第19話「森の主と対峙したこと」
「ワタシからの質問はですね。あの馬車は一体、どこへ何を運んでいるか、という単純明快なものです」スヴェトロノスはシュナイザーの顔の前まで一瞬で移動しました。「ワタシ、気になります」
「どうして──
シュナイザーは反射的にスヴェトロノスを剣で頭から切りつけます。手応えがありません。煙霞を切ったような心地でした。「そんなことが気になる?」
剣で応戦こそしていますが、シュナイザーにとって今、最も優先されるのは戦うことよりも時間を作ることでした。
彼は自分のこの窮地からの脱出よりも、自分以外の者の森からの脱出を最優先に考えていました。それは隠し事をしてまでこの森を通る経路を選択した負い目から生まれた一種の責任感でもありました。
──ともかく、時間を作らないと。もちろん、勝つための計算を入れないほどこの戦いを放棄しているわけではないけど。
「おっとっと、シュナイザー卿は欲張りさんですな。あなたはワタシの質問には答えないと言ったのに、あなたはワタシに質問をする」シュナイザーのすぐ横にスヴェトロノスは立っていました。余裕綽々としていてまったく身構えてはいません。魔法を発動する素振りさえ見せていませんでした。「さらに言葉ではなく剣で語らおうとする。いやはや欲張りさんですな」
シュナイザーはぶんと大きく剣を振りました。もちろん、それは本来ならその刃がスヴェトロノスの真髄にまで達するまでの勢いでした。ですが、またまったく手応えはありません。
「私ははじめからお前とは剣のみで語らうつもりだ。余計な言葉を交わす必要なんてない」
今度はスヴェトロノスは背後に現われました。
「──つれないですね。こういうのは駆け引きでしょうに。でも……ひとつわかりました。やはりあれはどこかへ何かを運んでいるんですね。それをあなたは否定したりしなかった」スヴェトロノスが勝ち誇ったように言いました。それからわざとらしく笑みを浮かべて言いました。「ひとつ教えてくれたのでワタシもお礼にお教えしましょうか。それは単にこの森のためです。多くの者があなたたちを襲おうととしなかったこと、わざわざあなたたちがこの黒い森を全速力で進むことがやけに気になりました。森の安定を脅かすものの正体を確かめるべく、我が忠臣チェルトをやったり、怒りに燃えた樹の精霊を送り込んだり、森への順応を魔法で働きかけたりと色々手を尽くしましたが成果がなかったわけです」
「だからわざわざここまで出てきたというわけか……ならあの馬車をひっくり返すなり、なんなりすりゃよかったんじゃないか?」
振り返りざまに切り付けながらシュナイザーが言いました。相変わらず、手応えはありません。
もはやシュナイザーはその攻撃があたるとは思ってはいませんでした。スヴェトロノスは自分を言葉と動きで翻弄して、ただ体力を消耗させようとしているだけかもしれません。けれども至近距離でどんな魔法を仕掛けてきても致命傷を負いかねないことから切り続けるしかありませんでした。
そのため、会話とはまさに諸刃の刃でした。喋りすぎればイーラーケルのことが悟られ、黙りすぎれば敵の位置を見失うわけですから。
「そしたらこんな回りくどい手法をとらなくたって、お前のお目当ての品はもっとすんなり手に入ったんじゃないか?」
「ワタシたち、人が儚いもののようにあなたたちもきっとそうでしょう?」やはり人を自称するスヴェトロノスはお次はシュナイザーの右横で地面に寝っ転がって手に持っている花を愛でていました。それから見上げながら言います。「屈強なあなたならば馬車より丈夫でしょうし、大抵の荒事でも耐えられると賭けたのですよ。あなたを蹴落として聞き出すのが一番、早い──
その寝っ転がるスヴェトロノスをシュナイザーは迷わず突き刺します。すぐに蜃気楼のようにはたと消えました。後からどこからともなく、「それに、ワタシはまだ運んでいるものが生きているもの自体の可能性を捨ててはいません。そうなるとますます馬車を倒すのは得策ではなくなるわけです」と聞こえました。
シュナイザーはそろそろ頃合いではないかと思いました。『黒い沼』を横切ったことを鑑みれば、今はもう一行が外に出れててもおかしくはありません。
「だがお前がもしその『運んでいるもの』の真実を何らかの手段で手に入れたとして、もはや、それに手を出す術が永久に失われたとすればどうする?」
シュナイザーは森のどこにいようともよく聞こえるような声量で言いました。
背を向けた状態でスヴェトロノスが目の前に現れます。それは少し表情を曇らせ、手に持っていた花を握りつぶしました。
「おっとっと、見くびってもらっては困りますね。そんなことをワタシが易々と許すとでも?」スヴェトロノスはわずかながら憤怒のような表情を顔に浮かべると、その赤い瞳が揺れ、シュナイザーが切るよりも早く杖の根元で彼の虚をつき、鳩尾をつきました。「この森にはあなたたちのために開かれた出口なんてないんですよ」
「……苦し紛れのハッタリか?」
