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終章 盾の行方

 二〇四八年十一月十四日。東京地方裁判所、一〇四号法廷。

 霞が関の、灰色の、四角い建物。その一階の、いちばん大きな法廷の傍聴席は、抽選倍率、四百十二倍だった。

 灯は、その数字を、弁護士から聞いた時、少しだけ、笑った。

 四百十二。館山で、トワが数えた、蛾の数と、同じだった。

*

 法廷は、思っていたよりも、静かだった。

 高い天井。木目の壁。傍聴席と法廷を隔てる、低い木の柵。正面の、一段高いところに、裁判官が三人。その下に、書記官。左手に、検察官の席。右手に、弁護人の席。そして、法廷の中央に、被告人の席。

 被告人席には、五人が、並んで座っていた。

 篠宮灯。真壁しずく。早乙女ひばり。綾瀬小夜。鳴海永遠。

 五人とも、紺色の、八咫中隊の制服を、着ていた。中隊は、もう、存在しない。それでも、五人は、この服を、選んだ。

 灯の両腕は、肘から先が、まだ、白い手袋に覆われていた。半年の治療で、灰化は、手首まで、後退していた。指先の感覚は、七割、戻った。防壁は、まだ、張れる。ただし、一度に、二十枚まで。それ以上は、医師に、禁じられていた。

 千枚は、もう、二度と、張れない。

*

 検察官の論告は、一時間に及んだ。

「――被告人らの行為は、選挙で選ばれた政府の機能を、実力によって停止させたものであり、国家の統治機構を破壊する行為に、ほかなりません。その動機が、いかに正当なものであったとしても、その手段が、いかに非暴力的なものであったとしても、民主主義国家において、武力を持つ者が、自らの判断で、政治に介入することは、断じて、許されません」

 検察官は、四十代の、痩せた男だった。声は、淡々としていた。だが、その言葉の一つ一つに、何かを、押し殺しているような、重さがあった。

「被告人らが、もし、無罪となれば。次に、別の誰かが、別の正義を掲げて、同じことをした時。私たちは、それを、止める根拠を、失います。被告人らが守ろうとしたものは、この国の、文民統制そのものだったはずです。その文民統制を、被告人ら自身が、破った。その矛盾を、本法廷は、看過してはなりません」

 灯は、検察官の言葉を、一言も聞き漏らさずに、聞いていた。

 ――その通りだ。

 灯は、思った。

 ――この人の言っていることは、全部、正しい。

*

 被告人質問。

 最初に、証言台に立ったのは、しずくだった。

 弁護人が、訊いた。

「真壁さん。あなたは、決起の宣言文を、起草しました。その時、あなたは、自分たちの行為が、違法であると、認識していましたか」

「はい」

 しずくは、即答した。

「内乱罪に該当すると、認識していました。宣言文を起草する前に、篠宮さんに、そう言いました。首謀者は、死刑、または、無期禁錮だと」

「それでも、なぜ、起草したのですか」

 しずくは、眼鏡を、押し上げた。

「止められなかったからです」

 法廷が、少しだけ、ざわめいた。

「私には、篠宮さんを、止める言葉が、ありませんでした。法律の言葉では、止められなかった。法律は、こんな事態を、想定していなかったからです。文民統制は、文民が腐らないことを、前提にしています。その前提が崩れた時に、どうすればいいのか。どこにも、書いていなかった」

 しずくは、裁判官席を、見上げた。

「裁判長。一つだけ、お願いがあります」

「何でしょう」

「私たちを、無罪にしないでください」

 法廷が、静まり返った。

「検察官の言う通りです。私たちが無罪になれば、次に、誰かが、同じことをした時に、止められなくなります。その誰かは、私たちほど、慎重ではないかもしれません。誰かを、傷つけるかもしれません。権力を、返さないかもしれません。……私たちは、間違ったことを、しました。その間違いには、罰が、必要です。そうでなければ、法は、意味を失います」

