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「勇者イーラーケルの冒険譚」  作者: 黎明・弐
第二章:初めての冒険(帝国歴1202年)

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第26話「力のこと」

「シュナイザーさん、私ね。夫がこの話をしてくれたとき、きっとそれはイーラーケルが助けてくれたんじゃないかってすぐに思ったんです。どうしてかって、この子、夫が魔法の浸食で身体を植物に蝕まれているときも、意識の境をさ迷っていたときも、ずっと起きたまま。お乳の時間になっても泣かないで、じっと夫のことを見つめていたんです」シャンティが偉かったね、とイーラーケルを褒めながら言いました。彼は笑っていました。この町に入ってからイーラーケルはずっと機嫌がいいみたいでした。「あるとき、この子がふと夫の方に手を伸ばしたんです。きっと、私と同じで心配してくれてるんだな。もっとお父さんの顔をよく見たいんだなって思いました。お医者様や聖職者の方に無理を言って顔の近くまでイーラーケルを持っていったらこの子、夫の額にそっと手を置いたんです!」


「…………俺もたしかに何かに触られた感覚があった。ますます、その声は大きくなった。声は頭上から霧雨のように優しく降り注いでいた。『早く目を開けて、自分の顔を見て』って言っていた」マークガーヤが言いました。手の指は全て包帯で巻かれて痛々しいものがありました。「…………俺はなんとか闇の中でもがいた…………もがく中で光が見えた。頭上の光がだ。イーラーケルの産まれたあの夜の空のような…………綺麗な光だった。その光に手を伸ばして掴んだと思ったら目が開いた。目の前にはこの子のまぶしい笑顔があった」


 マークガーヤはそのぼろぼろの手でイーラーケルを撫でました。


「あーい!」

 イーラーケルがくすぐったそうにしながら言いました。


「──不思議な体験をなさったんですね。私もイーラーケル殿が助けてくれたのだと思います。さっきもラチュウやドトが語ってくれていました。森を脱出する際にも、彼の光が導いてくれた、と。彼には……きっと特別な力があるんじゃないかと思います」

 シュナイザーはイーラーケルを見詰めながら言いました。その赤子もこちらの視線に気づいて、汚れを知らぬ純粋無垢な眼で見つめ返してくるのでした。


 シュナイザーは特別な力なんて口で言ってみたのはいいのですが、本心では戸惑いがありました。彼は視線をそらさずにそのままずっとイーラーケルと見詰め合っています。

──なあ、君は何者なんだ? 予言通りに『魔を打ち滅ぼす剣』なのか? 今ここに君と私がいてその全てが運命なのか?

 次々と疑問が汲めども尽きぬ泉のように溢れ出していくのです。でも、きっとそれらは帝都に着けば自ずとわかることであることが察しはつきました。


 でも、これからわかるかどうか、それすらも怪しいものもあります。

──もしそうなら、君が剣なら、私は君のために何になれるんだ?


 そのとき、スヴェトロノスの今際のときの言葉がシュナイザーの脳裏をよぎりました。


(あのイーラーケルという子、どうも『シュナイザー卿以上の希望』とはワタシには思えませんから)


(あなたは自分たちが『どこへ何を運んでいるか』、それを正しく知った方がいい)


──いやいや。この子はきっと『希望』だ。じゃあ、何なんだ、あいつの言葉は? なあ、君は何者なんだ? 教えてくれよ。イーラーケル=アーファンルンク……


『…………!』


「え!」

 シュナイザーはそれまで、すっかり黙り込んでしまっていましたがどこからか声が聞こえた気がしました。


「シュナイザーさん、どうかしましたか? シュナイザーさん?」


「あ、すみません」シュナイザーはようやく反応しました。「少し考え事をしていました」


「…………びっくりしたぞ。急に黙ったかと思ったら声を上げるんだからな」


「すみません。驚かせてしまって」

 そう言いながらシュナイザーは狐につままれたような気分でした。

──何か今、声が聞こえた気がしたが……何と言っているかまではわからなかったが……


 そのとき、酒場の扉がずっと音を立てて開きました。すかさず、テプタタがそちらを見もしないでしゅっとナイフを投げます。次なる洗礼を受ける者は誰だと皆の視線がナイフの軌道を追って戸口へと行き着きます。


「うおっと」立っていたのは汗だくでびっしょり水を被ったみたいな見た目のドトでした。手には巨大なイノシシが抱えられていました。テプタタの投げたナイフがそのイノシシの腹部に刺さっていました。「お、おい! テプタタ! 危ないじゃないか!」


