第25話「酒場ではよくある風景のこと」
白髪に高いクラウンの帽子を被り、スモーキークォーツでできたメガネをかけ、袖の引き千切られた服を着た老人がカウンターに片足を乗っけながら言いました。手の指の隙間にはまだナイフが三本挟まれていました。
「おお!テプタタ、我が友よ!」ドトはまるでナイフはよくある歓迎の挨拶とばかりに、そのまま上機嫌に手を広げると入っていきました。「久しいなあ!」
サングラスを若干ずらしてから、テプタタは細い目でドトを見ます。ようやく旧友の姿に気付いたようでした。
「おんや、ドトじゃねえか!」テプタタはカウンターを飛び越えてドトを抱きしめにいきます。ふたりは固く抱擁を交わしました。友の再会に酒場にいた連中が拍手や口笛で湧き立ちました。「……それってーと、あのあそこに突っ立てる間抜け面どもはおみゃーさんの連れかい?」
「そうだともよ」ドトがまだ抱きしめ合いながら言いました。「男爵一家に世話になっていると前に話したろ? ちょいと今回も野暮用でよ」
「ああー。そうだったけかな」テプタタがようやく抱き着くのをやめて、戸口に立ったままの一行に話しかけました。「おい、おみゃーさんたち、そんなとこでちっこくなってないで入って来な。もうナイフは投げたりしねえからよ」
それを聞いて、酒場の連中がどっと笑いました。それからドトが右端の席へ通されると、客は自分たちの仲間との談笑に戻りました。
気まぐれと言えども、思わぬ洗礼を受けて一歩が出ない中、シュナイザーが頷くと率先して店へ入りました。それからようやく、一行はぞろぞろと入り始めました。ラチュウはまさに間抜け面で萎んだヒマワリみたいにへなへなと首を垂らしてその場に座りこんでいたので、最後に扉が閉まる前に慌てて入店しました。
酒場に入るとまず目に飛び込んでくるのは、テプタタが身構える様々な酒が取り揃えられているカウンター、そこには調理場もあるみたいでした。カウンター横には二階へと続く階段がありました。壁には依頼書やら迷い人や迷い犬の張り紙、手配書などが貼られていました。その中には目がまいった豚とフライパンの絵が描かれた紙も貼ってありました。
人と人との間を縫ってドトの座っている丸い机に一行は着きました。
「すまないな、手荒な感じになっちまって」
「ああ……あやうく傷がまたひとつ増えるとこだ」店内を見まわしながらシュナイザーが言いました。天井からはいくつものランタンが下がっていて辺りを暖かい色で包んでおりました。「……典型的な町の酒場って感じだな」
「そうなんですか?」
シャンティが驚嘆して言いました。入店時にナイフを投げてくるのが酒場のお決まりというなら彼女は命がいくつあっても足りないなと思いました。
「ええ」シュナイザーは鬼婆のような仮面やバジリスクのような大蛇の頭部剥製があるのが目に留まりました。「変なところもありますけどね……いや変なところの方が多いか……」
「…………にしても、随分と活気があるな。フェリペの村にも一軒酒場があるが…………これほどの人はいつもいない」
マークガーヤが感心しながら言いました。酒場にはまるで錦のように様々な人間模様で満ち満ちているのでした。ぱっと見える範囲で町で見た格好から肉屋や薬草屋らしき人、あとは見慣れた行商人がおりました。この中にはお尋ね者なんかもいるのかもしれません。
そこへテプタタがやって来ました。飲み物の注文を取りに来たみたいでした。
ドト、ラチュウ、マークガーヤがビールを、シャンティはアップルティーを、イーラーケルとゲリにはミルクを頼みました。シュナイザーは下戸でしたのでビールの誘いを断って、ワインになる前のぶどうジュースを頼んでいました。「こいつ、どうしようもない下戸だからな!」とラチュウがシュナイザーをからかいました。
「飲みもんは承った。飯の方はどうする?」
「とりあえず、パイを人数分」そう言ってから、ドトがここのパイは絶品なんだと皆に向けて言ってその味を保障しました。「あと、テプタタ。悪いんだが、あっしらが獲ってきたイノシシを調理してくれないか?」
「イノシシ?」テプタタはふと思い出したかのように掌を拳で叩いて言いました。「あー食材の持ち込みか。そういや、昔はやってたな。最近は面倒で受け付けてねえんだよ。わりいな」
それを聞いて、ラチュウの目に火が灯りました。彼の中に燃えるあるものへの情熱の表れでした。
