(二)二百体
◆ 二 二百体
洞窟の入口は、思ったより低かった。
人が二人並んで入れる程度の幅はある。
だが、天井は高くない。
中へ入ると、空気が変わった。
熱い。
火が燃えているわけではない。
けれど、乾いた熱が岩から滲み出している。息を吸うと喉の奥が少し痛い。足元の雪はとうに消えていて、岩肌は黒く湿り気を失っていた。
「本当に、ここだけ雪が薄い」
リオルが呟く。
カイルが周囲を確認した。
「鳥と追跡獣の報告通りですね」
ミレイユも古い写しを見ながら言う。
「文献上の旧火守り谷とも一致します」
メルセナは足を止めた。
「では、索敵を始めます」
リオルは頷いた。
「ハツカネズミですね」
「はい。洞窟では鳥より向いています」
小さい。
隙間に入れる。
壁沿いに進める。
足音が小さい。
分岐を広く確認できる。
大型ガーディアンに気づかれにくい。
何より、危険を感じれば戻れる。
ハツカネズミは戦えない。
ガーディアンを止めることもできない。
だが、地図を作ることはできる。
リオルは洞窟入口の岩陰に膝をついた。
「まず十体、呼びます」
「お願いします」
リオルは手を合わせる。
小さな召喚陣が、岩の上に淡く広がった。
「来られる子だけでいい。怖かったら戻っていい。暗いところだけど、道を見てほしい」
一匹。
二匹。
三匹。
小さな足音が、岩陰に集まる。
丸い耳。
細いひげ。
黒い目。
ハツカネズミたちは、リオルの足元で鼻を動かした。
十体が揃う。
メルセナはそれを見て、静かに尋ねた。
「ちなみに、何体まで呼べますか?」
「魔力量の都合で維持できるのは、二十体くらいです。でも、呼べるかどうかで言えば、たぶん百体はいけると思います」
カイルが少しだけ眉を寄せた。
「二十体なのか、百体なのか、どちらですか」
「維持できるのが二十体くらいです。呼べるかどうかで言えば、もっといける気がします」
メルセナは頷いた。
「召喚条件と魔力量上限が別、ということですね」
「たぶん、そうです」
「ならば、委託契約をお願いします」
「鳥の時と同じですか?」
「同じ構造です。あなたが呼び、私が魔力維持の九割を負担します。調査指揮と班分け、報告統合も私が行います。あなたは残り一割と、安心付け、危険時の呼び戻しを担当してください」
「そうすると、二百体まで?」
「あなたが十割負担で二十体なら、一割負担で二百体まで成立します。ただし、召喚対象が応じることが前提です」
リオルは足元のハツカネズミたちを見る。
「やってみます」
契約陣が重なる。
召喚関係はリオルに残る。
ハツカネズミたちが応じる理由も、リオルとの関係性のままだ。
ただし、召喚後の魔力維持は、九割をメルセナが負担する。
鳥百羽の時と同じ。
リオルが呼び、メルセナが支える。
そしてメルセナが、使える形へ整える。
リオルはもう一度、呼びかけた。
「来られる子だけでいい。暗い場所だけど、危なくなったら戻っていい。道を見て、壁を見て、熱いところや怖いところを覚えて戻ってきて」
召喚陣が広がる。
小さな足音が増える。
十体。
二十体。
五十体。
百体。
岩陰が、小さな命で満ちていく。
リオルの胸には重さがあった。
だが、潰されるような重さではない。
自分の一割が、たしかにハツカネズミたちと繋がっている。
そして、その九倍の維持を、メルセナが支えている。
百五十体を超えたところで、カイルが小さく息を吐いた。
「これは……」
二百体目が召喚陣から現れた時、メルセナもほんのわずかに目を細めた。
「二百体は……すさまじいですね」
「そうなんですか?」
リオルが聞くと、メルセナは率直に頷いた。
「私もハツカネズミとの契約はありますが、三体程度です」
「先生でも?」
「ええ。他の高位召喚士も似たようなレベルでしょう。用途は、ちょっとした索敵や諜報です」
