『白亜の法廷の不敬罪!――王立裁判所に、王女の悲鳴が威厳なく響く!』
外へと勢いよく引き開けられた重厚な大扉。その向こう、広大な廊下から差し込むガス灯の逆光を背負って、一人の少女が悠然とそこに立っていた。
法廷内のすべての視線が、その影へと釘付けにする。
彼女がゆっくりと石畳を踏み締め、法廷内へと歩みを進めるたび、厳かな法廷の窓から差し込む薄日に映えて、絹のように輝く金髪ブロンドがさらり、と美しく流れた。
その身にまとっているのは、大英帝国の威信と圧倒的な気高さを体現した――さながら『クイーン・オブ・ハート(ハートの女王)』のごとき、鮮烈なる真紅の公式ドレスであった。
――バササッッ!!!
少女の姿が法廷の光の中に露わになったその刹那、右手側にいた東国の使節団――竹内氏、松平氏、そしてダボッとした白衣をまとう天才医・稲葉白の全員が、示し合わせたかのように完璧な一糸乱れぬ所作で床へと跪き、深く頭を垂れて威儀を正した。
それは、極東の誇り高き士族たちが、大英帝国の正統なる支配者へと捧げる、最大級の国家の最敬礼であった。
「な、何奴だ……!? な、何故お前たちが跪いている……!?」
傍聴席の特等席で、バルフォア子爵が血走った目を剥いて狼狽の声をあげる。
バルフォアからすれば、目の前に現れた真紅のドレスの少女は、東国の使節団を救うために現れた、どこの馬の骨とも知れぬ「生意気な小娘」にしか見えていなかった。だが、そのヘコヘコ集団と舐め腐っていた東国の高官たちが、自らのプライドを賭けて、その小娘を『王』として平伏して迎え入れている。その異様な光景に、悪党の背筋へ初めて冷たい戦慄が走った。
「おい、刑事ども! その不審な女を今すぐ捕らえ――」
「黙りなさい、バルフォア子爵」
低く、しかし凛とした氷のような鈴の音が、バルフォアの醜悪な怒号を完璧に遮った。
いつものお転婆で破天荒な少女の影はそこにはない。
アリスはさらり、と金髪ブロンドを揺らしながら、底冷えするような王族の威厳をその青い瞳に宿し、傲慢に声を張り上げる黒幕の顔を真正面から冷徹に見据えた。
「私の顔を知らないとは言わせないわ、バルフォア子爵」
「な、何を言うか! どこの誰とも知らん小娘の顔なんぞ、この私が覚えているわけが――」
「そうでしょうね。貴方がこの私を『知らない』はずがありませんもの」
アリスの声が、白亜の王立裁判所の白石の壁に、気高く堂々と響き渡る。
「使節団が到着した初日。バッキンガム宮殿の公式謁見の席で、母上――ヴィクトリア女王のすぐ横に座っていたこの私の顔を、大英帝国の貴族でありながら『忘れた』などという不敬は、断じて許されません」
「――ッ!?!?!?」
バルフォアの思考が、あまりの衝撃に真っ白にフリーズした。
汚職裁判長も、ヤードの刑事たちも、持っていたガベルや銃を床に落とさんばかりに口をあんぐりと開けて硬直する。
「……う、王女……殿下……!? まさか、第三王女アリス王女殿下であらせられるか……!?」
アリスは真紅の公式ドレスの袖を優雅に翻すと、懐から英国王室の精緻な紋章が刻まれた、重厚な羊皮紙の書類を差し出し、裁判長席の机へとドン!と冷たく叩きつけた。
「現在、母上はウィンザー城にて静養中。よってこの私、第三王女アリスが『女王代行』として、この王立裁判所の全権を一時的に差し押さえます。――裁判長。貴方が今しがた下そうとした不当な判決のスケジュールは、すべて白紙(無効)としなさい」
「はっ、ははっ……!!」
汚職裁判長は顔面を蒼白にし、椅子から転げ落ちるようにしてその場に平伏した。
「バルフォア子爵。貴方が昨晩、ヤードの私兵を使って『聖トーマス病院のナイチンゲール病棟を爆破・放火し、東国の医師ごとまとめて焼き殺せ』と命令を下したこと、先ほどの真鍮の蓄音機によって完全に証明されました。――ですが、貴方は特大の計算違いをしていたようですね」
アリス王女は真紅のドレスを翻し、冷徹に、しかし気高くバルフォアを見下ろした。
「我が大英帝国の英雄・ナイチンゲール代表は、この私の『看護の師』にあらせられるお方。そして運の悪いことに、昨晩その病棟には、弟子であるこの私も臨時の見習いナースとしてお泊まり勤務をしていたのですよ」
