(六)敬礼熊は中間管理職
メルセナが言った。
その言葉で、リオルはようやく息を吐いた。
敬礼熊が姿勢を正し、リオルへ向かって敬礼した。
リオルも、思わず頭を下げる。
「ありがとうございます」
敬礼熊は、もう一度敬礼した。
その横で、黒い通常熊が赤茶の通常熊に肩をぶつけた。
赤茶の通常熊が唸る。
黒い通常熊も唸り返す。
戦闘は終わっている。
魔物の圧も下がっている。
だが、通常熊二頭の興奮は、まだ抜けていなかった。
「え」
二体の通常熊が、突然取っ組み合いを始めた。
「終わってからですか!?」
リオルの声が裏返った。
黒い熊と赤茶の熊が前脚で押し合う。
もう魔物はほとんど残っていない。
村も守れた。
だからこそ、気が抜けたところへ別の問題が出てきた。
「先生!」
「敬礼熊の指揮権を一度戻します」
メルセナは即座に言った。
「通常熊同士の調整は、あなたより敬礼熊の方が適任です」
「適任なんですか!?」
「はい。敬礼熊は中間管理職です」
「中間管理職」
「はい」
「熊ですよね?」
「熊です」
メルセナは敬礼熊へ指示を出した。
「敬礼熊。通常熊二体を制止。興奮を落としなさい」
敬礼熊が動いた。
速かった。
二体の通常熊の間へ割って入り、片方ずつ前脚ではたいた。
黒い通常熊が座った。
赤茶の通常熊も、なぜか少し遅れて座った。
リオルは目を丸くした。
「反省してる……」
「反省しているかは分かりません。制止は効いています」
敬礼熊は二体を交互に見た。
それから、低く一声だけ唸る。
通常熊二体は、渋々そっぽを向いた。
リオルは呆然とした。
「敬礼熊、すごいですね」
「事前に教育しています」
「教育」
「召喚対象は、呼んでから初めて動かすものではありません。呼ぶ前から、役割を覚えさせます」
「役割を」
「はい。今回のように複数の召喚対象で体制を組む場合、指示系統の中に管理能力を持つものを用意しておく必要があります」
リオルは、敬礼熊が通常熊二体の間に割って入ったところを思い出した。
ただ強いだけではない。
止められる。
見られる。
間に入れる。
それも、役割だった。
「呼び出すものの特性は、状況に合わせます」
メルセナは続けた。
「ですが、呼び出した後の体制は、事前に組み立てることができます」
「体制を、先に」
「はい。誰が前に出るのか。誰が守るのか。誰が止めるのか。誰が誰の指示を受けるのか。そこまで用意してから呼びます」
「だから、敬礼熊がいたんですね」
「はい。通常熊二体だけでは、戦闘力はあっても管理は不安定です」
「普通に強くて、普通に不安な熊ですから」
「よい理解です」
リオルは少しだけ苦笑した。
「高位の召喚士って、強いものを呼べる人のことだと思ってました」
「それだけではありません」
メルセナは淡々と言った。
「強いものを呼ぶ。数を呼ぶ。維持する。配置する。役割を与える。指示系統を作る。崩れた時に立て直す」
そこで、メルセナは一拍置いた。
「そこまで含めて、高位の召喚士です」
リオルは、消えていった敬礼熊の姿を思い出した。
敬礼する熊。
普通ではない熊。
けれど、ただ奇妙なだけではない。
あの熊は、体制の中に置かれていた。
役割を持ち、通常熊を止め、穴を埋め、戦闘後の興奮まで落とした。
「呼ぶ前から、もう始まってるんですね」
「はい」
「召喚マネジメント」
「はい」
リオルは息を吐いた。
「直接指示だけでは回らない……」
「はい」
メルセナが頷く。
「戦闘中だけではありません。戦闘後も同じです。興奮した召喚対象を落ち着かせるところまで、運用です」
「終わった後も、終わってないんですね」
「はい」
「任せる相手を選ぶことも、現場指揮」
「その通りです」
メルセナが手を上げる。
「帰還」
三体の熊が、光に包まれて消えていく。
最後まで敬礼熊は姿勢を崩さなかった。
リオルはそれを見送った。
全部を自分で見て、全部を自分で動かそうとすると、すぐに破綻する。
役割を分ける。
中間に立つ相手を置く。
任せる。
止めてもらう。
戦闘が終わった後の興奮まで見る。
呼ぶ前から、体制を作る。
それも召喚マネジメントなのだと、リオルは思った。
◆ 七 くすぶる火
リグル村の柵は、一部が壊れかけていた。
だが、村人に被害は出なかった。
数人が避難中に転んで軽い怪我をしたが、命に関わるものではない。
村長は、メルセナに何度も頭を下げた。
「ありがとうございます。村を、守っていただいて」
「礼はギルドと王国軍にも」
メルセナが言う。
カイルは少し複雑な顔をした。
王国軍は第二防衛線で魔物を受け止めた。
それは事実だ。
だが、最初の判断は村を放棄扱いにするものだった。
カイル自身がその判断を下したわけではない。
それでも、軍装を着ている以上、無関係ではいられないのだろう。
「閣下」
カイルが静かに言った。
「今回の暫定判断については、私からも上申します」
「当然です」
「はい」
「総数不明という情報だけなら、第二防衛線を優先する判断には筋があります」
「はい」
「ですが、現場確認を飛ばし、人が残る村を損耗枠に入れる判断を通例にしてはいけません」
「承知しています」
リオルは二人の会話を聞きながら、北の森を見た。
煙はまだ上がっている。
火は弱まっているようにも見えるが、完全には消えていない。
焦げた匂いが、風に乗って流れてくる。
ミレイユが通信水晶を確認した。
「火災現場周辺で、通常の山火事とは異なる魔力残滓が確認されているそうです」
メルセナの視線が動いた。
「詳細は」
「まだ不明です。ただ、火の広がり方と残っている魔力の質が一致しない箇所があると。古い北方未整理案件との照合要請も出ています」
リオルは首をかしげた。
「北方未整理案件?」
「過去に原因不明の火災や魔物移動が記録された案件です」
ミレイユは言葉を選ぶように言った。
「まだ、同じものと決まったわけではありません」
メルセナはしばらく黙っていた。
表情は変わらない。
けれど、リオルには分かった。
先生は、ただの山火事として見ていない。
「カイル」
「はい」
「王国軍は第二防衛線を維持。魔物の残りを街道側で受け止めなさい」
「承知しました」
「ギルドは村周辺の安全確認。ミレイユさん、火災現場調査の依頼書を準備してください」
「はい」
リオルはメルセナを見る。
「先生、火元を調べに行くんですか?」
「はい」
「僕も?」
「安全確認後です」
「でも、行くんですね」
「行きます」
メルセナは北の森を見た。
煙の奥で、何かがまだくすぶっている。
魔物を村へ押し出した火。
国に村を放棄扱いさせた火。
そして、メルセナが静かに警戒する火。
「今回の防衛は成功しました」
メルセナは言った。
「ですが、原因が残れば、次も起きます」
リオルは頷いた。
鳥は空から見た。
狼は匂いを追った。
熊は村の前で魔物を押し返した。
今度は、火の元を見なければならない。
召喚士の仕事は、また広がった。
呼ぶこと。
配置すること。
任せること。
何が起きているのかを確かめること。
そして、見えた情報で判断を変えること。
リオルは煙の上がる森を見つめた。
村は守れた。
けれど、終わったわけではない。
森を焼いた火は、まだどこかでくすぶっていた。
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