リオルは、足元の小さな群れを見た。
「じゃあ、二百体は普通じゃないんですね」
「普通ではありません。しかも、これはあなたの本当の上限ではない可能性があります」
「え?」
「現状では、あなたの魔力量と、委託契約で私が九割負担する都合から二百体にしています。さらに洞窟内で安全に運用できる数としても、ここが上限です」
「呼べるだけなら、もっと?」
「可能性はあります。ハツカネズミは増えるのが早い。関係性が広がれば、召喚条件としてはさらに増える可能性があります」
「でも、そんなに呼んだら維持できません」
「はい。ですから今は二百体です。呼べることと、維持できることと、安全に運用できることは別です」
「別……」
リオルはその言葉を噛みしめた。
呼べる。
維持できる。
運用できる。
戻せる。
全部、別のことだった。
メルセナはハツカネズミたちを見た。
「高位召喚士は魔力量が多い者が多い。ですが、人間以外の召喚対象との関係性作りに苦労する者も多い」
「魔力があっても、応じてもらえない」
「はい。だから、安易に人間前提の運用へ走る召喚士もいます」
「人間前提?」
「相手が人間であれば、条件と報酬を提示し、契約さえ成立すれば運用できます。動物や精霊のように、長く関係を作る必要がない場合も多い」
リオルは少し黙った。
「それって、便利ですけど……」
「便利です。軍事運用としても有効でしょう。抑止力として使える面もあります。そこまで含めて、私は否定する気はありません」
「でも」
「はい。危うい職能です。契約で人を動かすことに慣れすぎると、相手を戦力、駒、扱いやすい便利な召喚対象としてしか見なくなる」
「便利な召喚対象……」
「はい。相手が動物でも、精霊でも、人間でも、本来はそれぞれ事情があります。ですが、契約で動かすことに慣れすぎると、その事情を見る前に、使えるかどうかで判断するようになる」
「それが、黒くなるってことですか」
「はい。召喚士は、呼ぶ相手を選べます。条件を提示できます。報酬も決められます。だからこそ、自分が相手をどう見ているのかを、常に疑わなければなりません」
「……はい」
「あなたは、その危うさに触れる前に、動物との関係性を先に越えています」
「僕が?」
「極めて異例です」
「異例……」
「このような召喚士が世に出れば、周囲はどう思うでしょうね」
「えっと……便利、とか?」
「嫉妬。恐怖。尊敬。おそらく、すべてです」
「全部、ですか」
「はい。だからこそ、扱い方を間違えてはいけません」
「ハツカネズミの扱い方を?」
「あなた自身の扱い方もです」
リオルは、足元に集まるハツカネズミたちを見た。
彼らはただ、呼びかけに応じて来てくれただけだった。
けれど、その数が、外からどう見えるのかを、リオルは初めて少しだけ考えた。
「大規模マッピングを想定した運用は、先生も初めてなんですよね」
「はい。すごく新鮮です」
「初めてなのに、そんなにすぐ運用できるんですか?」
「運用の型は変わりません」
「型?」
「召喚対象の性質と、目的を紐づける。そのために必要な事前情報を集める。条件を決め、報告経路を作る。対象がハツカネズミでも、鳥でも、熊でも、基本は同じです」
「だから、初めてでもできるんですね」
「はい。大規模マッピングは初めてですが、召喚マネジメントとしては十分に運用できます」
リオルはメルセナを見上げる。
「先生、ちょっと楽しそうです」
「無表情です」
「無表情でも、楽しそうです」
「気のせいです」
そう言いながら、メルセナはすでに洞窟図へ線を引き始めていた。
※第11話「ハツカネズミ二百体の地図」は全六回です。
続きます。
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