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「勇者イーラーケルの冒険譚」  作者: 黎明・弐
第二章:初めての冒険(帝国歴1202年)

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第33話「責める者のこと、責められる者のこと」

 その瞬間、ぷつりと糸が切れたみたいに酒場の中の客が思い思いに蠢動(しゅんどう)し始めました。


「おい、どうなってんだ!? 一体……」

「いつの間に、酒場がこんなことに?」

「きゃあああ! し、死体があるわ!」


 皆、長い夢を見ていたようでした。自分たちの座っていた卓が薙ぎ倒されていることに今更気付いた者、スイケンと使者の死体を見て恐れ慄く者、壁の人型の血に驚く者、戦闘のさなかに吹き飛ばされてようやく意識を取り戻した者。騒がしかった酒場がより騒がしく、混乱の中で地響きのように揺動していました。ランタンの光がちらりちらりと震えました。夢を見続けていた方が幸せだったかもしれません。


「魔法が解けたのか……」

 地に膝をついたまま、シュナイザーが言いました。その目線の上をナイフがすっと横切っていきます。


「グわっ──

 短く断末魔がひとつ上がりました。シュナイザーの切り取った使者の頭部は翼を生やして飛んでいこうとしていたところをテプタタのナイフが止めを刺したのでした。


「おい。ドトはどうした? それにラチュウは!」テプタタが手を差し伸べながら言いました。シュナイザーはその手をがしっと掴みます。「何が何だかわからねえが、おれっちの店で死人が出たんだ。もう客から犠牲者を出すわけにはいかねえ」


「ああ、同感だ……きっとまだ外で戦っている」シュナイザーはなんとか立ち上がりました。「私はあいつらのところへ行かないと……客は正面から外に出さないようにしてくれ。巻き込まれたらそれこそ困る……」


「おいおい。おみゃーさんもおれっちの客なんだぜ? 見たところ、おみゃーさんが一番、次の犠牲者に近いじゃねえか」テプタタがそう言って転がった椅子を起こすとそこにシュナイザーを座らせました。テプタタはさらに女中のヨハンナの方に眼光を飛ばします。「ヨハンナ! 客を正面からは出さず、裏口から逃がしてくれ!」


「うわああああぁぁぁ!──

 テプタタがそれを指示した矢先に狼狽したひとりの客がスイケンの死体に蹴躓きながらも正面口から外へ飛び出していきました。「まずい」とテプタタがつぶやいたとき、氷の(つぶて)が弾丸のように飛んできてその客の脳天を撃ち抜きました。また犠牲者が出てしまった瞬間でした。テプタタはぐっと奥歯を噛みしめます。

 ヨハンナは返事をする前に急いで走って入口に回り、扉を締め切ると立ちはだかりました。


「マスターの言った通りです!」ヨハンナは気丈に振舞っていましたが、大きく一直線に広げたその白く細い腕はぷるぷると小刻みに震えていました。「皆様、正面は危険です。裏口からお逃げください!」


 裏口にざっと人の波がざっと殺到していきます。「どけ」だの「俺が先だ」だの醜い争いをしながら出ていきます。その波の中では人間の本性が揺れていました。


「客が大方出たら、ヨハンナも裏から出て行って医者を呼んできてくれ!」

 テプタタが付け足して指示しました。彼は店内を見回して怪我人の数を数えます。シュナイザーとマークガーヤ以外にも先ほどの戦闘に巻き込まれた客がカケンを含めて七名おりました。


「わ……わかりました!」

 ヨハンナはしきりに背後を気にしていました。今すぐにでも逃げ出したいというのは生き物としての本能でした。すぐ後ろの壁一枚を挟んだ先の路地で戦闘が行われているわけですから。立っているだけ立派でした。


 すると数分経ってそんな後ろから扉をノックする音が聞こえました。そういえばやけにさっきから扉の外がしんとしているのでした。


「おい! ここ開けてくれないか? ひっく」

 ラチュウのどでかい声がしました。まぎれもなくラチュウの発声の仕方でした。


「き、気を付けろ! 奴らが声を真似ているだけかもしれない!」

 けれどシュナイザーがすぐに反応して言いました。例え血反吐を吐こうとも使者たちがスキンウォーカーだという話を聞いていたのは彼だけでしたので注意喚起をする責任がありました。イーラーケルという赤子を奪う目的さえ果たせられれば彼らにとって犠牲は惜しくないようでしたから。


