良い上質なコートを着込み、立派な口髭を蓄えたその男は、朝だというのに暗い日陰を調べるためのランタンを片手に掲げ、険しい顔でアリス王女たちを見下ろしている。
その行き過ぎたまでの騎士道精神ゆえに、彼は凄惨な現場に少女たちが佇んでいる異常事態を看過できなかったのだ。
「だ、誰だ貴様は! 一般人がなぜ警察の規制線を突破してここに――」
徹夜明けの警官たちが慌てて飛び出そうとした瞬間、アリス王女の動きがピタリと止まった。
その青い瞳が、これでもかと限界まで丸く見開かれる。
アリス王女は自分のポケットにある、さっき掠め取ってもらった号外の【「著者近影」の口髭の挿絵イラスト】と、目の前の立派な口髭を蓄えた紳士の顔を何度も交互に見比べた。
そして――。
「ひゃあああああああああーーーーーっ!!!」
スピタルフィールズの朝の濃霧を一撃で吹き飛ばすような、凄まじい大音量の黄色い悲鳴が響き渡った。
あまりの衝撃に、ただでさえ限界を迎えていたアバーライン警部補の胃がビクッと跳ね上がる。
「ど、ど、ど、ドイル先生!? 本物の、あの『シャーロック・ホームズ』の生みの親の、アーサー・コナン・ドイル先生じゃないのーーー!?」
アリス王女はバッと外套を翻すと、信じられないほどの猛スピードでドイル先生へと突撃し、その仕立ての良いコートの袖を掴んでぶんぶんと激しく揺さぶり始めた。
「れ、レディ、落ち着きなさい! コートの袖がちぎれる! ――というか、守るべきレディがなぜ私にダイレクトアタックを……!?」
「やっぱりホームズは実在するのね! 見てください、私のこの服装! ツイードの鹿撃ち帽にインバネスコート! この日の為に揃えておいて良かったわ!」
そういうと王女はインバネスコートの裾を翻し、くるり。と回り、「ジャーン!」とばかりに両手を挙げて、頭の上の鹿撃ち帽を誇らしげにツンツンと指差した。
ホームズに憧れすぎて昨日アジトのクローゼットから引っ張り出してきた、気合100%のファンガール正装である。
「いや、ホームズは私の生み出した虚構なのだがね……!? 第一、あの手慰みに書いた娯楽小説が、望外の反響でね。そのせいか、『あの事件も、この事件も、ホームズに解決させてくれ』と、私に連絡が来るぐらいだ。」
「特に、ホワイトチャペルで立て続けに起きる怪事件に対しては、読者の声が一番大きく、無視できぬものだった。なにより――」
「被害者はご婦人がただと言うではないか。――ならば、自らが捜査に乗り出すにやぶさかではない、と思ったのだよ」
行き過ぎたレディ・ファーストを誇る高名な文豪は、ただの熱烈ファンと化した王女殿下の様子にたじろぐも、すぐに立ち直って、この場に来た理由を語る。
そんなレジェンドの熱弁を余所に、白先生はアリス王女のほうへと視線を向ける。
「――ふむ。アリスくん。ホームズが実在するか否かの解剖も結構ですが、その高名な文豪先生の目の前で、お兄様の無実という『国家機密』を叫ぶのはいけませんね。……ヤードの優秀な警部補殿の胃壁が、今度こそ完全に貫通してしまいますよ?」
白衣のポケットに手を突っ込み、ちんまりと歩み出てきた稲葉白が、パカッと銀の懐中時計を閉じた。ルビーのような赤い瞳をおかしそうに細め、不敵な微笑を浮かべる。
白は仕立ての良い白衣の裾を小さく指先で摘まむと、ちんまりとした体をさらに沈め、流麗な動作で完璧なカーテシーをドイル先生へと披露した。
そして、周囲の警官たちに向けた「建前」の口上を、実になめらかに紡ぎ出す。
「東国の遣欧使節団の末席を汚す身であり、同時に――スコットランドヤードの臨時の最高検屍顧問、稲葉白です。――さて、ドイル先生。紙の上のインク(小説)だけで、この『二連式時計仕掛け回路』が解き明かせると思っていらっしゃいますか?」
白のちんまりとした、しかし底知れない医療の叡智を宿した挑発に、ドイル先生は口髭をぴくりと震わせ、すぐにニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
その瞳は、かつてエディンバラ大学で医学を修めた『実証主義の徒』の鋭さに切り替わっている。
