(一)また盗人か
◆ 一 守護拠点の奥
ハツカネズミたちは戻った。
小さな足音が消えると、洞窟の奥は急に広くなったように感じられた。
いや、実際には広いのだ。
リオル・ロステルは、熱を帯びた空気の向こうを見る。
そこは、ただの洞窟ではなかった。
岩肌には古い加工の跡がある。
床は天然の洞窟にしては滑らかで、長い年月の間に何度も熱を受けたように、黒く、赤く、艶を帯びている。壁面には、解読できない古い文字が刻まれていた。文字の周囲には壁画のような線もある。人らしき影。竜らしき影。財宝を囲む図。契約陣に似た模様。
リオルには、ほとんど意味が分からない。
ただ、ここが昔から何かを守るための場所だったことだけは分かった。
メルセナ・オルブライトは、歩調を落とした。
カイル・レイヴァンも剣には手を掛けない。ただ、右手をいつでも動かせる位置に置いている。
フィン、ガレス、ブリギットの三騎士は、ここにはいない。
彼らの任務は、赤竜との交渉に参加することではなかった。
ガーディアンを倒すのではなく、メルセナたちが通過するための時間を作ること。
メルセナたちが通り抜けた後は、各自の判断で退避し、拠点側の高位召喚士による帰還召喚を受ける手筈になっている。
無事に戻ったのかどうかを、今ここで確かめることはできない。
だが、確かめるために振り返ることもできなかった。
ここから先は、赤竜の領域だった。
ミレイユも後方の記録位置に残っている。
ここから先に進むのは、メルセナ、リオル、カイルの三人だけだった。
リオルは、思わず小さく息を吸った。
熱い。
喉が焼けるほどではない。
だが、吸うだけで体の内側が乾いていくような熱だった。
「ここからは、余計な召喚はしません」
メルセナが言った。
「ハツカネズミも、鳥も、これ以上は近づけません」
「刺激になるからですか」
「はい。赤竜の領域に、不要な気配を入れる理由がありません」
リオルは頷いた。
足元にはもう、ハツカネズミはいない。
さっきまで自分の周囲にいた小さな命たちは、全て後ろへ戻した。
ここから先は、探る場所ではない。
交渉の場所だ。
通路が開けた。
リオルは、そこで足を止めそうになった。
広間だった。
洞窟の奥に、巨大な空間があった。
天井は高く、熱で揺らめいて見える。壁には古い術式の残滓が淡く光り、床には複雑な線が薄く残っている。召喚陣なのか、封印陣なのか、契約陣なのか、リオルには分からない。
そして、財宝があった。
金貨。
銀杯。
宝石。
古い剣。
箱。
壺。
装飾品。
魔道具らしきもの。
それらは、リオルには無造作に積まれているように見えた。
人間の目には、ただ古い財宝が山のように置かれているだけに見える。
どれが重要で、どれがそうではないのか。
何が元からそこにあり、何が欠けているのか。
リオルには分からない。
ただ、熱の中に、古い金属と石と魔力の気配が混ざっていた。
その中央に、赤竜がいた。
巨大だった。
赤い鱗は、ただ赤いのではない。火の底のような赤だった。黒く沈む部分と、内側から熱を持って光る部分がある。翼は畳まれているが、それでも広間の一部を覆うほど大きい。爪は岩を割るように床へ沈み、長い尾は財宝の外周を囲むように置かれていた。
財宝の上で眠る獣ではない。
守護位置にいる存在だった。
赤竜の目が、ゆっくりと開く。
金色の瞳が、メルセナたちを捉えた。
次の瞬間、広間の熱が跳ね上がった。
「また盗人か!」
声が、洞窟そのものを震わせた。
リオルは息を呑む。
赤竜の首が持ち上がる。
巨大な翼がわずかに開き、爪が床を掻いた。熱風が広間を叩き、財宝の上に積もった古い塵が舞う。
カイルが半歩前へ出た。
剣は抜かない。
抜けば、交渉ではなくなる。
赤竜は今にも動き出しそうだった。
怒っている。
それは、洞窟の熱だけで分かった。
空気が鳴り、石が汗をかくように熱を帯びる。
けれど、赤竜はそこで止まった。
動けないのではない。
動けば、守るべきものまで焼くと分かっているのだ。
怒り狂ってなお、赤竜は守護者だった。
メルセナは一歩も退かなかった。
ただ、静かに言った。
「そう見えますか?」
赤竜の瞳が、細くなる。
「何?」
「私たちは、盗人に見えますか?」
広間の熱が、さらに重くなる。
リオルは、心臓が喉まで上がってくるような感覚を覚えた。
そんな問いを、今、赤竜に向けるのか。
だが、赤竜はすぐには吠えなかった。
金色の瞳が、メルセナからカイルへ、そしてリオルへ移る。
剣を抜いていないカイル。
小動物を連れていないリオル。
財宝へ近づこうとしないメルセナ。
そして、ここへ至るまでのガーディアンの反応。
赤竜は、それらを見ていた。
「……盗人ならば、正面から来ぬ」
赤竜が低く言った。
「隠れる。抜ける。奪う。見つかる前に去る」
熱が、わずかに揺れる。
「だが、おまえたちは違う。我が門番を砕いていない。財宝へ手を伸ばしてもいない。進むために退け、通るために止めた」
リオルは息を詰めた。
赤竜は、見抜いている。
フィンが大ガーディアンを引きつけたことも。
ガレスが中ガーディアンを押し込みながら深追いしなかったことも。
ブリギットが小ガーディアンを倒さず、道を消したことも。
戦うためではなく、通るための布陣だったことを。
「人間は、一枚岩ではない」
赤竜は言った。
「盗む者もいれば、追う者もいる。隠れる者もいれば、正面から来る者もいる」
金色の瞳が、再びメルセナを見る。
「ならば」
赤竜が問う。
「交渉か?」
メルセナは、一歩だけ前へ出た。
「はい」
声は静かだった。
「交渉です」
※第12話「赤竜、交渉か?」は全六回です。
続きます。
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