『白亜の王立裁判所!――真鍮の蓄音機(フォノグラフ)は悪の肉声を暴露する!』
辻馬車が行き交い、石畳がせわしなく鳴り響くストランドの街角。
そこに佇む王立裁判所は、古い中世への憧憬を宿したゴシックの皮を被りながらも、その実、世紀末のロンドンが到達した最高峰の近代建築であった。
落成したばかりの真新しい白石の壁は、煤煙に燻るロンドンの空の下で、どこか現実離れした輝きを放っている。
だが、その神聖なる第一法廷の内部では、正義とは程遠い『出来レース』が始まろうとしていた。
正面には、バルフォアの息がかかった汚職裁判官。
左手には、冷酷な笑みを浮かべるスコットランドヤードの刑事たち。
右手には、毅然とした態度で東国の誇りを胸に並び立つ、使節団のまとめ役たる竹内氏や松平氏、そして――三つ編みシニヨンの髪を揺らす天才医、稲葉白。
その対峙する両陣営の中央に、爆破テロの汚名を着せられ、憔悴しきってやせ細った夏目金之助が、頼りなげに背中を丸めた姿勢でポツンと立たされていた。
「……被告人、ナツメ・キンノスケ! 爆破テロの実行犯である明白な証拠(木札)に基づき、当法廷は汝に――」
「お待ちくだされ、裁判長! その木札が我が留学生の物だという確たる証拠はどこにある! まともな捜査もなしにテロリストに仕立て上げるなど、大英帝国の誇る正義とはその程度のものか!」
判決を告げる木槌が振り下ろされようとしたその瞬間、右手に控えていた使節団のまとめ役たる竹内氏が、凛とした袴姿で前に出ながら鋭い声を響かせた。
隣に立つ高貴な士族、松平氏もまた、バルフォア子爵を鋭い眼光で睨み据える。
「左様。ヤードの掲げる書類など欺瞞に満ちたものばかり。真犯人は別にいるはずだ!」
東国の大人たちの毅然たる抗議。だが、傍聴席の特等席に腰掛けたバルフォア子爵は、顔色ひとつ変えず、むしろ下卑た嘲笑を浮かべて悠然と立ち上がった。
「ハッ! 吠えるな、極東のヘコヘコ集団め。いつも我が大英帝国にはヘコヘコ頭を下げてばかりの連中が、一丁前に正義を語るか! 証拠などどこにもない。おい、裁判長! この不届きな東国の異分子どもを、生意気な大人ごと今すぐ偽証罪でヤードの監獄へぶち込んでやれ!」
バルフォアの汚職権力による傲慢な圧殺。
「うむ、バルフォア卿の言う通りである! 不当な不服申し立ては却下し、判決を――」
汚職裁判長が冷酷に言い放ち、万事休すかと思われたまさにその時であった。
「判決の前に、証拠品の提出を。――自分で言うのもなんですが、そのスケジュールは少々狂っていますよ」
白がすっと、両陣営の大人たちの間をすり抜けて前に進み出た。
波兎と稲葉家の家紋が銀糸で精緻に刺繍された、オーバーサイズの白衣をひらひらと揺らしながら、彼女は恭しく、いくつかの証拠品を載せた真鍮の盆を中央の壇上へと持っていく。
盆の上には、真鍮製の物物しい蓄音機と、そして――もう一つ、見覚えのある木札が載せられていた。
「裁判長、貴方が今しがた掲げたその証拠の木札。自分で言うのもなんですが……随分と、お粗末な偽物ですね」
白はルビーのような赤い瞳を冷徹に光らせると、盆の上から『本物の木札』をつまみ上げ、法廷の全員に見せるように掲げた。
「な、何だと……!? 木札が、二つある……!?」
どよめく法廷を前に、白は淡々と、しかし容赦のないロジックで言葉を紡いでいく。
「裁判長の手元にある偽物は、大英帝国のオーク材で作られています。しかし、我が国の国費留学生が身につける本物の木札は、すべて我が国特有の『檜』で作られているのです。――さらに言えば、偽物の木札に書かれた墨の文字。我が国の文字に不慣れな者が、見よう見まねでなぞって書いた痕跡が、筆跡のトメ・ハネのスケジュールから100%逸脱していますよ」
