第13話「待望の朝ご飯にありつけたこと」
「一度、村に戻って助けを呼んでくるか? 今ならまだ遠くない」
ドトが巨大な倒木を前に悔しそうに言いました。
「それが……いいかもしれんな。よし、ラチュウを行かせよう。あいつのアルスヴィズは一番、足が速いし、あいつはうまくあれに乗る」
シュナイザーもドトの意見に納得して、話はまとまりかけていました。
「…………その必要はない」
そのとき力んだ声がしました。シュナイザーとドトがそちらに目を向けますと、単身でマークガーヤが倒木と格闘していました。それもまだ少しだけですが持ち上げられてきていて、木の下にある地面も見え始めているではありませんか。
「旦那! あんたすげえや!」
ドトはそんなさまを見て興奮していました。ですが、彼はそれに加担できませんでした。とても自分がそれを持ち上げられる想像がつかなかったからです。
「……いや、老木とはわけが違う! 運悪く挟めば腕が折れるぞ!」
シュナイザーは決してドトには同調せず、その行為を危険視しました。マークガーヤがあれほどまでに同行を望んでついてこられたのですからこんなところで怪我でも負って村に残留にでもなったら彼が報われません。そんな心持ちから反対しているみたいでした。
「…………こんな小さな木ひとつでつまずいてちゃ先には進めないさ。それに…………あの子が見てるかもしれないからな」
マークガーヤが覚悟をした目で言いました。目の中は燃えていました。倒木を持ち上げられたとしても、きっとイーラーケルはそれを大人になっても覚えてはいないでしょう。そもそも眠っているかもしれません。ですが、単に父親としての背中を見せたいだけでした。
シュナイザーはそれを見てひっそりと笑いました。
──そうか。理屈じゃないか。格好をつけたいか。それも……
いつのまにかシュナイザーはアールヴァクの手綱をドトに託すと歩きだしていました。そして、マークガーヤに加わって木に手をかけました。さらに木はずずずと持ち上がっていきます。シュナイザーの足は震えていましたがなんとか耐えていました。
「単純ですがいい発想ですね。乗りましたよ!」
「…………心強い!!」
ふたりはせーの、と息を合わせて、ついに木を勢い任せにふたりでハンマーを振るみたいに、放り投げました。すると馬車が通れるだけの道を確保することに成功しました。
「やるじゃないか。ふたりとも。これで通れるな!」
ドトはそう言うと、シュナイザーに手綱を返し、嬉しそうにうきうきと跳ねながら馬車の方に帰りました。彼はスキンファクシとフリームファクシに「もうすぐ朝ご飯だぞー」、と喋りかけていました。
「…………ありがとう。無茶につきあってもらって…………ひとりじゃ無理だったかもしれないからな」
やや照れながらマークガーヤが言いました。昨日の対立していた際に向けていた怖い顔はそこにはありませんでした。
「いえいえ、お礼を言うのはこっちです。ときには理屈じゃないってことを教えてもらいました。これからの旅も力を貸してください」とシュナイザーが言いました。頭を掻きながらああ、とマークガーヤが返事をしてくるりと背中を向けたのを確認して再びシュナイザーは馬上の人になりました。「さあ朝ご飯が待っています!」
マークガーヤが背中でそれを聞いて、お前も朝ご飯楽しみにしていた口なんだな、と思いながら馬車に戻りました。客室の入口を開けるとシャンティが拍手で出迎えました。
「すごいわ! あなた!」そう言う、シャンティの腕の中でイーラーケルは、ぱちくりとあの吸い込まれそうな綺麗な目を見開いていました。「イーラーケルもね。ちゃんと起きて見てたのよ。あなたの勇姿を」
マークガーヤはそれを見て、喜んでくしゃっと笑いました。それからイーラーケルの頭を撫でました。
──シャンティの祝福も嬉しいが、なによりも……
「…………お前が見てくれてたってんなら、父ちゃんは頑張った甲斐があったってもんだよ」
ようやくさながら獣道のような隘路の通った森を抜けて、一行は広大な丘陵にでました。ごつごつとした岩が点在していました。川が木の根っこのようにいくつにも分かれて流れていました。地形が不自然に盛り上がっていて、まるでこの星のコブみたいに、いえ寝っ転がった巨人の膝の皿みたいに見えました。垂れこめた雲は地上にまで、降ってきそうでした。
