(三)複数で転げ落ちた事故
◆ 三 複数で転げ落ちた事故
ユナが一歩前へ出た。
「オルブライト閣下」
メルセナが視線を向ける。
「何でしょう」
「リオルは、たぶん間違えました。でも、あの補助札が使える状態だったのはおかしいです」
ダリルが反射的に言った。
「フェルミア、それは――」
「教官を責めているわけではありません。でも、見習いが触れたら大事故になるものが、見習いの手の届くところにあった。それを全部リオルのせいにするのは違うと思います」
「ユナ……」
リオルは小さく呟いた。
ユナはリオルを見ず、メルセナを見て続ける。
「それに、リオルは召喚を強引に続けようとしたわけじゃありません。崩れそうだったから止めようとしたんです」
「見ていましたか」
「はい。隣の陣でしたから」
メルセナは一拍置いた。
「分かりました。あなたの証言は記録に含めます」
「ありがとうございます」
「庇い方としては、感情が先に出ています」
「……はい」
「ですが、見るべき点は見ています。悪くありません」
ユナは少しだけ目を見開いた。
褒められた、というより、評価された。
そういう言い方だった。
メルセナはすぐに視線を外し、召喚陣の縁へ歩いた。足音はほとんどしない。しゃがみ込み、補助札の位置を確認し、床に刻まれた線を指でなぞる。
「補助札は教官用ですね」
ダリルの肩がわずかに揺れた。
「はい。本来、見習い実習では緊急経路から切り離してあります」
「本来は」
「……本来は」
リオルはおそるおそる口を挟んだ。
「あの、僕が触ったからですよね」
「あなたの行動は原因の一つです。全てではありません」
「一つ……」
「事故は一人で起きることもありますが、今回は複数で仲良く階段を転げ落ちています」
ユナが小さく眉を寄せた。
「表現が怖いです」
「事実です」
メルセナは立ち上がった。
「私の応召条件を照会してください」
ダリルはすぐに頷いた。
「今、ギルドへ」
教室の隅に置かれていた通信水晶が起動する。透明な結晶の内側に淡い光が浮かび、数度明滅した後、女性の声が響いた。
『ヴァルセイン王国中央召喚士ギルド、契約照合担当ミレイユ・グレインです。照会対象は、メルセナ・オルブライト閣下で間違いありませんか』
「間違いありません。私の応召条件を確認してください」
『承知しました。少々お待ちください』
水晶の向こうで、記録板を操作するような音がした。
リオルは、自分の喉がからからに乾いていることに気づいた。
応召条件。
召喚対象が、どういう条件なら呼びかけに応じるかを登録しておくものだ。高位召喚士ともなれば、その条件は厳しいはずだった。
見習いの実習室から、最高位召喚士を呼べるはずがない。
高位召喚士は、応召条件を厳しく設定する。
とくにメルセナ・オルブライトほどの人物なら、軽い照会や興味本位の呼びかけに応じるわけにはいかない。戦地、防衛線、王都、ギルド、貴族家。どこからでも不用意に呼べてしまえば、それだけで国家防衛に穴が空く。
だから、彼女の応召条件は最上位に近いはずだった。
少なくとも、見習いの実習で届くような条件ではない。
リオルだけではない。ダリルも、通信水晶の向こうのミレイユも、そこは疑っていなかった。
Lv100以上。
そう登録しておけば、実質的には誰も呼べない。
登録に関わった者たちは、そう思っていた。
高すぎる条件は、鍵になる。
誰もが、そう油断していた。
そのはずだった。
『……確認しました。オルブライト閣下の応召条件、Lv00以上になっています』
教室が静まった。
メルセナが、わずかに首を傾ける。
「Lv00?」
リオルも聞き返した。
「Lv00って、何ですか?」
「本来存在しない条件です」
通信水晶の向こうで、ミレイユの声が小さく揺れた。
『登録欄が二桁ですので』
「私はLv100以上と入力したはずですが」
『後ろ二桁だけ保存されています』
沈黙。
リオルは頭の中でゆっくりと考えた。
Lv100以上。
後ろ二桁だけ。
00。
「つまり、僕でも呼べた……?」
「そのようですね」
メルセナは淡々と言った。
「とても嫌な言い方をすれば、全員きれいに失敗しています」
「全員……?」
リオルは、思わず聞き返した。
メルセナは記録板へ視線を落としたまま、淡々と指を折った。
「第一に、登録欄の問題です。三桁以上の数値を受け付けない仕様なら、Lv100を入力した時点で弾くべきでした」
『……はい』
通信水晶の向こうで、ミレイユの声が小さくなった。
「第二に、弾かないのであれば、少なくとも警告を出すべきです。入力値が切り捨てられ、Lv00として保存されるなど、契約管理上あってはならない処理です」
「それは……システム側の問題ですか?」
「はい。入力した者の確認不足もありますが、そもそも受け付けてはいけない値を受け付けています」
リオルは少しだけ息を吐いた。
自分のせいではない、と言われた気がしたからではない。
自分のせいだけではないのだと、ようやく形が見えたからだった。
