(五)先生が書き足した名前
◆ 五 先生が書き足した名前
手続きが一段落すると、メルセナは新しい紙を一枚出した。
リオルは、思わず身構える。
「まだあるんですか」
「あります」
メルセナは当然のように答えた。
「相談先一覧です」
「相談先」
「はい。契約は成立した瞬間から運用が始まります。疑義が出た時、休眠期や存在確認予定で調整が必要な時、人間側が不用意に領域へ入った時、相談先が必要です」
ヴァルグが低く言う。
「我が困った時に、人間へ問うのか」
「はい」
「我は赤竜だぞ」
「現在の登録名はヴァルグです」
「……ヴァルグだぞ」
リオルは小さく言った。
「言い直した」
メルセナは表情を変えずに続ける。
「困った時に相談することは、弱さではありません」
「そうなのか」
「そうです。少なくとも、契約上は」
「契約上は、か」
「はい。必要なら、感情上もそのうち慣れてください」
ヴァルグは少しだけ鼻を鳴らした。
「人間の契約は、慣れることが多い」
「多いです」
メルセナは淡々と認めた。
それから、相談先一覧に名前を書いていく。
自分の名。
腹心であるカイル・レイヴァンの名。
召喚士ギルドの信頼できる担当者。
王国側の信用できる貴族。
北方担当の実務官。
さらに、それぞれの名の横に、継承者、後任、子孫、指定代理人を含む、という注記を加えていく。
ヴァルグは長く生きる。
人間一人の寿命だけで相談先を定めても、すぐに意味を失う。
だから、この一覧は固定された名簿ではない。
契約更新時、担当交代時、家督継承時、ギルド人事の変更時に、随時更新されるものだった。
リオルは、その注記を見て少しだけ目を丸くした。
「相談先って、人だけじゃなくて、その後の人たちも入るんですね」
「はい」
メルセナは筆を止めずに答えた。
「ヴァルグの時間は、人間より長い。今いる人間だけを書いても、すぐに古くなります」
ヴァルグが低く言う。
「人間はすぐ代替わりする」
「はい。ですので、個人名と同時に、継承先も記録します」
「面倒だな」
「長く続ける契約ほど、面倒にしておく必要があります」
リオルは、なるほどと思った。
強い一体に全部背負わせない。
それは、相談先についても同じなのだ。
誰か一人だけを頼るのではない。
役職、家、ギルド、後任、子孫。
時間が経っても、誰かが受け取れる形にしておく。
メルセナは、そこまで見て書類を作っていた。
そして、ペン先が一度止まる。
「先生?」
「少し迷いました」
「何をですか」
メルセナは、しばらく白い欄を見ていた。
それから、そこに名前を書いた。
リオル・ロステル。
リオルは、息を止めた。
「え、僕ですか?」
「はい」
「僕、契約のことは分かりませんよ」
「契約のことは、私や担当者に聞けばよいです」
「じゃあ、なんで」
「制度上の問題ではない時、あなたの視点が必要になる可能性があります」
「僕の視点……」
メルセナは、リオルを見た。
「今回、ヴァルグが本当に手放せずにいたものに、あなたは気づきました」
「でも、僕はただ、そう見えただけで」
「ただ見えた。それが重要な時があります」
リオルは、相談先一覧に書かれた自分の名前を見る。
「僕で、いいんですか」
「はい」
「見習いですよ」
「知っています」
「契約の専門家でもありません」
「知っています」
「じゃあ」
「それでも書きました」
そこで、ヴァルグが低く言った。
「我は、その名を外せとは言わぬ」
リオルは、はっとしてヴァルグを見る。
「ヴァルグさん?」
「契約の細かいことは、そなたには分からぬのだろう」
「はい……」
「だが、我が迷っていたものに、そなたは名を与えた」
ヴァルグの視線が、翼の意匠を持つ魔道具へ向く。
「契約ではなく、思い出だと」
リオルは何も言えなかった。
ヴァルグは続ける。
「ならば、我がまた契約では測れぬことで迷った時、その名が一覧にあることは、無意味ではあるまい」
メルセナが静かに確認する。
「相談先一覧へのリオル・ロステルの記載に、同意しますか」
「同意する」
ヴァルグは、はっきりと言った。
「ただし、契約判断を任せる相手ではない。迷いを問う相手としてだ」
「そのように記録します」
ミレイユが筆を入れる。
「リオル・ロステル。契約判断者ではなく、感情上・認識上の相談補助者。ヴァルグ本人の同意あり」
リオルは、ますます落ち着かなくなった。
「なんか、責任が増えてませんか」
「増えています」
メルセナが答えた。
「そこは否定してください」
「否定する理由がありません」
ヴァルグが、少しだけ鼻を鳴らした。
「案ずるな。契約の処理を頼む気はない」
「それは安心しました」
「だが、我がまた思い出と契約を取り違えた時は、そなたが気づくかもしれぬ」
リオルは、相談先一覧に書かれた自分の名前をもう一度見た。
そこには、ただ名前があるだけではなかった。
メルセナが書き足し、ヴァルグが同意した名前だった。
リオルは、自分の名前を見た。
メルセナの字だった。
王国の高官でもない。
高位召喚士でもない。
契約の専門家でもない。
ただの見習い召喚士の名前だった。
それでも、そこにあった。
カイルやギルド担当者や貴族の名と同じ紙に、書き足されていた。
しかも、その一覧は、人間一人の寿命で終わるものではない。
後任へ引き継がれ、子孫へ残り、必要に応じて更新されていくものだった。
そこに自分の名前があることの意味は、まだよく分からない。
けれど、メルセナは消さなかった。
迷ったうえで、書き足した。
ヴァルグも、それに同意した。
ならば、少なくとも完全な場違いではなかったのだろう。
リオルは、そう思うことにした。
※第14話「先生が書き足した名前」は全六回です。
続きます。
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