バルフォアの顔から、完全に血の気が引いた。
「大英帝国の王族である私の命を、そして我が国が世界に誇る高潔なる英雄(私の師)の命を、汚職警官を使って『まとめて灰にせよ』と直接命令を下したのです。……バルフォア子爵。これ以上の国家反逆、どのような言い逃れができるかしら?」
「あ、あ……あ、ア、アリス王女、殿、下っ……!?」
バルフォアは、自分が消そうとした「ただの東国の留学生や女医」の背後に、まさか本物の王女殿下本人が潜んでおり、自分の放った暗殺計画が「王女暗殺未遂および国家の英雄へのテロという一族郎党死刑レベルの大罪」にすり替わっていたという恐るべき事実にようやく気づき、ガタガタと全身を震わせながらその場にドサリと腰を抜かした。
「ヤードの刑事たち、バルフォア子爵を国家反逆罪の容疑で即座に拘束しなさい。逆らう者は同罪とみなします」
王女(女王代行)の絶対的な命令に、バルフォアの子飼いだった汚職刑事たちも一瞬で戦意を喪失し、「は、はいっ!」と大慌てで自らの主であるバルフォアに手錠をかけ、引きずるようにして法廷から連行していくのだった。
悪党どもが消え去り、静寂が戻ったウェストミンスター王立裁判所の第一法廷。
その中央で、死刑宣告の絶望から一瞬で無罪放免となった夏目金之助は、ついに緊張の糸が切れたようにその場にドサリとへたり込んだ。
「……あ、ありがたや、ありがたや……。世の中は、まるで『呑気と見える人々も、心の底を叩いてみると、どこか悲しい音がする』ものですねぇ……。アタシの心臓の底からは、今にも止まりそうな情けない音がチクタクと狂ったスケジュールで鳴っていますよぉ……」
情けなく前髪を濡らし、やせ細った身体を丸めて床に突っ伏す金之助。
「……ハァ。自分で言うのもなんですが、夏目殿」
最敬礼の姿勢からすっと立ち上がった白は、波兎と家紋の銀刺繍が入った大きな白衣のポケットに両手を突っ込むと、いつもの冷ややかなジト目を金之助へと向けた。
「のんきに見えるのは、今さっきまで大英帝国の支配者としてトーンを落としてドヤ顔をしていた王女殿下であって、貴方の底から響いているのは悲しい音ではなく、単なる『ヘタレの音』です。何はともあれ――チクタク、チクタク。これにて、夏目殿の冤罪という名の悪性腫瘍、1分の狂いもなく完璧に『診療完了』ですね」
「ちょっと、白先生! ドヤ顔だなんて失礼しちゃうわ! これでも一生懸命、母上の横にいた時の威厳を思い出して、背伸びして格調高く喋っていたのよ?」
バルフォアの前で見せていた冷徹な仮面を外し、アリス王女は真紅の公式ドレスを翻しながら 、いつものお転婆な調子でフンス!と誇らしげに鼻を鳴らした。
「でも、これで名探偵の完璧な大勝利ね! さあ白先生、夏目殿を立たせて、一刻も早くアジトへ帰りましょう! 私はもう、冷たい法廷の空気はお腹いっぱいよ。みんなで温かい勝利の紅茶(お茶会)を楽しまなくっちゃ!」
「あ、それとアリス王女殿下。自分で言うのも大変恐縮ではあるのですが」
白は、大きな白衣のポケットからスッと右手を出すと、カチャリと銀の懐中時計をパチリと閉じてアリスへと冷ややかなジト目を向けた。
「先ほど殿下は、法廷の全員の前で『私はナイチンゲール代表の一番弟子だ』と、堂々と公言なさいましたよね? ――おそらくボスは、その言葉を完璧な言質になさると思われますので、明日からの看護研修スケジュールに向けて、今から相応のご覚悟をされたほうがよろしいかと」
白の容赦のない未来予測スケジュール(忠告)に、アリス王女は「……あっ」と息を呑み、せっかくのドヤ顔をフリーズさせて冷や汗を流した。
前夜、深夜の病棟でランプを片手にしたボスに全員で涙目の正座をさせられた、あの恐怖の光景が脳裏をよぎったからである。
「もう、看護婦の研修なんてこりごりよおおおおおぉぉぉ!!」
威厳のある王立裁判所に、王女の悲鳴が威厳なく響くのだった。
この法廷シーン、「不思議の国のアリス」のワンシーンからインスピレーションを得ました。
そして、日本の時代劇の「暴れん坊将軍」や「遠山の金さん」のような展開にしたかった、というのもあります。
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