(四)首と契約
◆ 四 首と契約
「あの、今すぐ帰ってもらうことはできないんですか?」
リオルは小さく尋ねた。
ダリルが息を飲んだ。
通信水晶の向こうも、急に静かになった。
メルセナは頷く。
「できます」
「できるんですか?」
「ただし、今ここで私が召喚事故として処理されると、途中の誰か、もしくは全員の首が飛びます」
リオルは瞬きをした。
「処分、ですか?」
「物理的に」
「物理的に!」
リオルは青ざめて周囲を見た。
「物理的に首が飛ぶって……ダリル先生は?」
「飛びます」
ダリルは目を閉じた。
「……否定できません」
「ミレイユさんは?」
通信水晶の光が、わずかに揺れた。
「飛びます」
『……記録上は、照合担当も確認責任を問われます』
「通信水晶の向こうで声が震えてる!」
メルセナは淡々と続けた。
「あと、セリオという少年も言い方が気に入らないので飛びます」
「セリオ無関係!」
セリオが一歩前へ出かけて、止まった。
「なぜ私が」
「言い方が気に入りません」
「理由が個人的!」
「ユナさんは……まぁ良いでしょう」
ユナは困惑した顔で会釈した。
「ありがとうございます……?」
リオルは両手を上げた。
「基準が分かりません!」
「基準はあります。セリオ氏は事故に対する理解より先に身分の話をしました。ユナさんは、あなたの行動と補助札の位置を分けて見ました」
「ちゃんと基準あった!」
「ただし、セリオ氏については半分ほど私情です」
「半分も!」
教室の空気が、ほんの少しだけ戻った。
事故は重大だ。
それは誰も忘れていない。
けれど、メルセナがあまりにも無表情で物騒なことを言うため、リオルは混乱しながらも突っ込まずにはいられなかった。
メルセナは記録板を見下ろし、少しだけ考えた。
「ここは契約を少し調整しましょう。いきなり短期契約も違和感がありますので、三か月ほどとします」
「三か月……先生はそれでいいんですか?」
「よいかどうかで言えば、少し面倒です」
声には出さないが、メルセナにはもう一つ理由があった。
少し、暇だった。
北方防衛は緊張状態にある。だが、緊張しているからといって、毎日戦闘が起きるわけではない。むしろ、戦闘を起こさせないために整え続ける仕事の方が多い。
報告、照合、配置確認、契約更新、抑止力の維持。
重要ではある。
退屈ではない、と言い切るには少し無理があった。
加えて、リオルが自分を先生と呼んだ。
閣下、統括官、大召喚士、オルブライト卿。
そう呼ばれることには慣れている。
だが、先生と呼ばれることは、ほとんどなかった。
悪くない。
かなり悪くない。
もちろん、それを口に出すつもりはなかった。
「すみません……」
「ですが、事故を事故として即時処理するより、契約を整えて経過を見た方が関係者の首は残ります」
「首基準なんですね」
「重要です」
ダリルが真剣に頷いた。
「大変重要です」
通信水晶の向こうからも声がした。
『記録上も、大変重要です』
リオルは水晶と教官を交互に見た。
「大人たちが一番真剣だ……」
メルセナはペンを取った。
「私の役割は、召喚術基礎コンサルタントとします」
「コンサルタント、ですか?」
「はい」
メルセナはそこで、ほんの少しだけ間を置いた。
教官ではない。
リオルを学校から預かる立場ではないし、学校の指揮系統に入るつもりもない。
師と呼ぶには、契約の形が曖昧になる。
上官では、召喚者と召喚対象の関係を崩しすぎる。
助言し、観察し、必要に応じて是正する。だが、リオルの上に立つわけではない。
その言葉が、最も近かった。
もちろん、その立場にも危うさはある。外部の助言者は時に、現場の上下関係を崩す。本職の者たちはその危うさをうまく処理するのだろうが、メルセナ自身はそこまで自然には扱えない。
それでも今回は、リオルとの間だけの限定契約だ。
学校やギルドの指揮系統へ直接入るわけではない。
ならば、あえてその名を使うのが最も安全だった。
「あなたの上官になるわけでも、学校の教官になるわけでもありません」
「先生ではないんですか?」
「役割上は近いです。ただし、学校やギルドの指揮系統には入りません。今回の契約は、あなたと私の間だけの限定的なものです」
「だから、コンサルタント?」
「はい。あなたの召喚術基礎について、助言、観察、確認、必要な是正を行います」
「それって、やっぱり先生みたいなものでは……」
「役割上は、そう呼んでも構いません」
メルセナは無表情だった。
無表情だったが、なぜか言葉の最後が少しだけ早かった。
ぶっちゃけ、先生と呼んでほしかった。
かなり呼んでほしかった。
心の底から呼んでほしかった。
もちろん、それを顔に出すつもりはない。声に出すつもりもない。最高位召喚士として、その程度の自己管理はできる。
ただ、返事の準備だけは完全にできていた。
リオルはそれに気づいたような、気づかなかったような顔をした。
「じゃあ、先生」
「はい」
「三か月、よろしくお願いします」
「よろしくお願いします。召喚者」
「召喚者って呼ばれると、すごく偉そうで怖いです」
「契約上は事実です」
「事実が怖いです」
メルセナは契約文に数行を書き足した。
リオルは、その手元をじっと見る。
自分が呼んでしまった。
自分が召喚者で、メルセナが召喚された側。
けれど、実力も経験も判断力も、社会的地位も、何もかもが逆だった。
召喚陣の上で結ばれた関係は、どう見てもねじれていた。
それでも、契約は契約だった。
メルセナは記録板を閉じ、リオルを見た。
「リオル・ロステル」
「はい」
「あなたは、召喚とは何だと思っていますか」
急な問いに、リオルは戸惑った。
「えっと……呼ぶこと、ですか?」
「半分です」
「半分」
「残り半分は、呼んだ後に破綻させないことです」
「破綻……」
「目的が曖昧なら、呼ばれた側は動けません。役割が曖昧なら、余計なことをします。終了条件がなければ、止まりません。帰還条件がなければ、帰れません」
リオルは、足元の召喚陣を見た。
水精霊を呼ぶつもりだった。
崩れそうだったから止めようとした。
その結果、目の前に最高位召喚士がいる。
呼ぶことだけを考えていたわけではない。
けれど、呼んだ後のことを、本当に考えていたわけでもなかった。
「明日から、そこを学びます」
「明日から?」
「契約期間は三か月です。時間は有限です」
「本当に先生になってる……」
「なりました」
メルセナは淡々と答えた。
ダリルは額に手を当てた。
ミレイユは通信水晶の向こうで、まだ記録を照合している。
ユナは、リオルとメルセナを交互に見ていた。
セリオは何か言いたげだったが、メルセナの方を見てから口を閉じた。
窓の外では、さっきの鳥が一羽、遠くの木の枝にとまっていた。
リオルはそれに気づかない。
今は、自分の前にいる新しい先生を見るだけで精一杯だった。
こうして、リオル・ロステルの基礎召喚実習は失敗に終わった。
代わりに、最高位召喚士の先生ができた。
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