第22話「助けに戻ったこと」
アールヴァクに乗るシャンティが森の中を駆け抜けていきます。彼女はきちんとアールヴァクを乗りこなして、地面に通った轍と蹄の跡を辿っているのでした。
「ようやく森を出られたのに急にあなたが森へと戻るものだからびっくりしたわ、アールヴァク」シャンティが気さくに喋りかけました。アールヴァクはただ道に沿って突き進みます。口笛の秘密を知っていましたからシャンティは上機嫌でした。「でも、あなたがそうやって戻るってことは……きっと、きっとあの人は無事なのね!」
辺りには煙が流れてきていてシャンティの目に沁みます。そこを抜けると木が燃えているのがわかりました。さらにいくつもの木々が薙ぎ倒されていました。地面が抉れていました。激闘が繰り広げられたことは明らかでした。
さらに悪臭が漂ってきます。思わず、えづいてしまうほど凄惨な光景でした。その中で血眼になってシャンティはあの人──シュナイザーを探します。
羽根をむしられたような頭部のない鳥の死体、黒い血の中の首のない杖を持った死体──その中にまだ頭がありながらも赤い血だまりの中に浮かんだ人の姿がありました。上半身は鎧も身につけず露な姿になっていました。
「……まさか」シャンティは言いました。アールヴァクは歩みを止めると鼻息を荒くして、その鼻先をシュナイザーの顔に近付けます。シャンティは急いでアールヴァクから降りました。それからシュナイザーの身体を震えた手で揺すりました。「シュナイザーさん……?シュナイザーさん……!」
しばらくは何の反応も無かったシュナイザーでしたが、やがてごぽっと口から血を吐きました。
「ああ……よかった……」
それを見て、シャンティは歓喜の声をあげると安心して緊張の糸が解けて、全身の力が抜け切ったようにその場にへなへなと蹲りました。
シャンティはシュナイザーを何とかアールヴァクに乗せようと画策しました。
女ひとりの力では大人の男の身体はとても重くて持ち上りませんでした。
それでも諦めずに、何とか引きずって、アールヴァクの足元まで持ってきました。
だけどそれが限界でした。
──このままじゃ、助かる者も助からないわ。一体どうしたら……
このときのシャンティには気付きませんでした。そこに血の臭いを嗅ぎつけた八つの影が右から迫ってきていることを。
その影はオオカミの群れでした。オオカミたちは音を殺し、その歯牙で確実に獲物の息の根を止めるために慎重に、慎重に近付いていました。洗練された、森の黒に紛れる暗殺者の歩調でした。
「もうどうしようかしら。ねえ、アールヴァク。どうにかならないかな?」シャンティはアールヴァクの首を抱いて相談していました。そのとき、前からはぱかぱかと勇ましい蹄の音が聞こえてきました。「あ、誰か来るわ」
オオカミたちが駆使するは何者にもその接近を悟らせない本能が編み出す業。シャンティがよそ見をしてもなお、飛び掛かりません。まだ距離を詰めます。完全に獲物が油断しきった瞬間を狙っています。
もうオオカミはシャンティと意識のないシュナイザーとは目と鼻の先でした。
ぴちゃ──オオカミの子どもの口からよだれがこぼれました。それは木が燃えている音、蹄の音以外ではまるきり静寂の中であまりに異質な音でした。
「え? 何?」シャンティがそう言った瞬間、オオカミたちは一斉に飛び掛かりました。シャンティは思わず目を瞑り悲鳴をあげました。「きゃあああああああ」
目の前でたくましい嘶きが響きました。さらにオオカミの金切り声もしました。
シャンティは目を開けました。そこにはアールヴァクが身を挺してシャンティたちの前に出てオオカミを蹴散らし、蹴り飛ばす瞬間が見えました。白のタテガミが揺れました。蹄鉄がきらりと輝きました。
さらに前方から風を裂いて何かが飛んできました。剣でした。それが地面に刺さると、オオカミたちがばっと飛びのきました。
──この剣は!