 しずくは、深く、頭を下げた。

「ただ、もし、可能であれば。罰を受けるのは、私と、篠宮さんだけにしてください。早乙女さんと、綾瀬さんと、鳴海さんは、私たちの決めたことに、従っただけです」

「ちゃうで!」

 被告人席から、ひばりが、叫んだ。

「うちは、自分で、決めたで! 自分で、名前、書いたで!」

「被告人は、静粛に」

 裁判長が、言った。

 だが、その口元が、ほんの少しだけ、緩んでいるのを、灯は、見逃さなかった。

*

 最後に、灯が、証言台に立った。

 弁護人の質問が、終わったあと、裁判長が、灯に、訊いた。

「篠宮さん。最後に、何か、言っておきたいことは、ありますか」

 灯は、少しだけ、考えた。

 それから、言った。

「数を、言ってもいいですか」

「数?」

「はい。私は、数えるのが、癖なので」

 裁判長は、少しだけ、首を傾げた。それから、頷いた。

「どうぞ」

 灯は、息を吸った。

「三十八」

 法廷が、静まり返った。

「神鳴で、焼き切れた人の、数です。私は、あの夜、籠目を、解除しないと、決めました。解除していれば、神鳴は、撃たれなかったかもしれない。三十八人は、死ななかったかもしれない。……私は、その数を、一生、背負います」

 灯は、続けた。

「それから、一。葛西みのりさん。私たちが決起する前に、亡くなった人。でも、本当に亡くなったのは、あの夜でした」

「それから、百四。塔の中から、生きて出てきた人の、数です。久我凛子さんが、九日間、壁を張り続けて、全員の結晶が、外されました。そのうち、九十一人が、目を覚ましました。十三人は、まだ、眠っています」

「それから、四十二。白樺園の、地下にいた人。そのうち、三十八人が、家族の元に、帰りました」

「それから、十七万六千。品川で、凛子さんが、守った人の、数です」

「それから、二千三百万。最初の日の朝、ひばりの配信を、見てくれた人の、数です」

「それから、百二十三。最初の臨時会に、来てくれた、衆議院議員の、数です」

「それから」

 灯は、少しだけ、言葉を、切った。

「それから、数えきれない数。籠目の外で、ろうそくを、灯してくれた人たちの、数です。私は、数えようとして、数えられませんでした。……生まれて初めて、数えられなくて、よかったと、思いました」

 灯は、裁判長を、まっすぐに見た。

「私たちは、間違ったことを、しました。真壁さんの言う通り、罰を、受けるべきです。でも、私は、あの七十二時間に、数えた数を、全部、覚えています。その数の、一つ一つが、私が、間違ったことを、した理由です。……それだけは、知っておいてほしいと、思いました」

 灯は、頭を、下げた。

「以上です」

*

 判決は、二〇四九年一月二十日に、言い渡された。

 内乱罪については、無罪。

 裁判長は、判決理由の中で、こう述べた。

「刑法第七十七条の内乱罪は、『暴動』を構成要件とする。暴動とは、多数の者が結合して、暴行または脅迫を行い、一地方の平穏を害する程度に至ったものをいう。……本件において、被告人らは、何人に対しても、暴行を加えていない。脅迫も、行っていない。被告人らの防壁は、何人をも、傷つけず、何人の自由をも、奪わなかった。防壁の内部にいた者は、いつでも、自由に、外部に出ることができた。現に、内閣総理大臣は、一度、外部に出ることを試み、被告人の一人によって、門を開けられている」

 裁判長は、そこで、一度、言葉を切った。

「本法廷は、被告人らの行為が、民主主義の根幹を、揺るがすものであったことを、否定しない。しかし、本法廷は、法に基づいて、裁かなければならない。そして、法は、このような行為を、想定していなかった」

 傍聴席で、誰かが、小さく、息を呑んだ。

 しずくが、被告人席で、両手で、顔を覆っていた。

 肩が、震えていた。

 泣いているのか、笑っているのか、灯には、わからなかった。たぶん、両方だった。

「ただし、被告人らが、防衛省の命令に反して、任務を離脱し、駐屯地外において、魔導を行使した点については、自衛隊法違反、ならびに、魔素適性者特別措置法違反が、成立する」

