(四)敬礼する熊
メルセナは続ける。
「勝利条件は明確です。村の柵を越えさせないこと。魔物の進行方向を南東街道側へ変えること。残りを王国軍の第二防衛線へ渡すこと」
リオルは柵を見た。
低い。
小型の魔物でも、勢いがあれば越えられるかもしれない。
中型なら壊せるかもしれない。
「柵を越えられたら」
「村内に散ります」
メルセナが答える。
「家屋の陰、井戸の周囲、家畜小屋、避難中の住民。守る対象が一気に増えます」
「だから、柵を最終線にしちゃだめなんですね」
「はい。柵を破られた場合の退避路も確認します」
「失敗した時の次を用意する」
「防衛とは、そういうものです」
リオルは村の中を見た。
南側の道。
井戸。
納屋。
家畜小屋。
逃げ遅れそうな人がいる場所。
そして、北側から迫る魔物。
「どう守りますか」
メルセナが尋ねた。
リオルは息を整えた。
「魔物の強さが分からないので、倒し切る前提は危ないです」
「続けて」
「柵を越えられた時に村を守れる相手を置く必要があります。でも、それだけだと押し込まれるので、群れの端を横から削って、流れを逸らすべきだと思います」
「どこへ」
「南東街道側へ。王国軍の第二防衛線へ流します」
「よいです」
メルセナは淡々と評価した。
「勝つ布陣ではなく、負けない布陣です」
「負けない布陣」
「はい。この場の勝利条件は討伐数ではありません。進行方向の変更です」
リオルは少しだけ肩の力を抜いた。
全部倒さなくていい。
村を守る。
それが目的だ。
◆ 四 敬礼する熊
「リオル自身には、大型の戦闘用召喚対象を呼ぶ力はありません」
「はい」
「ですから、私が呼びます」
メルセナが右手を上げた。
白銀の召喚陣が地面に広がる。
線が太く、静かで、無駄がない。
光の中から現れたのは、大きな熊だった。
茶色い毛。
太い腕。
柵より高い肩。
熊は召喚陣の中央で四足をつき、周囲を一度見回した。
次の瞬間、後ろ脚で立ち上がった。
そして、右前脚を額のあたりへ上げた。
敬礼した。
リオルは目を見開いた。
「……熊が、敬礼しました」
「はい」
メルセナは平然と言った。
「これは敬礼熊です」
「敬礼熊」
「はい」
「そういう種類の熊なんですか?」
「いいえ。かつて森で捕まった熊です」
「捕まった熊」
「はい。その後、私が餌付けしました」
「餌付けで敬礼するんですか?」
「正確には、ほぼ躾けました」
「どう躾けたら熊が敬礼するんですか」
「長くなります」
「長いんですか」
「はい」
敬礼熊は、姿勢を崩さない。
ただ敬礼しているだけではない。
耳は森の方へ向き、目は魔物の流れを追っている。周囲の人間との距離も測っているようだった。
リオルは少しだけ、背筋が伸びた。
「熊って、ああいうふうに立つんですか?」
「普通は立ちません」
「敬礼してますけど」
「ええ。敬礼していますね」
「教育で熊が敬礼するんですか?」
「教育が足りなければ、熊は熊として妥当な判断をします」
「委任契約の説明にあったやつですね。人間にとって都合がよいとは限らない」
「はい」
リオルは敬礼熊を見上げた。
大きい。
そして、妙に威厳がある。
「強いんですか?」
「強いです」
メルセナが短く答えた直後、森の縁から小型の魔物が一体、先走るように飛び出してきた。
角兎だった。
柵へ向かって一直線に跳ねる。
メルセナは何も言わなかった。
敬礼熊が動いた。
大きな体に似合わない速さだった。
一歩で進路に入り、前脚を振る。
叩き潰すのではない。
爪の先で弾くように、角兎の進行方向だけを変えた。
角兎は地面を転がり、村とは違う方向へ逃げていく。
速い。
鋭い。
正確だった。
リオルは思わず息をのんだ。
「……強いですね」
「はい」
「敬礼するだけじゃないんですね」
「敬礼するだけなら、戦場には連れてきません」
「それはそうです」
リオルは牧草地を見る。
魔物の数は多い。
敬礼熊は頼もしい。
だが、一体では足りないように見えた。
「先生。敬礼熊一体で対応するのは、危なそうです」
「なぜですか」
「柵を守る相手と、群れの端を削る相手が必要です。一体だと、どちらかが空きます」
「では、通常熊を二体、追加します」
「通常熊」
「はい」
熊に、通常という前置きがついた。
先ほど敬礼した熊のせいで、それを自然に受け入れかけた自分が少し怖い。
メルセナはもう一度召喚陣を展開した。
光の中から、二体の熊が現れた。
片方は黒っぽい毛。
もう片方は赤茶けた毛。
どちらも大きい。
だが、敬礼はしなかった。
黒い熊は地面を嗅いでいる。
赤茶の熊は、黒い熊を見ている。
黒い熊も、赤茶の熊を見た。
「敬礼熊との違いは?」
「通常熊は、普通の熊です」
「……普通の」
「はい。普通に強いです」
通常。
普通。
熊にその前置きが必要な時点で、たぶん普通ではなかった。
「敬礼熊は、目的、優先順位、守る対象、撤退条件をある程度理解できます」
「通常熊は?」
「人を追わない。柵の内側へ入らない。怖ければ退く。無理に突っ込まない」
「だいぶ違いますね」
「はい。劣っているのではありません。理解できる条件の粒度が違うだけです」
リオルは二体の通常熊を見た。
黒い通常熊はまだ地面を嗅いでいる。
赤茶の通常熊は、まだ黒い通常熊を見ている。
黒い通常熊も、また赤茶の通常熊を見た。
リオルは少し嫌な予感がした。
メルセナは三体の熊の前に立った。
「これより、リオル・ロステルへ限定的な現場運用補助を委ねます」
リオルは背筋を伸ばした。
「敬礼熊。あなたは、自身が達成できない任務を無視できます。村の防衛を無視する指示、制限範囲外への追撃、村民に危害が及ぶ指示が出た場合は、私の指揮権下へ戻りなさい」
敬礼熊は敬礼した。
「通常熊二体。人間を追わない。村の柵の内側へ入らない。恐怖を感じる指示は無視してよい。無理に突撃しない」
通常熊二体は、分かったのか分からないのか、鼻を鳴らした。
リオルは不安になった。
「あの、通常熊にはそれで通じるんですか?」
「複雑な条件は通じません」
「ですよね」
「ですから、感覚的な制限だけをかけます」
「熊に分かる形にする」
「はい」
リオルは三体を見る。
敬礼熊。
通常熊二頭。
自分が呼んだわけではない。
けれど、現場の配置は自分が考える。
「敬礼熊は、柵付近の防衛。柵を越えそうな魔物を止めてください」
敬礼熊が敬礼する。
「通常熊二頭は、左側から群れの端を削ってください。倒し切らなくていいです。村へ向かう流れを横へ逸らすのが目的です」
通常熊二体が森の方を見る。
「南東側は塞がない。魔物が逃げる道を残します」
リオルは地面に線を引く。
「黒い熊は左前。赤茶の熊は少し後ろ。近づきすぎないで、別々の範囲を見てください」
メルセナが静かに言う。
「よいです。始めなさい」
魔物の群れが、森の縁から出てきた。
角兎。
土走り。
灰爪猿。
小型から中型の魔物が、火に追われるように村へ向かっている。
リオルは息を吸った。
「お願いします!」
三体の熊が動いた。
※第5話「敬礼熊は中間管理職」は全六回です。
続きます。
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