第34話「忠告を受けたこと」
カケンが酒場を出ていいたのと入れ替わるようにして、ヨハンナが早くも医者を連れ立って戻ってきました。ヨハンナは肩で息をしながら、「先生。どうか、よろしくお願いします」と医者とおぼしき二人組に向かって頭を下げています。ふたりはどこか見覚えのあるような、青い髪の女と頭をまるめた男からなります。
青い髪の女が、酒場のおもちゃ箱をひっくり返したような惨状をざっくり捉えると嘆息を漏らしました。
「おいおい。一体全体、ここで何が起こったってんだい? アルフォンゾ、この辺りはでかいだけで役立たずの巨人どものお散歩コースに入っていたかい?」
女は怪我人の数を瞬きしながら大雑把に数えます。そうして一番手前の寝転んでいる怪我人の方に行って、脈を測りました。
「いえ、姐さん。巨人なんかはここ数十年は人里に現れたりしてませんぜ」
すかさず坊主頭の男が律儀にも答えます。名前をアルフォンゾというようです。どこかで聞いた覚えがあります。彼は別の壁にもたれかかった怪我人を床に寝かせて、鼓動を確かめようとする最中でした。
軽口を叩きながらも、しっかり怪我人に対応するふたりの様子はさながら名医の手捌きでした。
「そうだよねえ。もしそんなことになれば、このヤーバクーは『帝国一住みたくない町』に──
そこでのっそりと起き上がったドトと女の目がぴたりと合いました。
「おや……あんたは……!」ドトが女の顔を指差しながら言います。「町医者のノンさんじゃねえか! それにアルフォンゾさんも!」
医者のふたりはつい先程、往診してもらったノンとアルフォンゾでした。
ノンがドトに気付くとまさか、と言いたげな表情を浮かべて辺りを正確に観察します。壁にぐったり寄りかかるマークガーヤ、拳を朱に染めて座ったまま眠るラチュウ、よりぼろぼろになって精魂尽き果てたように椅子に座るシュナイザー……それらを一通り見終えると、ノンは頭を抱えました。顔を上げるとそこには苦虫を嚙みつぶしたような険しい顔つきがありました。
「ったく……嬉しくない再会だよ……」
酒場にいた全員に一定の処置が施されると、ノンはイーラーケルの一行を酒場の真ん中に集めました。ラチュウさすがに何事かと目を覚ましていました。
「あんたたち、無茶も大概にするこったね。同じ医者に一日に二度もかかる馬鹿どもが世界中探してどこにいるってんだい」
その静かでありながらもきっかけさえあれば全てを燃やし尽くしてしまう爆剤のような怒りの矛先はまっすぐシュナイザーの方に向けられていました。彼が怪我をもうひとつこさえるのにもはや一刻の猶予もなさそうです。鉄の弓にしっかりと張られた弦のように切れることのない、気まずさが辺りを支配していました。
「姐さん。目の前にいます」
アルフォンゾがなぜか言いました。いらない報告でした。
「わかってるさ、アルフォンゾ。だから、あたしは怒ってんだ。しばらく向こうで怪我人でも診てな」ノンはアルフォンゾをきっと睨みます。彼は素直に指示に従いました。ノンはそのまま酒場の壁に打ち付けられた例の血判の方に視線を流すと冷ややかにそれを見つめます。「あんたが無理を押し通して出て行ってから思い出したよ。あんた、ちょっとした有名人だもんね、『縫い目のシュナイザー』!」
「……不名誉ながら、そう呼ばれていた時代もあったな」
シュナイザーが徐に口を開きました。
「不名誉だって? 言い得て妙じゃないか。戦いの度にいつも大きな怪我ばかり負って、命の境をさ迷って、身体中縫合の跡ばかり。そりゃそう呼ばれもするさ」
「戦いにおいては……そう、都合よくことは運ばない。格上と対峙するとなれば、怪我の一つや二つを負うことも想定の範囲内だ」
シュナイザーはこれまでの数々の死闘を思い起こしながら言いました。脳裏に過るのは初陣である、ブルニン戦争中のタリングの戦いから、先刻のスヴェトロノスとの戦いまでの全てでした。そして、彼は自分自身が立てた『騎士の誓い』がある意味では自分にとって呪いになって働いているということにもこの時点で気付きかけておりました。
