(二)水精霊ではないもの
◆ 二 水精霊ではないもの
「次、リオル・ロステル」
名前を呼ばれ、リオルは一歩前へ出た。
召喚陣の前に膝をつき、魔力石に手をかざす。薄い青の石が、ほんのりと光を返した。
大丈夫。
水精霊なら、何度か成功している。
「呼びかけを開始します」
「許可する。落ち着いて行え」
ダリルの声に頷き、リオルは息を吸った。
「水精霊……来て」
召喚陣に淡い水色の光が灯った。
輪になった線の内側で、小さな水滴のようなものが浮かび上がる。ふるふると揺れながら、透明な球が形を作ろうとしていた。
成功する。
そう思った次の瞬間、光がぶれた。
水色の輪郭が崩れ、陣の外側に白い線が走る。
「落ち着け、ロステル。そのまま維持しろ」
ダリルの声が飛ぶ。
リオルは慌てて魔力を整えようとした。しかし、召喚陣の光は内側から押されるように膨らんでいく。
水精霊の輪郭が、ぐにゃりと歪んだ。
「あ、待って。これ、崩れる……」
「魔力を抜け。無理に支えるな」
「止めます」
リオルは反射的に手を伸ばした。
召喚陣の脇に置かれていた補助札。
暴走しかけた召喚を安全に落とすための札だと、リオルは思った。
「リオル、それ教官用じゃ――」
ユナの声が聞こえた。
けれど、もう遅かった。
リオルの指先が補助札に触れる。
札が光った。
水色だった召喚陣に、白銀の線が混じる。
ダリルの顔色が変わった。
「待て、その経路は――」
言葉の途中で、召喚陣が広がった。
低位精霊の実習ではありえない規模だった。
床の白線が次々に接続され、教室の空気が一段冷える。水精霊の淡い気配は消え、代わりに鋭い銀の光が立ち上がった。
生徒たちが後ずさる。
リオルは動けなかった。
召喚陣の中央に、ひとりの女性が現れた。
金髪の長い髪。
翼のような銀の髪飾り。
白に近い灰色のコート。
背は高く、細身で、まっすぐ立っているだけなのに、教室全体の視線を吸い寄せた。
表情はほとんど動かない。
しかし、その目だけが、現れた瞬間に教室を確認していた。
召喚陣。補助札。教官。生徒。窓。出入口。通信水晶。記録板。
全てを、一息で見たようだった。
女性は静かに口を開いた。
「状況を確認します。ここは召喚士学校の実習棟で間違いありませんか」
教室は静まり返った。
リオルは、自分が答えるべきなのか分からなかった。
けれど、女性の視線が自分に向いている気がして、慌てて頷く。
「は、はい」
「召喚者は」
ダリルが口を開こうとした。
その前に、リオルは手を上げた。
「あの、すみません。僕が呼びました」
女性の視線が、改めてリオルに落ちる。
「あなたが?」
「はい」
「教官は」
ダリルが背筋を伸ばした。
「ダリル・モートンです。実習担当教官です。オルブライト閣下、これは――」
「オルブライト閣下?」
リオルは思わず聞き返した。
セリオが、信じられないものを見る目でリオルを見た。
「知らないのか、ロステル。ヴァルセイン王国北方召喚防衛統括官、オルブライト閣下だぞ」
「北方召喚……」
言葉が長すぎて、リオルの頭には入ってこなかった。
ユナが低く言う。
「リオル、今は黙って」
セリオはなおも続けた。
「よりにもよって庶民の見習いが、閣下を召喚するなど……。これは事故では済まない」
「セリオ……」
「事実だ。家の後ろ盾もない者が、扱える相手ではない」
その瞬間、女性――メルセナ・オルブライトは、セリオを見た。
表情は変わらない。
けれど、教室の温度が少し下がった気がした。
「あなたの見解は後で聞きます。今は不要です」
「……失礼しました」
セリオは一歩引いた。
メルセナはリオルへ視線を戻す。
「事故ですね」
「やっぱり事故ですか」
「はい。しかも、一人の失敗ではありません。とても美しくない複合事故です」
「美しくない……」
リオルは自分の足元を見た。
召喚陣はまだ薄く光っている。
水精霊を呼ぶはずだった。
それなのに、呼び出されたのは王国の最高位召喚士らしい女性だ。
どう考えても、リオルが扱える相手ではない。
「すみません、先生。僕、低位精霊を呼ぶつもりで……」
言った瞬間、メルセナがわずかに止まった。
「先生?」
「あ、すみません。召喚士学校の人かと思って」
「……いえ。続けてください」
「怒らないんですか?」
「怒る理由はいくつもあります」
「ありますよね……」
「ただ、先生と呼ばれるのは悪くありません」
「そこなんですか?」
「そこもです」
メルセナの表情は変わらなかった。
それなのに、なぜか少しだけ空気が緩んだ。
リオルは、今の会話で安心していいのか、もっと不安になるべきなのか分からなかった。
※第1話「召喚士が召喚した召喚士」は全四回です。
続きます。
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