「あん? ああ、ドトか。なかなか早かったじゃねえか」黒のメガネを下げてドトを確認すると、テプタタはひょいとカウンターを飛び越えると、人数分のパイの載ったトレイを片手に持ってきました。やって来ると彼はラチュウの肩に手を置きます。「おい、ふくれっ面! 食材が来たぞ! まさか今更、怖気づいたか?」

 シュナイザーがトレイを受け取りました。ラチュウはテプタタの手を払いのけると、それに一切、反論しないでただ「行ってくる」と呟いて立ち上がりました。そして、ドトの方に行くとイノシシをもぎとるように奪って行きました。愛想のいい女中が入れ替わるように、注文していた飲み物を持ってきたのでもう一度、ラチュウは戻って来ました。「行ってくると今さっき言ったばかりじゃないか」とシュナイザーが言いかけたところでラチュウはビールを忙しなく一気に飲み干すとまた「本当に行ってくる」と行って再度席を立ちました。


 ふたりはカウンターに立ち並びました。

「緊張感のねえ野郎だな? あん?」

 テプタタが二本の包丁を打ち鳴らしながら言いました。


「緊張感なんて必要ない!!!」ラチュウが自前の包丁を握りながら言いました。酒が入ってさらにその熱は冷めやらないよう様子でした。「ただ僕が証明すればいいだけだ……僕が料理への情熱が本物であること、そしてその熱量がお前に負けるはずがないことをな!!!」


 今、彼らの料理対決の火蓋が切って落とされました。


 客の中にはどちらが勝つかと賭けを始める者もおりました。熟練者対新星。ひりひりした賭博ができそうな組み合わせでした。

 いったいどんな料理が出てくるのだろうとよだれを垂らし、舌なめずりをする者もありました。ゲリもその中の一匹でした。酒場で調理された料理はその場にいた全員に振舞うというのもよくあることでした。テプタタは変わり者ですが粋な男でしたので皆が期待しておりました。

 不届き者としては、この騒ぎに乗じて金を払わずに逃げ出そうとするもありました。そこは女中さんがナイフを投げてそれをきっちり制止して、しっかり勘定していました。この酒場はえらく武闘派揃いみたいでした。


 ドトがへろへろになって帰って来て席に着きました。彼の唯の救いは運動で汗をかいた後のビールは格別うまいということでした。彼はすぐさま、ビールをあおります。

「ふう。うめえ」ドトは幸せそうな顔をして息を吐きだしながら言いました。五臓六腑に染みわたるとはまさにこのことでした。「とんでもない目に遭ったとはいえ、酒が功を労ってくれるよ」


「おう、ドト。私も労ってやるぞ。ご苦労だったな」シュナイザーがぶどうジュースを飲みながら労いました。「本当にいい仕事をしてくれた。ラチュウがうまくあのマスターを焚きつけてくれたおかげで、美味い料理にありつけるかもしれないからな」


「イノシシ料理って食べたことないわ。なんだか精がつきそうね。今から楽しみ!」

 シャンティがイーラーケルにミルクをあげながら言いました。


「わふう!」

 ミルクを舐めていたゲリが鳴きました。


「…………皆、その口か。この一行は飯に対する熱量がものすごいからな」

 マークガーヤがそう言ってパイを一匙、口に運びました。

 なんと、ごろごろと牛肉やニンジン、ピーマンが詰まっています。それがほくほくと口の中を幸せな味で包んでくれるではありませんか。ビールを飲めばさらにこれが美味いのです。マークガーヤは天にも昇る心地でした。彼も例外なく、旅の飯の虜なのでした。


「そうですな。飯は旅の醍醐味ですからな」ドトもパイを食します。思わず美味いと破顔します。「あっしが帰るまではどんな話をしてたんですか?」


「ああ、イーラーケル殿の力についての話だ。私が訊いた」シュナイザーが言いました。「何かきっと秘めている。私たちはより一層、覚悟を決めるべきなのかもしれないな」


「疑わねえ方がおかしいさ」ドトが頷きながら答えました。するとドトはぽろぽろと涙を流し始めました。ずっとため込んでいたみたいでした。「気付かないものも含めたら何度もこの子にあっしらは救われてる……こんなに小さい子も頑張ってるってのに。あっしはシュナイザーやラチュウに頼りっぱなしで。無力さを感じたよ。怪我ひとつ負わねえでよ。これ以上、頼りっぱなしってのもいただけねえ。あっしももっと頑張るよ」


「そんな! 泣かないで、ドトさん! ドトさんが馬車を運転してくれなきゃ、私たちどこにも行けなかったじゃない!」

 シャンティが真っ先にドトを慰めました。イーラーケルも「あいあい」と言って、それはまるで泣かないでと言っているみたいでした。その優しさもドトには辛いのでした。


「ドト、お前、酒入ったらすぐ泣くんだから」シュナイザーがそう言いつつも食事の手を止めてさらに言いました。「けど無力だなんて間違っても思うんじゃない。私がお前たちを行かせたのも何もラチュウだけを信頼してじゃない。お前のことも信頼してたからこそその判断に踏み切れたんだからな」