一行は坂をいくつか昇ったり下ったりしまして、ドトがやがて適当になだらかな場所を見つけると、馬車を停車させました。
シュナイザーとラチュウはそれぞれ自分の馬のハミをはじめとした馬具をとってやって、「あまり遠くへ行くなよ」と行って一度、放してやりました。
「どこかへ行って帰ってこなかったりしたことはないんですか?」
馬車から降りてきて、その一部始終を見ていたシャンティがそのように訊くと、シュナイザーが「ないですよ。口笛が聞こえたら戻って来ますから」と答えました。
するとその側をラチュウがさーっと通り抜けていきます。
「ついに、僕の出番が来たぞ! 来たぞ! 来ましたぞ!」
ラチュウがどこから出したのか、フライパンと木製の大きなスプーンをぶつけながら走っていきました。ラチュウが珍しく自分から口をききました。それにやけに張り切っているようでした。
「…………どうして、あんなにラチュウは、はしゃいでいるんだ?」
不思議がってマークガーヤがドトに訊きました。
「あっしも詳しくは知らないんですが、ラチュウは食事に並々ならぬ思いがあるようでして……飯のときは騒がしくなるんですよ」ドトも理由はわからないようでしたが、ラチュウが誰よりもご飯を待望にしていたことはわかりました。「それだけに料理がずいぶんと上手いんだとか」
ほう、とマークガーヤはこぼしました。この旅の仲間たちは皆、飯がやたらと好きなのだな、と彼は認識させられました。
ドトが大粒の石を取り除くと五人いっぱいが座れるような布の敷物をばっと敷きました。
その日の朝ご飯は白いパンに、サラミソーセージ、チーズに林檎とアーファンルンク一家にとっては豪勢でした。ブルーベリージャムもマーマレードも自由に使っていいとのことでした。ラチュウが率先して食材をナイフで切り分けて配りました。傍らにはフライパンと木製スプーンが使われずに置いてありました。張り切りすぎてそれらを使うか使わないかは考えなかったようです。
「ジャムをいくらでも使っていいんですか?」
目を丸くして、シャンティが訊きました。彼女は日常生活の食の彩のなさを痛感していました。そりゃ庶民ですからしょうがないですし、何とかありあわせのもので努力はしていましたが、どうしても限界がありましたから。ここのところはメニューが三種だけになったりと吹っ切れていました。
「もひろんですっ!」
ラチュウが元気よく答えました。口にはサラミが一枚、ぺらりと咥えられていました。
「ええ……ここは楽園!?」
シャンティはもう元の生活には戻れないかもと思いました。
朝ご飯を食べ始めてから、しばらくしてシュナイザーが口を開きました。大抵の者が食べ終わっていましたが、シャンティがイーラーケルに乳をやっていたのでまだ済んでいませんでした。ドトは馬と馬車の世話をした後でしたが、たった今、食べ終わりました。
「さて、食べながらで結構ですので、ここでこの旅の道のりを確認しておいた方がいいでしょう」シュナイザーがそう言って、ラチュウから地図を受け取りました。そしてそれを開いて地面に置きました。「皆さん円になってください」
言われた通りに地図を中心に皆が円を形作って座りました。随分とそれは年季の入った地図でした。
シュナイザーは人差し指でとんと地図の一か所を押さえました。
「まず、現在地はここです。フェリペの村一帯はプラマリネ地方の中央部にあります」そしてそのまま指を置いたまま、ずっと斜めにずらしていって、抽象化されたお城の絵が描かれているところで指を止めました。「そして帝都エアドランはここです。エイア地方の東部にございます。ざっと距離は……300ロキといったところでしょうか」
ツェリストルッヒ帝国は北のクレデッソ地方、中央のエイア地方、南のプラマリネ地方からなります。
「……300ロキですか!? やはり遠いですね……5日で間に合うでしょうか?」
シャンティが不安そうに訊きました。ブルーベリージャムを塗る手が止まっていました。マークガーヤは300ロキという果てしない距離について全く想像ができていませんでした。
