第21話「最後まで立っていた人のこと」
先に動き始めたのはシュナイザーでした。
彼は地面にいくつも転がっていた木を終始、拾っては投げという動作を反復します。スヴェトロノスはそれを闇魔法で軽々と処理し撃墜していきます。
シュナイザーはそんな雨矢のように降り注ぐ木を隠れ蓑にして、道化師のジャグリングのように手元に必ずひとつ木を残しながら、じりじりと確実に距離を詰めていきます。
──ここで蜃気楼の魔法を使われれば、また魔力の消費を待つしかなくなる。もはや、これ以上、持久戦に持ち込まれれば敗北は必至。一気に決める!
「おっとっと、思考とは──隙。これでは格好の的ですよ」
突然、すぐ横から身震いするほどの声がしました。振り向くともう遅く、スヴェトロノスの杖から魔法が今、放たれようとする瞬間でした。
──魔法を使わずとも、この速さ! 侮っていた!
「なにをっ!」
「大闇魔法!!」
闇の閃光がシュナイザーを襲いました。彼は腹に魔法を食らうとそのまま爆破に吹き飛ばされて、大地に突っ伏します。彼は木の枝に掩蔽された空の何も見えないさまを見ました。もろに魔法をもらった腹のあたりは無性に溶けていると思えるほど熱く、首だけ起こしてみるとそこは服はもちろん肉まで焼け焦げていました。彼はそれも薬効からか、内臓にまで到達しなかったことを喜んでいました。
──脱いだりするんじゃなかったな。でも、丈夫でよかった。
右腕にも激痛を覚えます。そちらを見ると右腕前腕が木にぶすりと刺さって貫通していてまったく動かなくなっていました。でももう感覚は麻痺してしまっています。
──本当に脱いだりするんじゃなかったな……
「蜃気楼魔法」
何か魔法をスヴェトロノスが唱えましたが、シュナイザーにはその意味はわかりませんでした。
ともかく何か仕掛けてくるはずだと、すぐに腰を起こそうとしたところに、空中からぬっとスヴェトロノスが現れて腹の上にそれは乗りました。それは腹の上で飛び跳ね始めました。激痛が走ります。痛みが和らぎます。また激痛が走ります。まさに拷問でした。
「はーい、シュナイザー卿。おはようございます」
スヴェトロノスは跳ねるのをぴたりとやめてそう言うと、今度はチェルトを潰したときみたいにぐりぐりと足を踏みつけながらシュナイザーの顔を見下ろしました。
シュナイザーは赤い瞳の中に自分が浮かんでいるのが見えました。
「寝覚めにしては最悪の眺めだが──」
シュナイザーが左手でスヴェトロノスの足目掛けて殴りかかります。一瞬、スヴェトロノスは消えるとまた同じ場所に現われてその手を蹴飛ばして、杖でがんと思い切り地面に打ち付けました。ぐりぐりと掌を貫通させるが如く、杖の先をねじ込んでいきます。中手骨が折れた気がしました。そのさまは、まるで羽根を針で展翅されている標本の虫のようでした。
―――散々だな。さっき使ったのは蜃気楼の魔法だったか。こうなると魔法への集中の途切れが突破口だが……
もはやこの状況は勝機はゼロに等しいことがシュナイザーはわかりました。
「さて、立っていたのは私でしたね」スヴェトロノスが脳内に響くような声で言って中腰になりました。「あなたには全部、喋ってもらいますよ? あなたの口からのでまかせかもしれませんが、『シュナイザー卿以上の希望』?とやらについてね」
「──そういや、お前はそれを知りたいんだったな」
苦しい思いを嚙み殺してあくまで余裕さを演出しながらシュナイザーは言いました。
「ええ。あなたを殺すの情報をとった後でいいと決めていましたから。まずは完全に抵抗ができないようにしてしまいましょうか」ようやくスヴェトロノスは杖をシュナイザーの掌から離しまして身体にこつんと触れてから魔法を唱えました。「吸血魔法」
顔からしたたっていた血が引きました。全身の傷という傷が開いてそこから堰を切ったように血が流れだします。右腕にあいた穴からも血が吸い出されていきます。
その集められた血はまんまる、球体になってスヴェトロノスの頭上に浮かびました。
──そう言えば、こんなことが昔にもあったな。
意識が途切れ、途切れになっていきます。全身から力が抜けていきます。目が虚ろ虚ろになっていきます。
スヴェトロノスの頭上の血が一滴こぼれて、シュナイザーの額にあたりました。
ぴちゃん──雫がひとつ水面に落ちると波紋となって、ゆらゆらとその中に情景が浮かび上がっていきます。それはシュナイザーの頭の中でした。
並んで走る馬に乗った大勢の騎士、目の前で貫かれる騎士、怪我をした者に駆け寄る騎士、一騎打ちを行う騎士、身体を真っ二つにされた騎士。
──これは『ブルニン戦争』のとき!