 五人に、懲役一年、執行猶予三年。

*

 判決のあと、裁判所の前の、日比谷公園の、冬の、裸の木立の下で、しずくは、灯に、言った。

「……法律は、こんなことを、想定していなかった」

「うん」

「私が、あの屋上で、泣きながら言ったことです。それが、私たちを、救いました」

 しずくは、眼鏡を外して、冬の空を、見上げた。灰色の雲の切れ間から、薄い、冬の陽が、差していた。

「皮肉ですね」

「しずく」

「何ですか」

「来年、大学、受けるんでしょ」

「……法学部を」

「なれるよ。法律家に」

 しずくは、眼鏡を、かけ直した。

「なります。それで、いつか、書きます。法律が、想定していなかったことを、想定する法律を。……私たちみたいな子が、二度と、屋上で、泣かなくて済むように」

*

 それから、いくつかのことが、変わった。

 二〇四八年七月の総選挙で、鷹野隆道の与党は、議席の三分の一を失い、野党との連立政権が、発足した。新しい総理大臣は、秋津千景ではなかった。秋津は、入閣も、断った。「私は、監視する側にいたい」と言って。

 同年十二月、魔素適性者特別措置法は、廃止された。代わりに、「魔素適性者の権利及び防護任務に関する基本法」が、成立した。

 適性者は、十八歳になるまで、部隊に入隊する義務を、負わない。十八歳以降も、本人の同意なしに、防護任務に就かせることは、できない。

 適性者の健康と処遇を監督する、独立の監察委員会が、設けられた。委員の三分の一は、元適性者でなければならない。最初の委員の一人に、東雲まひるが、選ばれた。

 炉心化処置は、永久に、禁止された。

 天蓋の基幹塔は、解体が、決まった。

 ヤシマ重工の社長と、役員三人は、詐欺と、業務上過失致死の罪で、起訴された。

 綾瀬宗一郎は、すべての罪状を、認めた。懲役十二年の判決を、控訴せずに、受け入れた。

 御厨恭介は、すべての罪状を、否認した。裁判は、まだ、続いている。

 鷹野隆道は、政界を引退した。孫は、適性者として、新しい基本法のもとで、入隊を、拒否した。今は、普通の中学校に、通っている。

*

 桐生征は、陸上自衛隊を、退官した。

 今は、防衛大学校で、非常勤の講師をしている。担当する講義の名前は、「文民統制論」。

 最初の講義で、桐生は、黒板に、二つの日付を、書いた。

 ――一九三六年二月二十六日。

 ――二〇四八年五月二十日。

「この二つの日に、何が起きたのか。何が同じで、何が違ったのか。この一年をかけて、諸君と一緒に、考えたい」

 桐生は、チョークを、置いた。

「俺には、まだ、答えがわからない。……わからないまま、教壇に立つのは、教師失格かもしれないがな」

*

 早乙女ひばりは、「ひばりch」を、再開した。

 新しい基本法のもとで、適性者の私的な表現活動は、自由になった。

 再開第一回の配信は、料理配信だった。

 ひばりは、エプロンをつけて、狭いアパートの台所に、立っていた。調理台の上に、小麦粉と、バターと、砂糖と、卵と、チョコチップ。それから、一冊の、古ぼけた、手書きのノート。