「正直に言えば、ぎりぎりでしょう。通常の馬車ならそうですね、6日か7日はかかるでしょうか。ですが、スキンファクシとフリームファクシが選ばれたのにもきちんと理由があります。彼らは、我らが主君、フィヨルギュン男爵ルーカスがお持ちの馬の中で最も疲れ知らずです。それにイーラーケル殿の生活周期に合わすことが約束の内ですので、その時間は逆に我々にとっても十分な休息をとることができる時間にもなります」
「…………なるほど。他の『予言の子』の候補たちも苦労しているかもしれないな…………プラなんとか地方のさらに南ならなおさら……勅令も届くのが遅いだろうし」
まだ世界の広さや、ましてや地図というもの自体に納得できていないマークガーヤですが、彼なりにちゃんと聞いて理解しようと努力しているようでした。彼は母の乳を飲み終えたイーラーケルを抱いていました。イーラーケルはまた微睡み始めていました。
「プラマリネ地方の南部は係争地ですから、そこまで人は住んではいませんがね。それに勅令は距離に左右されず、全て一律で伝書鳩で届くのが常ですから。遠方でもそこまで遅れはないでしょう。もっともうちはどこかの領主が伝える方法に手を焼いていたせいで遅れたんですがね」シュナイザーがやれやれと思い出しただけでも疲れるといった風に言いました。たしかにもっと早く、余裕を持って出発ができたかもしれませんから。「さて話を戻しましょう」
さらにシュナイザーが続けます。
「当面の目標地点についてお話します。ここから我々はまたさらに長い『黒い森』を抜けますと、ここで初めてウェルコルテ街道に乗れますので、これに乗って、小都市ヤーバクーを通ります。ぐるりと山を回りまして、高原を行き、いくつかの中小都市を横切りまして、プラマリネ地方北部の大都市プラキリオンまで到達する。これが今日明日の目標となります。質問はありませんか?」
「今日はどこまで行く気だっけ?」
ラチュウが訊きました。
「行けるとこまで行きたいけど、無理をしないでヤーバクーあたりか、もうひとつ隣の地方都市がやっとだろうね」シュナイザーが答えました。「他に質問がある方は?」
他に質問をする者はおりませんでした。
シャンティは、ここまでしっかりしたシュナイザーがいるのだからきっと帝都には無事に着けるはずだ──と半ば楽観的に思いました。
マークガーヤは、当分は家族を守りつつ、ひたすら世界に目を慣らしていくだけで精一杯だ──と緊張気味に思っておりました。
「まあ、あっしはひたすら走らせるだけでさあ」ドトが大きく背伸びをしながら言いました。「しばらくは運転に集中だな」
シャンティが食べ終わると、皆がぞろぞろと馬車の方に戻り始めました。
「いやあ、ラチュウさん! ご飯、ごちそうさまでした!」
シャンティが晴れやかな表情で言いました。
「ああ! お粗末様です……ってえー! もうご飯終わりかよー!」ラチュウが不満そうに言いました。それからアールヴァクを呼ぼうと向かっているシュナイザーに追いつくと彼の肩を叩いて言いました。「そーいや、シュナイザー! この先の道のり確認するとき、ずっと口の下にパンくずついたままだったぜ!」
シュナイザーは途端にイラっとしてラチュウを無言でぽかっと殴りました。
「なんだよ! 殴ることないじゃないかよ!」
「遅い! 気付いてたなら早く言え! 知ってて黙ってたなんてお前はパンくずより、ずっとくずだ! それにぐずだ!」
ふたりはそんなやりとりの延長線上での口喧嘩をしながら見通しのいい丘に登って自分の馬を口笛でぴゅーいと呼ぶと、無事にアールヴァクとアルスヴィズはやって来ました。二頭に馬具を改めてつけるとふたりはそれぞれ跨りました。
一行は『黒い森』を目指して出発しました。丁度、太陽に雲がかかって辺りは薄暗くなりました。
道のりは確認したし、腹は膨れたしで準備は万端です。あとは今日の目標地点、プラキリオン目掛けてひたすら進むだけという晴れやかな再出発に見えましたが、その裏で実はシュナイザー、ラチュウ、ドトの三人はこの『黒い森』についてとある共通した隠し事を抱えておりました。