「あっしもいるぜ。あの気持ち悪い奴はなんか、尻尾を巻いて逃げていっちまったからよ。とても速くって終えなかった」

 ドトの声もくぐもっていましたが聞こえてきました。ふたりの声がするということは使者ではない証左であるようにも思えましたが、ただ声色を切り替えているだけかもしれません。蹴破ってこないのは開けて油断したところを一網打尽にするつもりかもしれません。

 シュナイザーはテプタタを頼って瞳を凝らします。


 テプタタは目端を利かせて歩き出しました。

「……ヨハンナ。どいてくれ。おれっちが開ける」テプタタがヨハンナをちゃんと避難させてから、がっと思い切って開くと、そこには確かにラチュウとドトがおりました。「大丈夫。あいつらだ」


 その声を聞いて、酒場にいた者は一斉に安堵しました。


「わたしはお医者様を呼んできます!」

 ヨハンナがそう言って走って出て行きました。


 シュナイザーはそれを確認すると声もかけずに拳を固めると俯きました。


「ありゃ、どうしてだ? 酒場が無茶苦茶じゃないか」

 拳を赤く鮮血で染めたラチュウが入って来ながら言いました。そのまま、数歩歩いたところでくるりと一回転して座り込みます。ラチュウはびんやり自分の手を見て「いてえな……」と呟くとそこで寝息を立て始めました。


「客もほとんどいないな……」ドトが魔法の解除に気付きます。「おっ、ここでももう頭痛はしないぞ」


 ドトは転がったふたつの死体を見て、その後、シュナイザーの方を見ましたが、何も声をかけようとしませんでした。それがシュナイザーがよくする、楽になるための姿勢だと知っていたからでした。


 マークガーヤの傍にはシャンティとイーラーケルがついておりました。シャンティは壁にもたれた夫に器用にも口で蓋をとってやった水筒を、渡して水を飲ませて上げていました。ゲリもなんとかやって来てマークガーヤの隣でくーんと鳴いてから丸まりました。シャンティは水筒を受け取ってゲリを撫でると小脇に抱えてシュナイザーのもとに持って来ました。


「シュナイザーさん、駆けつけていただいて助かりました。いつも、ありがとうございます!」シャンティが目線を合わせるみたいに水筒を差し出しながら言いました。イーラーケルがその母親の格好を真似して手を出して『いあー』と言いました。「お水飲んでください」


 シュナイザーは俯いた姿勢のままです。目線の先には自分の拳と並行して揃った足があります。経験上、その姿勢が一番、楽なはずでした。見えるのは自分だけでしたから。


 ラチュウやドトが無事に帰って来て、戦いに区切りがついたかと思ったら、なんだかどっと痛み以外にも倦怠感が身体を襲いました。

「いえ……もっと早く私が来られたら、死ななくてよかった命があったかもしれませんから……」シュナイザーはそれを顔を逸らしてやんわり拒むと言いました。水も喉を通らない気分でした。「これじゃあ、あいつを利用だけして殺したようなものです。情けないことに皆さんのことも危険に曝してしまって……」


「……シュナイザーさん!」

 シャンティが名前を呼ぶとシュナイザーの頭に水筒をぐっと押し当てました。イーラーケルがシュナイザーの髪にぽんと触れました。慰めてくれているみたいでした。


「は、はい!」

 思わず、シュナイザーは顔を上げました。子どもが叱られるみたいにその顔は緊張していました。


「あなたは私たちを助けてくれたんです!」シャンティが強い口調で言いました。「そんなにひとりで塞ぎこまないで! 皆、ついてます!」


「……いえ、でも私は──

 そんな資格はない、と続けて言おうとしてシュナイザーは飲み込みました。それはシャンティの優しさを踏み躙ることになると思ったからです。再び顔が徐々に下がっていきます。


 すると崩れた机に埋もれていたひとりの男ががっと起き上がるとどすどすと歩くたびに段々足取りが早くなっていって、シャンティの腕を掴みました。顔にはのっぺりと翳りがありました。「きゃ」と短くシャンティが悲鳴をあげます。その男はカケンでした。

「いんや、こいつはとことん塞ぎこむべきさ、それに奥さん、あんたもだぜ?」カケンが汚れた面を向けて唾を吐き出して責め立てて言いました。シャンティの顔に唾がかかります。「あんたがその赤ん坊をこんなところへ連れて来たからスイケンは死んだんだ!」