白はそこで一度言葉を区切ると、呆れたように小さく首を振った。
「なにより決定的なのは、文字を綴った『黒』の正体です。我が国の本物の木札には、伝統的な『墨』が使われます。ですが、裁判長の手元にある偽物の文字は……墨ではなく、ヤードの事務室で一般的に使われている、鉄分を含んだ『粗悪な筆記用インク』で書かれていますね。顕微鏡で成分のスケジュールを逆算するまでもなく、一目瞭然です」
「くっ、デタラメを言うな! そんなものは貴様たちが今朝捏造した偽物だ!」
バルフォア子爵が顔を真っ赤にして怒鳴り散らすが、白は表情ひとつ変えず、波兎と家紋の銀刺繍が入った大きな白衣のポケットに手を突っ込んだままジト目を向けた。
「いいえ。本物と偽物、どちらに爆破現場の『煤』が不自然に付着しているかを調べれば、ヤードの第一保管庫で急造された偽物の化けの皮など、一瞬で剥がれます。――ねぇ、バルフォア子爵? 昨晩、ヤードの手下に命じて、第一保管庫の証拠品をこっそり入れ替えさせたのは、貴方ですよねぇ?」
「ハッ! 口を慎め、東国の小娘が! 証拠などどこにもないわ! 誰がそんな夜襲や入れ替えを命令したというのだ!」
バルフォアが必死に傲慢な声を張り上げ、汚職裁判長が「そうだ、証拠不十分!」と再び木槌を掲げた、まさにその瞬間だった。
――カチャリ。
誰も触れていないはずの証拠品机のフォノグラフが、ひとりでに滑らかに回転を始めた。
真鍮製の物々しい機械から、小さな鉄の針が回り出す。
スピーカーの大きな真鍮のラッパから、不気味なノイズ混じりの、しかし恐ろしいほどクリアな『あの音』が、第一法廷の全員の耳へと突き刺さった。
――ザザッ……
カリカリッ……カリ, カリカリカリ――。
バルフォア:『……ヤードの手下に黒外套を羽織らせて病院へ夜襲をかけろ。あの『小陸軍省』の女狐も、東国のガキも、今夜まとめて灰にしてしまえ』
「な、何奴だ!? 誰だ、法廷で奇妙な音を鳴らしている者は!」
汚職裁判長が慌てて木槌を叩くなか、バルフォア子爵だけは、自らの魂を引っこ抜かれたかのようにガタガタと全身の血の気を失わせて凍りついた。
ラッパの奥から響き渡る不遜で冷酷な声は、他でもない――昨晩、バルフォア自身がパブの密室で口にした、言い逃れ不可能な『犯行指示の肉声』そのものだったからである。
「黙れっ! 黙れ黙れ黙れっ!――誰か、その忌々しい音を止めさせろっ! こんなものは捏造だ! 誰かが、いや、そこの極東のサルどもが、私を嵌めようとした罠だっ!」
バルフォア子爵が、椅子を蹴り飛ばさんばかりに取り乱して叫ぶ。
さっきまでの貴族としての気取りはどこへやら、顔を真っ赤に血走らせ、口の端から泡を飛ばしながら東国の大人たちを指差す姿は、見るも無残な道化そのものであった。
「静粛に! 静粛に! おい、その不審な機械を今すぐ破壊しろ!」
汚職裁判長もまた、パニックのあまりガベル(木槌)を壊れんばかりに乱打し、ヤードの刑事に命令を飛ばす。
大英帝国の正義の頂点たる王立裁判所の第一法廷が、悪党どもの醜悪な怒号とパニックによって完全な大混乱に陥った、まさにその時だった。
「――そこまでよっ!」
凛とした、しかし法廷のすべての喧騒を1秒で静まり返らせるほどの、圧倒的な威風をまとった少女の美声が第一法廷全体にドーンと響き渡った。
バルフォアも、裁判長も、ヤードの刑事も、そして使使節団の面々も、全員が息を呑んでその声の主へと視線を釘付けにする。
ガチャン、と重厚な法廷の大扉が、外から厳かに押し開けられた――。
バルフォア子爵を追い詰めるための証拠には悩みました。
が、ガジェット万歳。
スチームパンク万歳。
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