「…………一早く、ドトが俺が狂ったのを皆に共有してくれたと聞いた…………それが遅かったら、シャンティを俺は傷つけていたかもしれない。それに俺とイーラーケルを森を出た後、すぐにヤーバクーに送ってくれたことも聞いた」マークガーヤのそれは伝聞ではありましたが、ドトもまた自分たちのために身体を張ってくれたことに謝意があるのでした。「ありがとう」


 ドトは一層、泣いてしまうのでした。


 ドトが泣き止むまでしばらくかかりました。背中をさすったり、励ましたり、挙句イーラーケルも涙を拭ってあげたりとどちらが赤子かわかりませんでした。


「あっしのことはいいから話しててくれ。その方が気がまぎれるってもんだ」


「そうか? じゃあ、そうするよ。明日と明後日の旅程について確認しておきたいのだが──」


 机にシュナイザーは地図を広げました。

 今日の本来の到達目標であったのは隣のランセーラという町でした。なので少し遅れをとっていることになります。ですがシュナイザーにとっては許容範囲でした。

「──明日の朝は早めに出発し、ランセーラ到着後はすぐに山をぐるりと回って、二日目で大都市プラキリオンまで行ってしまいます」シュナイザーが指で道のりを描いていきます。「三日目は関所を抜けてエイア地方に入り、炭鉱の町、旅人の町、交差する町を通って、グルジカンという砂漠の中都市まで行きます」


「砂漠なんて通るんですね」


「はい、暑いかとは思いますがその分、多くの休憩を挟みつつ参りましょう」シュナイザーは言いました。「四日目、五日目についてはまた追ってお話しします。順調に行けば、五日目の昼頃には帝都に到着するかと思います」


「…………思っていたより余裕があるのだな」

 マークガーヤが安心したように言いました。一日であまり進んだ実感がありませんでした。


「四日目が峠ですね。そこを越えられればなんとかという感じです」シュナイザーが予告して少し場を引き締めておきました。けれど少し引き締めすぎたかと思って緩めました。「あまり先々のことを考えすぎても仕方ありません。もうウェルコルテ街道にも乗れますし。ひとまず今日はこうしてなんとか一日目を乗り越えられたことを喜びましょう」


「……何だか聖職者みたいだな。お前は、説法が上手そうだ」

 ドトは涙の通った跡こそまだ残っていましたが、やっと軽口を叩けたという感じでした。


「うるさいな。綺麗に締めただろ?」

 そうシュナイザーが言うと皆が笑いました。ドトも笑っていました。


 ラチュウはテプタタと料理対決の真っ最中でした。その見事な包丁捌きに、うまそうなソースの色合いに、立ち上がる香りに、華やかで肉厚の肉塊に、ふたりの料理の創意工夫に皆が興味津々で人だかりができていました。

 娼婦が色目を使ってもラチュウは見向きもしませんでした。ラチュウは少なくともこの瞬間は女よりもイノシシの方に興味がありました。

 テプタタも負けておりませんでした。さすがに根っからの料理人ということで注文が入ればその料理と並行しながら、対決にも臨むという器用さを見せました。


 ラチュウたちの料理対決が決するまでに一行は色々な話をしました。


 シャンティが夜更かししたらボギーに食べられるという躾をされ逆に眠れなくなった話。

 ラチュウたちが騎士の仲間連中との大宴会開けに二日酔いで稽古に参加して剣の師範のギャラルにこっぴどく叱られた話。シュナイザーは下戸だったためにそのときひとりだけ説教を免れた話。

 マークガーヤが鍛冶で名刀を打った話。次の日、その名刀が野菜を育てる支柱にされていた話。


 話はまるで尽きませんでした。


 もう外はすとんとビリヤードの五番の玉が落ちたみたいに陽は落ちて、夜でした。

 ますます、酒場は活気づいていきました。シャンティはイーラーケルを、マークガーヤがゲリを抱えて、料理対決の観戦に出ていました。ゲリはラチュウへの不快さより、イノシシへの興味が勝ったみたいでした。


 シュナイザーはドトと互いに飲み物をちびちびやりながら、これまた他愛もない話をしていましたが、その酒場の中で何か不穏な話がなされているのを彼は聞き逃しませんでした。


 緑のぼろ衣をまとった隣席の男が言いました。

「おい、お前知っているか? 赤ん坊を狙う奴らの噂をよ……」

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