『ブルニン戦争』の只中、『サンフォン平野の戦い』。ヘルモーズ伯爵に仕える、ある高名な騎士の従騎士だったシュナイザーは自ら馬を駆って、この戦闘に参加しておりました。
槍の突き合い勝負で負けて、馬から突き落とされたシュナイザーの周りに、とどめをさそうと敵の雑兵がまるで死体にたかる蠅のように群がります。
我先にと飛び乗った、敵の兜の覗き穴からぎょっと血走った眼が見えました。敵は跨ったまま、右腰の短刀を抜くとシュナイザーの兜を引き剥がして止めをさそうとしました。彼は必死でもがきますが、大人の力の前にぐぐぐとその細い腕は押し込まれます。
万事休すと思ったそのとき、白馬に乗った銀の騎士が颯爽と駆けてくるのが見えました。騎士は雑兵の中に突っ込み蹴散らしていきます。
「その腰の剣はおもちゃかね? 違うだろう?」銀の騎士はそう言って雑兵を剣で牽制しながら、シュナイザーの周りを馬で一回転して、さらに言いました。「戦場に立った以上、そなたは一人前の騎士だ。立って戦え! 剣を振るえ!」
白い馬に乗った銀の騎士はさらなる戦いに向かってその場から去りました。
その言葉に励まされて、シュナイザーはあえて力を緩めて、自分の顔の横すれすれにあえて短刀をつきさせると、その間に剣を引き抜いて自分の上に覆い被さった兵士を切りつけました。
「うおおおおおおっ!」
起き上がったシュナイザーはすぐさま、剣を構えると兵に立ち向かっていきました。
──我が主君、フィヨルギュン男爵ルーカス。あなたとの邂逅はそれが最初でした。大事なことを思い出させてもらいました。
意識が戻ってきます。
「そろそろいいですかね……」
スヴェトロノスがぶつぶつ言っているのが聞こえました。
シュナイザーはぐっと力をこめました。中手骨は折れてはいましたが左腕は指も肘もまだ動きます。目をぐっと見開きました。
「なっ──
スヴェトロノスの魔法への集中がそこで一瞬、途切れました。
生きているのがやっと程の量の血を抜きました。正気を保っていられるはずがありませんでした。
血の球体が決壊して、ふたりはシュナイザーの血を被りました。世界が真っ赤に染め上げられます。
スヴェトロノスの身体が揺らぎました。
「──しめた!」
シュナイザーはそれを見逃しませんでした。偶然に生まれた好機でした。まさに逃してはならない好機でした。
左手の指が剣の握りに触れました。そのまま、一気に引き抜いて剣が届く限りの全てを切り裂きます。避けられれば終わりです。だから、思考を挟めないほどの一瞬で勝負を決めにいきます。
「ルーカス流剣技・一人前斬り!!!」
──これはあなたに教わった心の剣技ですから。まだ未熟だった、けれどもう未熟ではないと認めてもらえた。あのとき私は初めて騎士になれたのです。そしてあなたの騎士になりたいと思ったのです。
その切りはスヴェトロノスの首を持っていくのに十分な速さで振るわれました。さらに右腕を木から気合で引き抜きながら身体を起こすと、さっき刺したそれの胸にも再度、剣を突き立て肩まで切り上げました。スヴェトロノスの身体がどっと倒れました。首が転がっていきました。
あの瞬間何が起こったか──スヴェトロノスはシュナイザーの血を盛大に浴び、その血が肌に沁み込んだことで、一時的にスヴェトロノスであり、同時にシュナイザーであるという状況が生まれました。
魔法はスヴェトロノスが戦いの当初に目標照準をシュナイザーに合わせたように、対象の規定が必要になります。それは明示でも黙示でも構いません。蜃気楼魔法はスヴェトロノスにはかかってはいますが、もちろんシュナイザーにはかかっていません。
