第27話「忍び寄る魔の手のこと」
シュナイザーはそんな話をしている席の方に目をやりました。そこには緑の衣と向かい合ってもうひとり、赤い衣を纏った男が座って、ジョッキをもたげていました。人相は影になっていて、あまりよく見えませんでした。暗闇の中に口だけが浮かんでいるみたいでした。
「ああ。聞いたぞ。何でも南の方から来てるとかだろ? 『南方の使者』と呼ばれてるとか。あんな物騒なところからわざわざやって来て、その目的が赤ん坊だなんて一体、そいつらは何がしたいんだろうねえ」
赤い方が答えました。図太い男の声が影の中からしました。
「ロッカーテの策謀ってのはどうだ? あの国とは小競り合いが続いているから。赤子を名いっぱい殺しておくことで将来のこっちの戦力を削ごうとしてるとか」
緑の方が思いつきみたいに言いました。
『殺し』という言葉に反応してシュナイザーはますます、この話を聞く衝動を抑えられませんでした。
「そんな赤子殺しなんて回りくどいことをするかよ。目の前の兵士をひとり殺せば、自分たちと戦う兵士を確実にひとり減らせるんだから、そっちの方が手っ取り早いだろう」
赤い方が呆れながら言いました。理知的で、戦場を知っているような言い回しでした。
「それが呪術的な儀式になってるって可能性は? 赤子百人の命を代償に冥界から悪魔を召喚して契約するとかよ?」
緑の方が言いました。なんだか飛躍しているような考えでしたが、緑の方なりに自身の論理を補強しようとしているみたいでした。
「お前は発想が幼稚すぎだ。ひとつの城でも潰せば赤ん坊の確保なんて余裕だぜ。しかも赤子を殺すためって目的が決まったわけじゃねえ」赤い方がぐいっと酒をあおるってから自信満々に言いました。「俺から言わせればね。三年前に南のコロッセウスで闘技場が出来たろ? 子どもを攫ってきて未来の剣闘士、ひいては未来の兵士でも育てるって魂胆なんじゃねえかって睨んでるがね」
「あくまで国内での動きってわけか! 未来の優秀な兵士を育てるためにあの闘技場を作った、って噂も立つくらいだもんな。帝都のお偉いさんが一枚噛んでるとかなら、そいつはますますありそうだ!」緑の方が興奮しながら言いました。そした、さらに気付いてしまったという風に驚愕した表情をして言いました。「……そういや、勅令が出てたよな!皇帝陛下様が赤ん坊を帝都まで送れって言ってるやつ!」
「ああ、そこに注目だ。普通に考えりゃ勅令は赤ん坊の保護だが、もしかしたら一斉に徴兵の対象とするためなのかもしれん」赤い方は得意げに言いました。「そうなると、南から来る奴は、帝都にまで来る勅令を無視した奴らを処罰するか、赤ん坊を強制的に徴収するかのための執行官か?」
「つまりは敵国の陰謀か、国内での徴兵か。どっちかってことか?」
──その二択はやや危険か……
シュナイザーはそこまで丹念に話を紐解きながら聞いていました。彼らの『帝国が国を上げて、兵士の確保について動いている』という言には懐疑的でしたが、その言葉にはやや引っかかる部分があるのでした。何か大事なものを見落としている気がするのです。
──まず、勅令に無視を決め込むなんて普通は出来ない。だが、その勅令を今一度、思い起こせばどうだろうか。
シュナイザーが気がかりなのはそれは勅令後段の罰則規定についてです。勅令にはこうあります。
『なんらかの障害により、30日までの帝都到達が著しく困難、もしくは不可能』の『とき、上記幼児の属する領地を管理・運営する諸侯にこの全ての責があるものと見なし、これを厳罰に処す』、と。
──処罰を被るは諸侯のみで、幼児に安易には手出しはできない。そう考えていたが、逆にこの勅令には幼児をどうとでもすることができるという余白があえて残されているとしたら? 『南方の使者』の目的は赤ん坊の確保もしくは、抹殺か?