「おい!」ラチュウが立ち上がって言いました。今に剣を抜かんばかりの臨戦態勢の目をしていました。「あんた……料理から逃げるのかよ!」
会話がやんで酒場の皆の視線が再び一行の方に集まりました。「おっ喧嘩か?」、「やれやれー」と方々から野次が飛びました。何だかちょっと恥ずかしくてシュナイザー以外の者は身を縮こまらせておりました。シュナイザーだけはむしろ堂々と明後日の方向を見て、まるで他人みたいな顔をしているのでした。
「あん? ああ、誰かと思えばおれっちのナイフを避けた野郎か。もっとも、とんだ間抜け面をかいてた分、たまたまかもしれえがよ」テプタタはぐいっと顔を出して威圧しました。よく見れば彼の顔には歴戦の傷跡がいくつもついていました。「今も老眼でもしっかりおがめているよ。おみゃーさんの阿保面はよ」
一瞬、歳の功に怖気づきそうになりましたがラチュウも負けていません。
「図星だから怒ってんだろ!! お前は現状のメニューの安定さに胡坐をかいて、料理と向き合うことから逃げているんだよ!! このじじい!!!」ラチュウがテプタタと頭をかち合わせると強い口調で言いました。いつもより語気に力が入っていました。「僕も一端の料理人だ!! 食材持ち込みもやってるなんてすげえ料理への造詣が深い奴だなと期待して来てみりゃ、このざまだ!! もう面倒でやめただって!? ふざけんな!! 料理の道はこの命続く時まで続く人生の道なんだよ!!!」
「いいぞ若造!」とまた野次が飛びました。そちらの方にテプタタはぎろりと睨んでまた目線を戻します。
「上等じゃねえか。馬鹿面! わかったぜ。喧嘩は買った」テプタタはおでこをむんずと押し込みました。ラチュウも負けじと押し返します。「料理人として決着つけようじゃねえか! どっちがイノシシをうまく料理できるか……そんで勝負だ! 文句ねえな?」
「上等!!!」
拍手喝采の後、酒場の連中はまた酒を酌み交わし、食べ物をほうばりつつの談笑に戻りました。まるでよく調教されている羊みたいに人の波が揺れ動くのでした。慣れっこというか、こういうのは酒場でよくある些細なこと、日常の一齣みたいでした。
「ドト。てなわけで、気が変わった……イノシシはどこだ?」
「ん? ああ、馬車の中にあると思うが……」
「……取りに行ってこい」
「え?」
「聞こえなかったか? 早く行ってこい!!!」
可哀想なドトはひえーと怯えながら急いで酒場を走って出ていきました。
テプタタは苛立ちながらもパイを作りに一度、カウンターに戻りました。ラチュウは席に一旦、着くとむすっとしたままでした。
気まずい沈黙がありました。何だか少しばかり酒場も静かになった気がしました。
それを断ち切らんとばかりにシュナイザーが切り出しました。シュナイザーはこういうところもまさに切り込み隊長でした。
「──ああ。ところで、マークガーヤさんはどうしてそこまで回復できたんですか?」シュナイザーが訊きました。ずっと気になっていたことではありました。「私も木の化け物になったとまでは聞きましたが、それ以上のことは知りません。ノンの話を聞きましたが、容態は私に次ぐ深刻度合いだったのでしょう?」
それがこの場での話題としてふさわしいかはわかりませんでしたが、知ってておきたいとシュナイザーは思ったのでした。
「…………そうか。シュナイザーは知らないのか。皆には迷惑をかけた」マークガーヤが辛そうに言いました。「…………俺もあまり思い出したくはないが、ずっと悪夢を見ているような気分だったよ。四方八方が暗闇に囲まれているというか…………息のできない真っ暗な水底に沈められたかのようなそんな心地だった」
──感覚としてはあの暗闇の魔法に似ているな。いや、森全体にかかっていた魔法というのが正しいか?
「……夫はヤーバクーに着いた後も、ノンさんやアルフォンゾさん。教会の方々にも協力していただいて魔法や呪い封じだとかそういうのを試してもらいました。身体中を蝕んでいた木や茸などそういうものは引いてはきましけれど肝心の意識の方がなかなか戻らなかったんです……」
「…………最大の問題は自分が自分であることに確信が持てなかったことだった。どこからが森で、どこからが自分なのか…………それがわからなくなっていた。それでこのままひとりで死んでいくと思ったとき、声がした。泣いているとでも、笑っているとでも違うけれど、なんだか拙い言葉で自分を必死に呼んでいるようなそんな声だった」