──吸血魔法から蜃気楼魔法へと二段階で生じた魔法の集中の途切れ。あの瞬間を見逃せばこの剣は届かなかったかもしれない。この勝利は神と我が主君がくれたものだ。
「私はお前を切ることができない。だが私自体なら切れる」シュナイザーは黒い血と赤い血を振り払いながら言いました。地面に血の線が走りました。「最後まで立っている者が人だったな? 私が人で、そして勝者だ。私の自己犠牲の勝利だ」
シュナイザーは剣をぶんと頭上まで振り上げました。
「そうですね──あ、介錯はありがたいのですが、ひとつ死ぬ前に申し上げておいていいでしょうか?」
スヴェトロノスは首だけになってもまだ息がありました。ざっと剣がスヴェトロノスの首の真横に降り下ろされました。
「……なんだ? 早くしろ。こちらもお前の話を悠長に聞くほど暇じゃない」
実際は手が狂ってはずしただけなのですが、シュナイザーはそう言ってごまかしました。死ぬ前に森の主が何を話すのか──それに興味がないと言えば嘘になりました。
「──ずっとワタシなりに考えていたのですが結論が出ませんでした。あなたたちが『どこへ何を運んでいるのか』。あのイーラーケルという子、どうも『シュナイザー卿以上の希望』とはワタシには思えませんから」
スヴェトロノスが不気味で予想だにしないことを言いました。『何を』を指す、イーラーケルという名前まで辿り着いているのに、それをあえてスヴェトロノスは否定しているというのが不穏でした。
「それともあなたのあの言葉はあくまでハッタリですか? 駆け引きがワタシより随分、お上手なのか。それともわかっていないだけですか?」
「どういう意味だ? 何を言っている?」
イーラーケルという名前が出来たことへの動揺を取り繕いつつ、言いました。
──あの言葉とは、おそらく『私以上の希望を運んでいたらどうする?』というかなり危険な問いかけのことだ。私はあれを明確にイーラーケルを意識した上で発言している。
「あなた……その反応を見るとわかっていないみたいですね。おっとっと、これは大きな誤算でした! ワタシは初めから詰んでいたのですか!」スヴェトロノスがおよよと嘆き悲しみながら言いました。すぐに泣き止むとスヴェトロノスはさらに続けて言いました。「シュナイザー卿、あなたは自分たちが『どこへ何を運んでいるか』、それを正しく知った方がいい。さもなくば、どれほどの数のバンシーが軒先に現われ、その割れるような泣き声で村を満たすかわかったものじゃありませ──
ざっと剣が振り下ろされました。鈍い音がしました。
スヴェトロノスに余計な猶予をあげてしまったせいで、胸に余計なしこりを増やしてしまうことになってしまいました。
「私たちは『どこへ何を運んでいるのか』か……」
あえて言葉にしてみますが、『イーラーケルを帝都エアドランへ』。それ以外の答えが見つかりませんでした。
そのとき、シュナイザーにこれまで負ったありとあらゆる痛みが押し寄せてきました。
──薬が切れたか……そんなことより、もう一歩も歩ける気がしない……このままじゃあ、間違いなく死ぬな……
シュナイザーは両ひざをぱたんとついて、その場に蹲ります。
「そうだ。あいつを呼べば何とかなるか」
シュナイザーが最後の力を振り絞って口笛をぴゅーいと吹きました。そうして、そのまま崩れ落ちました。
辺りの木々は裂けて燃え盛り、大地は抉られ黒と赤の鮮血が広がっておりました。
かくして黒い森での死闘は終わりました。