メルセナは続ける。
「第三に、その後の照合運用です。Lv00以上という異常な条件で管理されている状態を、誰も見つけられなかった」
『定期照合の対象には、入っていたはずです』
「入っていたはず、では困ります」
『……はい』
「Lv00は正常値ではありません。未設定、全許可、あるいは登録破損として扱うべき値です。少なくとも、最高位召喚士の応召条件として放置してよい値ではありません」
教室の空気がまた少し硬くなった。
メルセナの声は荒くない。
だからこそ、責任の場所だけが冷たく浮かび上がっていく。
「第四に、現場配置です」
メルセナは、召喚陣の脇に落ちている補助札を見た。
「緊急用の札が、見習いの手の届く位置にありました」
ダリルの顔が強張る。
「……本来は、教官が保持する札です」
「本来は、ですね」
メルセナは同じ言葉を返した。
「緊急用の札は、緊急時に使える必要があります。ですが、使う権限のない者が触れられる場所に置いてはいけません。特に、実習中の見習いは、失敗を止めようとして反射的に手を伸ばします」
リオルは、補助札へ伸ばした自分の手を思い出した。
まさに、その通りだった。
暴走を止めようとした。
止められると思った。
けれど、触ってよいものかどうかを判断する余裕はなかった。
「第五に、リオル・ロステル」
「はいっ」
急に名前を呼ばれ、リオルは背筋を伸ばした。
「あなたは、札の種別を確認せずに触れました」
「……はい」
「崩れかけた召喚を止めようとした判断そのものは理解できます。ですが、分からない札に触れてはいけません」
「はい。すみません」
「以上です」
メルセナは記録板を閉じた。
「つまり今回の事故は、入力時に止まらず、保存時に壊れ、照合時に見落とされ、実習現場で危険物が手の届く場所にあり、最後に見習いがそれに触れたことで成立しました」
誰も、すぐには言葉を返せなかった。
リオル一人の失敗ではない。
けれど、リオルが無関係なわけでもない。
誰か一人だけを責めれば終わる事故ではなかった。
だからこそ、重かった。
ダリルが深く頭を下げた。
「……申し訳ありません」
通信水晶の向こうでも、ミレイユが息を飲む気配がした。
『……記録照合を継続します』
「お願いします。あなたの首を守るためにも」
『はい。全力で』
リオルは通信水晶を見た。
「首を守るためにもって言いました?」
「言いました」
メルセナは否定しなかった。
そのまま、彼女は契約状態を確認し始めた。
「召喚者はリオル・ロステル。召喚対象は私、メルセナ・オルブライト」
「はい……」
「召喚目的は、実習中の低位精霊召喚補助。対象不一致。報酬条件、空欄。危険度、未設定。終了条件、未設定。帰還条件、未設定」
リオルは一つ一つの言葉を聞くたびに、顔から血の気が引いていくのを感じた。
「未設定ばっかりですね……」
「はい。召喚契約としては、かなりよくありません」
「すみません」
「謝罪は後でまとめて受け取ります。今は状況整理が先です」
メルセナは、少しだけ記録板の文字を見つめた。
「Lv100であれば、実質的に呼べる者はいない。そう想定した私のミスでもあります」
「先生のミス、ですか?」
「はい。呼べない条件にしておけば安全だと考えました。ですが、呼べない条件だから確認しなくてよい、という意味ではありません」
メルセナの声は変わらない。
自分を庇う気配もなければ、誰かへ責任を押しつける気配もなかった。
「とはいえ、通常の呼びかけだけなら、私は応じていなかった可能性が高いです」
「じゃあ、どうして……」
「緊急用の札が使われたからです」
メルセナは、召喚陣の脇に落ちている補助札へ視線を向けた。
「あれが使われたことで、召喚は通常照会ではなく、緊急応召に近い扱いになりました。緊急であるなら、応じるべき状況もあります」
「緊急だから、先生も来た……?」
「はい。ですが、そこも想定不足です。緊急用の札で、私への召喚が成立し得る状況を想定していませんでした」
「それも、事故の原因なんですね」
「原因の一つです」
メルセナは記録板へ指を走らせた。
「召喚は、呼べば終わりではありません。何のために呼んだのか。どの範囲で動くのか。何をしてはいけないのか。いつ終えるのか。誰が責任を取るのか。それが曖昧なままでは、呼ばれた側も動けません」
リオルは思わず聞いた。
「呼ばれた側が、先生でもですか?」
メルセナがリオルを見る。
「私だからこそです」
その声は静かだった。
「強いものほど、曖昧に呼んではいけません」
教室の誰も、何も言わなかった。
リオルは、低位精霊を呼ぶはずだった召喚陣を見た。
呼べれば成功。
そう思っていた。
けれど、今ここにいる人は、呼ばれた後のことを真っ先に確認している。
※第1話「召喚士が召喚した召喚士」は全四回です。
続きます。
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