シュナイザーはえずきを感じながらも果敢にそう言って煽りました。まともにその杖を食らった、彼はなんとか立つことこそできていましたが、そのまま後退させられました。ただの杖の刺突であってもかなりの距離まで吹き飛ばされてしまいました。
シュナイザーは自分を落ち着かせました。
──大丈夫だ。相手に飲まれるな。こっちが飲み込んでやれ。ドトはたしかにこの黒い森を抜けた経験があったはずだし、ラチュウもついているんだ。
「……ハッタリだなんて全くあなたはこの森のことについて知らないようですね。失望させないでください」スヴェトロノスの背後の鬼火がゆらりと揺れました。「あなたたちはね、初めから『黒』という色そのものに魅了されているのですよ。この森にワタシが蒔いた魔法、『生き物全ての固有の色を失わさせる魔法』による影響です。あなたたちの目は既に黒という色しか受け付けなくなっているのです。直に思考まで黒く染め上がり森の一部となることでしょう」
この発言にはシュナイザーは疑問が生じました。他の者の事情はさておき、シュナイザーには鬼火の赤も、止血魔法の緑も、チェルトのピンクも認識できています。色の感覚を彼は失ってはないのです。
「だが、私は黒以外もきちんと認識できている。その魔法とやらは精度が不明瞭なんじゃないか?」
シュナイザーはそうやって挑発しました。彼はそれまで迷わずに攻撃を仕掛けに行ってたのを、あえてここで踏みとどまりました。スヴェトロノスの中にかすかな余裕の乱れを感じ取りました。それを最大限まで高めた上で、間隙を縫って相手の虚を突こうと画策していました。彼は時間を作る戦いから、今度は時間そのものとの戦いへと発想と戦法をここで転換しました。
「それはあなたに降りかかる魔法への影響をかねてより弱め、効き目を遅らせていたからです」スヴェトロノスが淡々と言いました。「あなたは察しがいいからすぐに勘付いてしまうでしょう? 黒い森と呼ばれてはいても黒という色しか存在しないこの世界の異様さをあなたは嗅ぎつけられます。黒以外を求めることができる希望を持っています」
「えらく特別扱いをしてもらえて身に余る光栄だよ。だが、私たちがもっとお前のような魔物の測り知れないような希望を運んでいたらどうする?」シュナイザーはあえて皮肉っぽく言いました。希望という言葉を繰り返しだすのにイーラーケルの姿がどうしても過りましたが構わずに言ってしまうことにしました。「そもそも私以外の者たちが黒のみを追いかけて森をさ迷うか、仮に外へ出られたとしても、外界との色の変化に耐えられず、黒を求めて森の中に舞い戻ってしまうと、そんなお前の都合だけでこの森が回っていると本気で思うのか?」
そんな質問をしましたが、シュナイザーにとってはこの黒い森がスヴェトロノスの都合によって私物化されていることがわかっていましたからどんな返事が返って来るかは明白でした。
──この森がこれまで避けられ続けてきた魔の森であったことには大方、スヴェトロノスの説明で納得がいく。こいつを倒すことは困窮した現状の打破に加え、今後の旅人の旅の安全性を同時に視野に入れてもやはり必須条件になるな。
「ええ。思っていますよ」スヴェトロノスが当然のように言いました。もうひとつのシュナイザーによる問いかけについての真意を考える間に鬼火の火力も勢いを増しました。クマの皮でできたローブが翻りました。それは急に恐ろしい形相をして言いました。「それにしても……あなた、さっきからワタシを逆撫でするような発言ばかり並べ立てますね。そんなに惑わすような質問をする必要がありますか? 焼き直しのような質問をする必要がありますか?……あなたは、ワタシという森自体の意思によって生かされているに過ぎないのです。それを自覚なさい」
「そんな及び腰の自覚をするのはごめんだ。お前だって正しく自覚すべきだ。自惚れも大概にするのだな。私もこの森だってお前のような魔物の都合の上に存在してなんてしていないし、存在してはいけない。そりゃ、私たちだってこの森からしたら部外者だろう。だがお前もおおよそ同類だ。私たちはこの森を出ていくし、お前はここで朽ち果てるんだな。それがこの森の真なる安定ってものだ」
シュナイザーはスヴェトロノスに対して、それまで剣で得られなかった手応えをここで感じました。スヴェトロノスは完全に当初持っていた余裕を失っています。シュナイザーは剣の握りに力を入れました。
──もうそろそろ限界だろ?もうこっちは準備ができている。
「……魔物風情が言いますね。もうこれ以上、あなたと普通に話していても何も収穫は無さそうですね。期待したワタシが馬鹿を見たというだけのこと」スヴェトロノスが杖を手の内で一回転させるとようやく杖の先に魔力を集中し始めました。「ご所望とあらば、普通でない訊き方も試してみましょうか……」
──来たな!
シュナイザーは身構えました。
「目標、捕捉」スヴェトロノスが杖をまっすぐシュナイザーに向けて言いました。ついに魔法が放たれようとしていました。「闇魔法……!」
瞬時に闇の魔弾がシュナイザー目掛けて一直線に杖から飛び出します。それに向かって彼もまた既に走り出していました。