「――ほう。挑むというなら受けて立とう、東国のドクター。ヤードの無能どもは、傷口の真鍮を見て『オカルトの呪いだ』などと頭を抱えているが、ノンセンスだ。この被害者の頸部の切り口、そして下腹部の凄惨かつ極めて正確な切開技術を見てみたまえ。……これは暗闇のなか、わずか数分の間に、迷いなく一撃で行われている。必要なのは呪いなどではなく、最高峰の教育を受けた外科医の解剖学知識だ」
ドイル先生はランタンの光を這わせながら、朗々と、しかし冷徹に現場を読み解き始める。
「一般の工場では手に入らない最高級オイルの匂い、そしてあそこに残された高級な機械の削り屑。……これらが示す犯人像は一つ。解剖学の最高峰の知識を持ち、なおかつ王室を自由に揺るがせるほどの高貴な身分、あるいはその身内の特権階級の人間だ」
ドイル先生のホームズ顔負けの鮮やかな実証推理に、警官たちが「おおおお……!」と一斉にどよめいた。
アバーライン警部補にいたっては、まさにアジトでアリス・リデルが看破した通りの『アルバート・ヴィクター王子(王女の実兄エディ)』への疑惑の核心をズバッと言い当てられてしまい、今度こそ本気で胃を押さえて顔面を蒼白にしている。
「どうだね、東国のドクター? 犯人は王室の影に隠れた、生身の『時計仕掛けの怪人』だ。私の紙の上のインク(論理)も、なかなかに現場の肉と骨を綺麗に解剖しているだろう?」
ドイル先生は大人の余裕で白先生を見下ろした。だが、白先生はその小さな唇の端をこれ以上ないほどおかしそうに吊り上げた。
「――くすくす。いやはや、さすがは高名な文豪先生。当たらずとも遠からず。……ですが、いけませんね、ドイル先生。君のその美しい論理は、たった一つの解剖学的事実の前にすべて瓦解するのですよ」
白の、ルビーのような赤い瞳が妖しく爛々と輝く。
「このアニーの傷口(二連式回路)に触れた私の指先は、人間特有の『生体反応(脈の乱れ)』を1ミリも感知していません。――つまり、彼女を切り裂いた怪人は、生身の人間(外科医)などではありません。あらかじめ何者かによって精緻にプログラミングされた、血も涙もない『鉄の暗殺人形』ですよ」
「……な、に……!? 人形だと……!?」
ドイル先生が驚愕に口髭を震わせる。だが、白はさらにため息交じりにポツリと呟いた。
「……人間に、こんなことが出来る膂力などあるわけがないですよ」
その呟きを、ドイル先生の鋭い耳が拾う。
「いや? 私なら可能だな」
「――は?」
第19話をお読みいただきありがとうございました!
「シャーロック・ホームズ」の生みの親、コナン・ドイル先生との遭遇劇、いかがでしたでしょうか?
今回のこだわり裏話(その1)ですが、白先生がアリス王女のことをあえて「アリスくん」と助手っぽく呼んでいたのは、お忍びの規制線内で周囲の警官やドイル先生に「プリンセス(王女殿下)」だと身元がバレないようにするための、彼女なりの完璧なカモフラージュ(建前)だったりします。(なお、アバーライン警部補の脳内では『さすがは女王直属の隠密部隊、完璧な隠蔽工作だ……!』と勝手に深読みされて胃壁が完全に貫通しております。合掌)
そしてこだわり裏話(その2)、ラストで「私なら可能だな」と豪語したドイル先生。読者様の中には「文豪が何を言い出すんだ(笑)」と思われた方もいるかもしれませんが、実は史実のドイル先生、身長180センチ以上、体重100キロ近くあったと言われる屈強な大柄の男で、ボクシング、クリケット、サッカー、ボディビルまでこなす超一級の武闘派だったんですね。
ホームズ顔負けの立て板に水を打つような爆速名推理(長セリフ)を披露したかと思えば、まさかの筋肉の説得力を引っ提げて白先生の「医学の論理」に真っ向から衝突してくるレジェンド。
脳細胞まで真鍮でできているかのような文豪を前に、あの有能な白先生が「――は?」と完全停止したところで次回へ続きます!
次回、第20話。
白先生の極上の毒舌ツッコミが炸裂し、さらにアリスがお兄様の「あのトホホなシャツ洗濯国家機密」をドイル先生のレディ・ファースト精神にぶち撒ける大爆笑の続きです!
どうぞお楽しみに!
評価やブクマ、感想などもいただけると、ドイル先生が立派な口髭を撫でながら、皆さんの守護騎士になってくれるかもしれません!




