(六)再契約
◆ 六 再契約
メルセナは、ゆっくりと言った。
「方法はあります」
赤竜の瞳が動いた。
「方法?」
「再契約です。正確には、契約整理と再契約です」
「再び契るというのか」
「はい。現在の制度に基づき、契約を確認し、必要なら結び直します」
広間の熱が、揺れた。
リオルは、赤竜の目がわずかに変わったことに気づいた。
怒りだけではない。
何かが、そこに混じった。
「それで、我の不履行が消えるのか」
「消せる可能性があります」
赤竜の頭が、わずかに下がる。
「……何?」
メルセナは言葉を選んだ。
「盗まれたという事実は消えません。村に被害が出たことも消えません。ですが、それが契約不履行に当たるかは、契約条件によって決まります」
「契約条件」
「はい。元の契約が、何を、いつまで、どの状態で守るものだったのか。盗難、腐食、風化、回収、返還をどう扱うものだったのか。それが曖昧なままなら、不履行と断じることもできません」
赤竜は黙った。
メルセナは続ける。
「守護対象が一時的に失われた事実はあります。ですが、それが契約上の不履行として確定するかどうかは別です」
リオルは、思わず呟いた。
「盗まれたことと、不履行は同じじゃない……?」
「はい」
メルセナは頷いた。
「契約上、回収と返還が可能な場合に不履行としない取り決めもあり得ます。腐食や風化を除外する取り決めもあり得ます。ですが、元の契約ではそれが明確ではない」
「曖昧な契りを、我は守っていたのか」
赤竜の声は、低かった。
怒りではない。
揺れだった。
メルセナは、静かに答える。
「あなたは、守ろうとしていました。過剰なほど正確に」
「……」
「だからこそ、整理できます。あなたが怠ったのではない。契約の方が、現在の扱いに耐えられないほど古く、曖昧だった可能性があります」
赤竜は、広間の財宝を見た。
古い金属。
ひびの入った壺。
熱で黒ずんだ銀杯。
そして、メルセナの手元にある、翼の意匠の魔道具。
「我の不履行ではなく、契約そのものが古すぎた可能性があると言うのか」
「断定はしません。ですが、そう整理できる可能性があります」
「可能性」
「はい」
メルセナは、赤竜を見上げた。
「再契約によって、契約対象、契約目的、管理者、期限、解除条件、除外条件を現在の形で定義し直します。そうすれば、あなたが元の契約に縛られ続ける必要はなくなります」
リオルは、赤竜を見る。
「これから何を守るのかを、決め直す」
「正確です」
メルセナが言う。
赤竜は、長く黙った。
財宝の上に熱が揺れる。
古い文字が、炎の向こうで歪む。
赤竜は怒っている。
それは変わらない。
だが、その怒りの奥に、別のものが見えた気がした。
迷い。
あるいは、恐れ。
「我は、古き契りから離れられるのか」
赤竜が言った。
その声は、さっきまでと違っていた。
低い。
重い。
けれど、熱だけではない。
「可能性があります」
メルセナは答える。
「断定はしません。制度上の確認が必要です。ですが、道はあります」
「道」
「はい」
赤竜の翼が、ほんのわずかに動いた。
それだけで、熱い風が広間に流れる。
リオルは目を細めた。
赤竜は、魔道具を見た。
財宝を見た。
壁の古い文字を見た。
そして、メルセナを見た。
「古き契りから離れる……」
リオルは、その声の変化に気づいた。
それは怒りだけではなかった。
迷いに近い。
あるいは、恐れに近い。
メルセナは言った。
「再契約は、逃げ道ではありません。現在の契約として、あなたの役割を定義し直す手段です」
「我の役割を、人間が決めるのか」
「いいえ」
メルセナは首を横に振った。
「あなたと確認します」
赤竜は黙った。
その沈黙は、最初の沈黙とは違っていた。
怒りで押し潰すような沈黙ではない。
考えている沈黙だった。
やがて、赤竜は低く言った。
「……交渉か」
メルセナは、静かに頷いた。
「はい。交渉です」
赤竜は怒っていた。
財宝を盗まれたことに。
いや、それ以上に、契約を果たせなかったと感じていることに。
そして、その結果として威厳を失ったように感じていることに。
けれど、その怒りの奥に、別のものがあった。
古い契約。
長すぎる守護。
もう誰も確認しない役割。
再契約という言葉を聞いた時、赤竜の炎は、ほんのわずかに揺れた。
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