現れたのは蛍石の光に包まれたアルスヴィズを駆るラチュウでした。
「奥さん! 無事ですか!」ラチュウが遠くから言いました。それからぐっと手綱を手に食い込むほど握りこみます。「アルスヴィズ! 暴れるぞ!」
アルスヴィズがその言葉に嘶きで答えます。それは圧倒的な速さでシャンティたちの横を抜けてオオカミたちに突進しました。剣をしっかりと拾うと馬上からラチュウは獣を切りつけます。どっと小さなオオカミが大地に倒れました。
大半のものはアールヴァクやアルスヴィズにかき乱されたこと、ラチュウが追い打ちをかけたことで恐れをなして蜘蛛の子を散らすようにきゃいんきゃいんと鳴いて逃げました。
ただ、ある一匹は違いました。それは大きな黒いオオカミでした。目には三日月の形の傷がありました。横には逃げ遅れてラチュウによって切られた、子オオカミが転がっておりました。口元には垂れたよだれが乾いていました。オオカミはこれをちらりと見ました。
その黄色い目で果敢に向かってくるラチュウを睨むと、短くぐるると唸り、アルスヴィズの突進を回避し、その剣をかわして、シャンティの方に走って行きます。「まずい!」とラチュウが悟った瞬間、爪を立てると、一気にシャンティの喉を切り裂くべく飛びかかりました。
シャンティはとっさにそれを避けましたが顎辺りの皮膚が裂かれてしまいました。爪によって負った、二本の傷から血が吹き出しました。
「……つっ!」
シャンティは声を漏らしました。さらにオオカミの長は牙を剝きましたが、すぐにラチュウが戻ってくるのがわかると最後に転がっている子オオカミを今生の別れのようにちらりと見てから藪の中に素早く逃げ込みました。仕留められたとしてもこの獲物を運ぶことはできないし、おちおちしていたらこちらが剣の餌食にされてしまう──そう悟ったようでした。
ラチュウが到着してアルスヴィズから降りました。
「奥さん! 遅くなって申し訳ありません!」ラチュウがリードでアルスヴィズを木に括りつけながら言いました。そして顔の傷を見るなり、リードもおろそかにして駆け寄りました。「顔を、切られたんですか!?」
「……はい。けれどシュナイザーさんに比べたら私の傷なんてかすり傷ですよ」
「そんなことはありません! あなたのようなうつ……女性の顔に傷がついたなんて、騎士として一生の不覚です!」
ラチュウが目を閉じ、拳を固めながら悔しそうに言いました。
彼は一度、アルスヴィズの方に戻るとそれのサドルバックから清潔なハンカチとキランソウを取り出して、差し出しました。シャンティはそれを受け取ると弱々しく笑いました。
「ありがとうございます。そんなに気負わなくて大丈夫ですよ。助けに来てくださったじゃないですか」シャンティが傷を抑えながら言いました。「それよりシュナイザーさんを。私ひとりじゃ持ち上げられなくて」
「……はい! シュナイザーは僕にお任せください!」
「それと我儘になるんですが──
随分と眠っていた気がします。
森の酷い匂いが消えました。冷え切った身体にも再び血が通いました。手の感覚が戻ってきました。
──あれ、ここは?
ぼんやりとした意識の中で、シュナイザーは目を開けました。耳に丸い大きなピアス、短い青の髪をした、三白眼の見覚えのない女が覗き込んでいました。
「あ、ようやく目を覚ましたかい。寝坊助さん」その女が言いました。キャミソールのワンピースからはだけた肌には髑髏の入れ墨が彫ってありました。「おーい、アルフォンゾ。連れの奴らを連れてきてやってくれ」
「あいあいさー! 姐さん!」
アルフォンゾと呼ばれた男がはきはきと言って部屋から出ていきました。
「──ここは?」
シュナイザーが無理やりにでも身体を起こそうとします。その瞬間、激痛が走ってまたその場に倒れ込みます。
「まだ下手に動いたりするんじゃないよ。十針は縫ったんだから」女がそう言って宥めました。「ここはヤーバクーのあたしの床屋さ。あたしはノン。これでもこの町一番の名医だよ」
床屋はこの時代、散髪以外にも外科医としての役割も果たしておりました。
「そうか──世話になったな」
仰向けのまま、シュナイザーがそう言ったとき一行がアルフォンゾに呼ばれて、ぞろぞろと部屋に入ってきました。なんだかシュナイザーは皆に久しぶりにあった気がするのでした。動くなと言われたのにも関わらず、相変わらず、身体を起こそうとしてしまうのでした。
ラチュウ、ドト、シャンティ、マークガーヤ(包帯でぐるぐる)、そしてイーラーケル……
──たしかに全員揃って……ん?……
彼はぎょっとしました。
仲間が増えていたのです。一人──いや一匹。




