(三)赤竜はヴァルグになる
◆ 三 再契約
ミレイユが代筆文を整えた。
登録板には、すでに竜爪印登録用の爪痕が残っている。
今度は、再契約そのものに押すための登録板だった。
赤竜の熱に耐えるため、板は厚く、黒く、魔力保持の処理が施されている。
ミレイユは、契約文を読み上げた。
「登録名、ヴァルグ。契約主体、竜籍登録済み赤竜本人」
赤竜は静かに答える。
「相違ない」
「旧財宝守護契約は現代契約へ読み替え、財宝守護責任を単独負担から外す」
「相違ない」
「財宝一式は別管理とし、移送・保管・点検・損耗対応について、人間側の管理責任を明確化する」
「相違ない」
「翼の意匠を持つ古代魔道具一件については、契約上の守護対象ではなく、本人の思い出として保管を認める。ただし、盗難、損耗、変質、移動について、旧財宝守護契約上の不履行とは扱わない」
赤竜は、少しだけ間を置いた。
それから答えた。
「相違ない」
ミレイユは続ける。
「新契約における役割は、月一回の存在確認。北の山脈周辺の指定範囲を歩行または飛行すること。ただし休眠期は除外」
「散歩だな」
「制度上は存在確認です」
ミレイユは淡々と言った。
リオルは小声で言う。
「でも内容は散歩ですね」
メルセナがすぐに補足する。
「竜の散歩です。熱管理、飛行高度、接近禁止区域、休眠期の除外を明記します」
赤竜は低く言った。
「散歩にしては細かい」
「竜の散歩ですので」
リオルが言うと、カイルが少しだけ肩を震わせた。
ミレイユは、何事もなかったように読み進める。
「無関係の人間を襲わない。村を焼かない。人里へ不用意に接近しない」
赤竜は少しだけ声を低くした。
「相違ない」
「人間側は、赤竜の領域を不用意に侵さない。月一存在確認の予定を管理し、休眠期を尊重し、契約更新を怠らない。疑義が生じた場合は、指定相談先へ確認する」
「相違ない」
カイルが言った。
「月に一度、姿を見せるだけでも抑止力にはなります」
「結果的には、そうなるでしょう」
メルセナは答えた。
赤竜がメルセナを見る。
「ならば、これは国防契約か」
「いいえ」
メルセナは即答した。
「契約上は、存在確認です。国防をあなた一体に背負わせません」
リオルは、前にも聞いた言葉を思い出す。
「強いから任せる、をやめるんですね」
「はい」
メルセナは頷く。
「強い一体に全部背負わせません」
赤竜は静かにメルセナを見た。
「人間にしては、慎重だ」
「召喚士ですので」
「そうか」
赤竜は納得したように言った。
ミレイユが最後の文面を読み上げる。
「本契約は、旧財宝守護契約を否定するものではなく、現代制度における契約主体、役割、責任範囲、相談先、解除条件を定め直すものである」
洞窟の奥が、静かになった。
赤竜は目を閉じた。
そして、低く答える。
「相違ない」
メルセナが一歩前に出る。
「最後に竜爪印を」
「押す」
赤竜が爪を持ち上げた。
リオルは思わず言う。
「熱、抑えてくださいね」
「抑えている」
登録板が、赤く光り始めた。
リオルは汗を拭う。
「抑えていても赤い……」
「問題ありません。耐熱処理済みです」
メルセナは落ち着いていた。
赤竜の爪が、登録板へ沈む。
ぎしり、と低い音がした。
赤い熱が板の縁まで走り、竜爪印が深く刻まれる。
ミレイユが確認し、記録板に筆を入れた。
「確認しました」
その声が、洞窟の奥で小さく反響する。
「再契約、成立です」
誰もすぐには動かなかった。
契約書が光るわけではない。
鎖が砕ける音もしない。
ただ、登録板に刻まれた竜爪印だけが、熱を帯びて赤く残っていた。
その瞬間、赤竜は財宝の番人ではなくなった。
千年以上の守護が消えたわけではない。
契約は変わる。
名前も変わる。
役割も変わる。
それでも、守ってきた時間は残る。
赤竜――いや、ヴァルグは、静かに息を吐いた。
メルセナが言った。
「ヴァルグ」
ヴァルグが目を細める。
「……我のことか」
「はい。登録名です」
リオルも、少し緊張しながら言った。
「ヴァルグさん」
「まだ慣れぬ」
「僕もです」
メルセナは淡々と言う。
「慣れてください。契約上も、今後はその名を使います」
「人間は、名を決めるとすぐ使うのだな」
「使わなければ登録した意味がありません」
「もっともだ」
ヴァルグはそう言ったが、声にはまだ少しだけ戸惑いがあった。
※第14話「先生が書き足した名前」は全六回です。
続きます。
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