「おい、やめろ!」ドトがカケンの手を払って彼らの間に入って止めました。「赤ん坊とその母親を責めるなんて見苦しい真似するんじゃねえさ。責めるならあっしらを責めな」


「いーや、やめねえさ!」カケンは自分の剣を拾うとそれを横に振って近寄らないよう牽制します。「俺はよーく知ってんだ! その赤子は忌み子だ! 災いをもたらす悪魔の子さ!」


「なんだと!」

 ドトが激怒して、剣に臆せずとびかかっていきましたがカケンはひょいと避けました。脇腹を貫かれていて手負いでもカケンの方が素早い身のこなしでした。彼は本気で切る気はなかったようです。ドトはそのまま転びました。

 シュナイザーも止めようとしましたが、とてもできませんでした。カケンにも共感できてしまったからです。それはスヴェトロノスの言葉もそうですが、結果的に絶望を招いてしまったのですから何と言って制止すればいいのかわかりませんでした。


「おい、やめねえか! 今更、争ってどうする?」

 テプタタが声にどすを利かせて、さらに間に割って入ります。

 カケンはテプタタが出てきたことで戦うことは本意ではないと、剣を鞘に納めます。


「マスター、こんな奴らを庇うこたねえぜ。それに俺はもう決めた。もうこいつらとは金輪際、関わらねえ! こっちまでスイケンの二の舞になっちまう!」カケンは指を伸ばしながら言うと、すたすたと歩いてカケンは寝ているラチュウの横を抜けてスイケンの死体を肩に担ぎました。少し身体と心との傷が痛むようで顔を歪ませました。「俺はスイケンを埋葬したらすぐにヤーバクーを出る! 間違ってもついてくんじゃねえぞ!」


 カケンは正面の扉の前に立つと振り返ってフードをそこでとりました。初めてその顔がはっきりと見えました。そこにあったのは涙を浮かべた目でじっと一行を睨む、スイケンによく似た男の顔でした。カケンは酒場から出て行きました。


 酒場の屋根の上にはその一連の様子をこっそり窺っていた者がおりました。異常に発達している耳で酒場の中のやりとりも全てつつぬけでした。

「オオ、友よ。仲間割れカ? ソレトモあの者はもとより仲間なぞではナカッタノカ……」それはラチュウとドトが討ち損ねた、あの使者でした。戦いから逃れた使者が屋根へと退いたのでした。「『君は長い旅を行くことになる。旅の途中には多くの出会いと別れがあるだろう』……神書ダッタか? パニヒダ様が熱心に読んでおられた」


 月明りの下、使者はごきごきと全身の骨格を変形させると黒い犬に変身しました。羽織っていた黒いマントが肌まとわりついてそれが次の瞬間、針の筵のように逆立った黒い毛へと代わります。舌でぺろりと掌を舐めると全身をぶるりと震わせました。


「我らもふたりの同胞ト別レルこととナッタ……パニヒダ様に補充してモラワネバ。シカシ、さすが我の友たちだ。見事だ」使者はなぜか嬉しそうにつぶやきます。腹がずきずきと痛みます。痛みがラチュウたちのことを忘れさせない、永遠にしていました。「……友の名前を覚えラレタのは収穫ダッタな。もっと彼らノコトヲよく知ってお近づきになれソウだ。あの勇敢で無謀な友たち。シュナイザーに、ラチュウに、ドト……」


 使者はヤーバクーの門の方向へ鼻先を向けました。そして、そちらへぴょんと空中に身を投げ出すとひょいひょいと屋根をじぐざぐに伝っていきます。影が高速で移動していくためにほとんど誰もそれには気付けませんでした。

 唯一、夜更かしして、のんびり部屋の窓から外を眺めていたひとりの女の子の視界に、たまたま月夜の晩に空を駆ける黒い犬の姿が映りました。その子は必死に親を起こしてそのさまを伝えましたがただただ頭ごなしに否定され、寝るように強制され枕を濡らすだけでした。


「……今、見られたカ? オソラク子どもダナ? 子どもと言えばダ」使者は名も無き子の視線に気付いていました。そして不適に笑って言います。「一番お近づきにナリタイのは……イーラーケルだな」

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