そこまで考えていやいや、と首を横に振ります。
帝国が『予言の子』を排除するなんて動きをとるのはあまりにも考え辛いからです。 しかし、すぐにあるひとつのきっかけさえあればその不自然さも説明できるのではないか、と思い始めます。
「パンドゥロザ王国!」
シュナイザーは机を叩きつけて立ち上がりました。パンドゥロザ王国──魔に滅ぼされた国。その一言は酒場の騒がしさに溶けていきましたが、一瞬、空間がぐらりと歪んだ気がしました。彼らにはその言葉がまるで耳の奥にまで届いていないみたいな異様さがありましたが、彼は思考するのに夢中で気付きませんでした。
────なぜあの国を見落としていた! あの国を考慮すれば『南方の使者』はその手の者と解される。あるいは、皇帝は既に魔の手に落ちている可能性すらある。これは不敬にしろ、なんにしろ考慮するべきことだ。
「おいおい、シュナイザー。いきなり、どうしたってんだよ?」
目の前にいたドトが驚いて言いました。その頬は酒に酔って赤くなっていました。スプーンを落としてしまいそうになっていました。
「……いや、少し、気になることがあってな。直接、訊いてみることにするよ」
シュナイザーはそう告げると、ドトの返事も聞かずにそのまま立ったついでに歩いて隣の席にまで行きました。
──訊きたいのは『南方の使者』の噂の出処と真偽。その者の背格好、どのあたりに現れているのか、その数は、それに……
「お、おい。シュナイザー!」後ろからドトの引き留めるような声がしましたがシュナイザーはぶつぶつ言いながら振り切って歩いていきます。「くれぐれも喧嘩すんじゃねえぞ。ここでは喧嘩はご法度──
「──おい、お前たち。その話、もっと詳しく聞かせてくれるか?」
「あ? なんだ、てめえ?」
緑の方が言いました。黄色い歯、片目が中途半端に下がり、その上にこぶのある貧相な男でした。彼は見上げならがらもまだのんびりパンを齧っていました。
「盗み聞きしてやがったとは気に入らねえな」赤い方がすたっと席を立ちました。衣をはらうと腰にあった剣が揺れました。「それに礼儀がなってねえってもんだぜ、なあ? スイケン」
「おうよ! カケン!」
スイケンと呼ばれた緑の方がそれを見て、慌ててパンを置き、もぐもぐ噛みながら立って剣に手をかけます。「俺たちが礼儀ってもんを教えてやるよ! このけ──
すると、向こうからナイフが飛んできて彼らの間を通り、背後の壁に突き刺さりました。
「お客様。他のお客様にご迷惑になりますので」女中は常に目を光らせていたみたいでした。テプタタが料理に集中している間は彼女がこの場を掌握していました。「喧嘩はお外でお願いしますよ? あ、お支払いはお先にお願いしますね。それと喧嘩仲裁料として──
「いやいや。喧嘩なぞしようとしてないぞ? なあ、スイケン?」
カケンが手を上げ降参して言いました。追加で金をとられそうになるのも嫌みたいでしたし、女中に喧嘩を売るのも嫌みたいでした。ここで許される喧嘩というのはラチュウとテプタタのような魂でぶつかるい料理対決くらいみたいでした。
「お、おうよ! カケン!」スイケンがシュナイザーの肩を抱いて言いました。「お前もそうだろ? 急に話しかけてきた兄ちゃんも?」
「ああ……私はもとより話がしたくてだな……」
シュナイザーには戦意がありませんでしたからその答えは当然でした。手がまだ剣を十分に握れるほど回復し切ってはいませんので戦うのは極力避けたかったのです。
ですが、相手が剣を抜いてくるとすれば易々、切られるわけにはいきません。そのため、シュナイザーは彼らの剣が覗いた瞬間に腰の剣に手をそえていたのでした。
「どうでしょう?」
女中は笑っていましたが、貼り付けたような笑顔でした。目の奥が一切、笑っていませんでした。手にはさっきよりも多くのナイフが握られ鋭く尖っていて、それは女中の眼光と同じく輝いていました。
そのとき、わっと向こうの人だかりにどよめきが走りました。
丁度、ラチュウとテプタタの料理対決のところの観衆です。
「おい! 手が止まってんじゃねえか!? ボケ面?」
「じじいの方こそ、他の注文に手取られて、疎かになってんじゃだろうな? 耄碌じじいが同時並行で料理なんて慣れないことなんて無理しちゃって!」
威勢のいいふたりの声がここまでよく聞こえてきます。こちらにまで美味そうな匂いが漂ってきます。
「──何か盛り上がってるみたいだな。それに美味そうな匂いも」カケンが鼻を利かして声の上がった方に顔を向けて言いました。「そういや、俺らもあの料理にありつきたいからこうして、うだうだ油を売ってたんだったな」
「ああ、そうだった。だからうまくもねえ安酒をちびちび──
その瞬間、またナイフが飛んできました。心なしかカケンの顔に近い距離を飛んでいったように思えます。ちょっとでもずれれば風穴が開くところでした。
「いや、すごくうまくて、すごくいい酒を飲んでたが、喧嘩だなんて野暮なことをして、酒場を追い出されたんじゃ、たまったもんじゃねえもんな」
「というわけで、兄ちゃん、話はあとにしてもらっていいか?」カケンは強引にも話を終わらせようといしていました。「不躾なのはお互い様だろ? 俺らはあの世紀の対決をおがんでくるぜ! そろそろ佳境みたいだしな!」
カケンとスイケンは行ってしまいました。
「あ──
シュナイザーはふたり背中を眼で追います。はあ、とため息を吐きます。それが火に水を注ぐことにならなければいいがと思いました。
ドトはそれを見て勝手な奴が多いもんだと思いました。皆、返事も聞かずに自分が行きたい方向に行ってしまうのですから。
「だが、このうまそうな匂いは本物だな……惹きつけられちまうのもわかる……おい、シュナイザー! 久しぶりにラチュウの料理の腕前とやらを見せてもらおうじゃないか。それにあっしの友と鎬を削ってるんだ。見て損はないと思うぜ?」ドトが歩いて行って肩に手を置いて言いました。「それにあいつらとも飯食いながらゆっくり話ができれば、もっと腹割って話せるんじゃねえかな」
「……そう思っておくか」シュナイザーが残念そうに言いました。彼の頭の中には一度、気付いたパンドゥロザとの因果が渦巻いていました。「これからの旅に大きく関わることなのだがな……」
シュナイザーは料理対決を見守っている、アーファンルンク家の方を見ました。シャンティの腕の中でイーラーケルは楽しそうに笑っているのでした。
ヤーバクー付近にこの町の者は誰も見たことのないような邪悪な三つの影が現れたのも丁度、その頃でした。草ががさりと鳴りました。口元からは涎が垂れて、それが大地に落ちると酸のように地が溶けました。