「今日はな、クッキー、焼くで。チョコチップの」

 ひばりは、ノートを、カメラに、向けた。

 丸っこい、かわいらしい字で、レシピが、書かれていた。

 ――みのりの、ぜったい失敗しないクッキー。

「これ、天鈿女の東雲さんが、みのりさんの部屋の、遺品の中から、見つけてくれてん。うちに、くれてん」

 ひばりは、ノートを、そっと、撫でた。

「分量、守ったら、絶対、失敗せえへんねんて。……防壁と、同じやねんて」

 その日のクッキーは、少しだけ、焦げた。

 ひばりは、カメラの前で、焦げたクッキーをかじって、泣きながら、笑った。

「……うち、分量、守ったのに。オーブンの温度、間違えたわ」

 コメント欄が、「www」と「泣いた」で、埋め尽くされた。

*

 綾瀬小夜は、月に一度、府中の刑務所に、父親の面会に、通っている。

 面会室の、アクリル板越しに、二人は、三十分、話す。たいていは、他愛のない話だ。母のこと。庭の楠のこと。小夜が、春から通い始めた、看護学校のこと。

「看護師に、なるのか」

 ある日、綾瀬宗一郎は、訊いた。

「ええ。修復型ですから」

 小夜は、微笑んだ。陶器の仮面ではない、本当の、柔らかな微笑み。

「防壁がなくても、縫えるものは、たくさん、ありますので」

*

 氷室レイは、内閣官房特殊防護班の、解散とともに、新しい部隊に、志願した。

 適性者の、志願制の、災害救助部隊。禍だけではなく、地震や、水害や、火災からも、人を守る。

 レイの鏡獄は、そこで、新しい使い方を、見つけた。

 崩れかけた建物の中に、閉じ込められた人を、球で包んで、瓦礫から、守る。煙の中に取り残された人を、球で包んで、新鮮な空気を、送り込む。

「閉じ込めるためじゃなくて、守りたいものを、包むために」

 レイは、新しい部隊の、若い隊員たちに、そう教えている。

 姉の、氷室澪は、まだ、歩けない。三年間の炉心化で、下半身の神経が、ほとんど、焼けてしまった。それでも、澪は、車椅子で、毎朝、病院の中庭を、散歩している。

 レイは、休みのたびに、その車椅子を、押している。

*

 久我凛子は、九日間、塔の中で、壁を張り続けた。

 百四人の、最後の一人の結晶が、外された時、凛子は、台座の前で、両手を、窪みから、離した。

 そして、壁が、消えた。

 それが、久我凛子の、最後の、防壁だった。

 今、凛子の髪は、真っ白なままだ。両手の指先も、白く、灰化したまま。医師は、もう、元には、戻らないと言った。凛子は、「白髪も、悪くねえだろ。かっこいいじゃねえか」と、笑った。

 凛子は、今、長野県の、霧ヶ峰高原に、住んでいる。

 白樺園は、閉鎖された。建物は、取り壊されることになった。地下七階は、埋め戻される。

 だが、その隣の、牛のいる牧場は、残った。

 凛子は、その牧場で、働いている。毎朝、五時に起きて、牛の世話をする。乳を搾り、餌をやり、牛舎を掃除する。

 そして、午後は、松本の、信州大学病院に、通う。

 佐伯ゆかりは、塔から救い出されて、三週間後に、目を覚ました。

 最初に言った言葉は、「凛子、六キロ、ほんとに抜いたの」だった。

 ゆかりは、まだ、うまく、歩けない。手も、うまく、動かない。字を、書けない。

 だから、凛子が、代わりに、手紙を、書いている。ゆかりの口述を、凛子が、書き取って。

 凛子の字は、汚い。払いの角度は、毎回、ばらばらだ。標準偏差は、測る気にもならない。

 灯は、その手紙を、月に一度、受け取っている。

 ――灯へ。

 ――高原の空気がうまい。牛がいる。

 ――凛子の字が汚くて、読めないでしょう。ごめんね。

 ――(うるせえ。 凛子)