「その毎度の怪我が大きすぎるって言っているんだ! あんた、そんな危なっかしい戦い方をしているようじゃ、この先ろくなことにならないよ!」ノンはそう力強い語気で警告すると、シャンティと彼女に抱きかかえられているイーラーケルの方を見ました。「あんたが死んじまえば、残されたシャンティさんと坊やは誰が守るのさ!」
「それは……」
シュナイザーが思わず顔を伏せます。
ふと目をやるとゲリも自分の尻尾を弱々しく垂らして落ち込んでいるみたいでした。
「おっと。僕、ラチュウ=フュウモニッチのことを忘れてもらったら困るよ! 僕も皆さんを守る騎士さ!」
ラチュウが慌てて自分の存在を主張するみたいに手を挙げられるだけ高く挙げてから言いました。その手は折れた肋骨がみしっみしっと聞くに堪えない嫌な音を立てる度、すっすっと糸で手繰り寄せられているみたいに力無く下がっていくのでした。
さっきまで寝息を立てていた人物が騎士として名乗りを上げてくるとは、なかなか肝が据わっているというか、図太いというか、救いようのない楽天家というか、ともかく筆舌しがたい光景がありました。
「ラチュウって言ったね。じゃあ訊くけど、あんたひとりで守り切れるって言うんならどうして、こんなにあんたたちに使う包帯の量が増えていくのさ」ノンがそう迫ると、ラチュウは押し黙りました。さすがに彼にとっても分が悪く、自身の痛みが現実で起きていることを教えてくれるのも相まってそれ以上、話を続けるのは難しそうでした。「いいかい? もっと慎重になることだ。まだまだあんたたちの旅は続くんだろう? 急いでいるみたいだったけど。どこまで行くんだい?」
一行は果たして明言してものかと一瞬、迷いを見せましたがマークガーヤが咳込むと口を開きました。
「…………帝都を目指している」マークガーヤは森の魔性に侵され意識がはっきりしない中で、よく世話になったのもあってノンたちを心より信頼していました。それから拳をぐっと握ります。「それに…………俺も家族を守れる…………守りたい」
「気持ちは大事さ。だけど、気持ちだけではどうにもならないことを知った方がいい」ノンは冷たく突き放しました。現実とは無慈悲で残酷でした。「まだ一週間近くかかる距離じゃないか。旅程を見直すべきだよ。より危険が少なく着実な──
「それはできない」シュナイザーが遮って言いました。「それでは間に合わない」
きっとこの場で形だけそれに同意してノンを安心させてもよかったかもしれませんがシュナイザーはそうしたくありませんでした。駆け引きなしに真っすぐ向き合ってくれるノンに不義理で答えたくなかったからでした。
「期限付きね。だが帝都に着けない内に、道中でくたばってしまえば元も子もないよ。それはわかるだろ?」
「だが、使命がある」
「使命より命さ! あんた自分の命の使い方を知っていると、一丁前にほざいていたけどとんだ不器用者だね!」
「姐さん。ちょっといいですか? こっちの怪我人の容体が」
アルフォンゾが少し離れたところからノンを呼びました。
「……ああ。わかった。今、行くよ」ノンが振り返りながら言いました。「忠告したからね。誰かのために命を張るのはいいけど、自分の命そのものを軽々しく扱っちゃだめだよ」
「ノン、恩に着る。それと……すまない」
シュナイザーが言いました。その目から放たれる真っ直ぐな輝きには、当初はすぐに死ぬ無謀者のそれを感じず、生きる活力さえ感じましたが、今やノンの忠告をもってしても制止することのできない舗装された死へ真っ直ぐに向かっていくさますら読み取れるようでした。
──シュナイザー。あたしが一番、恐れているのは、あんたとあんたが守ろうとしている者とを繋ぐ縫い目が、いつか永遠に繋がらなくなってしまうことさ。
「……ふっ、まさか、あたしの忠告が奉仕活動だなんて思ってないだろうね。新しく発生した治療費は男爵の名前で改めてつけとくよ。もちろん、今回の相談料を上乗せしてね」ノンが半身になってやっと表情を緩ませながら言います。真意は隠していました。「名医は強かなのさ」