*

 鳴海トワは、少しずつ、話すようになった。

 まだ、長い文章は、話さない。でも、一日に、十個か、二十個の、言葉を、声に出す。

 トワは、美術大学の、予備校に、通い始めた。

 予備校の、最初の課題は、自画像だった。

 トワは、鏡を見ながら、鉛筆で、自分の顔を、描いた。

 それから、その顔の周りに、五人の少女の顔を、描き足した。

 講師に、「自画像だって言ったでしょう」と、言われた。

 トワは、首を、横に振った。

 それから、声に出して、言った。

「これが、わたし」

*

 二〇四九年、三月十一日。

 午前五時四十二分。

 千葉県館山市。国道一二八号線に架かる、歩道橋の上。

 灯は、そこに、立っていた。

 一年前と、同じ場所に。

 夜明け前の、群青色の空。欄干に張りついた、白い霜。三月の房総は、夜明け前だけ、冬に戻る。

 灯は、手袋越しに、霜を、指でなぞった。

 指先の感覚は、七割。冷たさが、少しだけ、遠い。

「……来たか」

 背後から、声がした。

 振り返ると、凛子が、歩道橋の階段を、上ってきていた。

 白い髪が、潮風に、なびいていた。口に、シガレットチョコを、咥えていた。

「中隊長」

「元、だって言ってんだろ」

 凛子の後ろから、ぞろぞろと、人影が、上ってきた。

 しずく。分厚い、法律の参考書を、小脇に抱えていた。来月から、大学生だ。

 ひばり。焦げていない、チョコチップのクッキーの入った、紙袋を、提げていた。

 小夜。看護学校の、紺色の、カーディガンを、羽織っていた。

 トワ。スケッチブックを、胸に、抱いていた。

 それから、レイ。銀色の髪を、マフラーに、埋めていた。

「……みんな、どうして」

「どうしてって」

 凛子は、肩をすくめた。

「一年前の、今日だろ。全部の、始まりの日。……まあ、同窓会みたいなもんだ」

*

 灯は、新しい基本法のもとで、自分の意思で、もう一度、防護任務に、就いていた。

 判決が確定した、翌月に。

 執行猶予中の身で、志願できるのかと、灯は、監察委員会に、問い合わせた。東雲まひるが、即答した。「できる。前例は、ない。だから、あんたが、前例になれ」

 今、灯は、千葉県南部の、志願制の防護隊の、隊長をしている。隊員は、灯を含めて、四人。全員、十八歳以上。全員、志願者。

 一度に張れる防壁は、二十枚まで。

 それでも、灯は、盾であることを、選んだ。

*

 午前五時五十一分。

 空が、白み始めていた。

 東の、太平洋の水平線の向こうから、薄い、桃色の光が、滲み出してくる。

「……あかり」

 トワが、灯の袖を、引いた。

 トワは、空の一点を、指さしていた。

 それから、指を、三本、立てた。

 一本ずつ、折っていく。

 三。二。一。

 空に、白い線が、走った。

 小さな、裂け目だった。一年前の、館山の裂け目の、十分の一ほどの。

 灰が、降り始めた。

 蛾が、数匹。

 灯は、インカムに、手を当てた。

「館山防護隊、展開。守る線は、国道一二八号線。……避難車列は」

『ありません、隊長。今朝は、まだ、誰も』

 部下の声。十九歳の、志願者。

「そう。……でも、展開する。新聞配達の人が、通るかもしれないから」

 灯は、両手を、開いた。

 ――一枚。

 指の間に、薄い膜が、生まれる。

 ――二枚。三枚。

 数える。

 ――四枚。五枚。

 隣で、凛子が、シガレットチョコを、かりり、と噛んだ。

「相変わらず、臆病な壁だな」

「はい」

 灯は、笑った。

「臆病な壁は、逃げるのが、上手なので」

*

 蛾の群れは、灯の二十枚の壁に、ぶつかって、白い粉になって、散った。

 五分後、裂け目は、閉じた。

 灰が、止んだ。

 太陽が、昇っていた。

 灰の残滓が、朝日を受けて、金色に光りながら、海の上を、漂っていた。

 一年前と、同じように。

*

 歩道橋の欄干に、七人が、並んでいた。

 誰も、何も、言わなかった。

 ひばりが、紙袋から、クッキーを、配った。

 みのりの、絶対に失敗しない、クッキー。

 今度は、焦げていなかった。

 灯は、クッキーを、一口、かじった。

 甘かった。

「……分量、守ったら、絶対、失敗しないんだって」

 ひばりが、言った。

「防壁と、同じなんだって」

「そうだね」

 灯は、頷いた。

 それから、東の空を、見上げた。

 朝日が、まぶしかった。

 灯は、数えていた。

 隣に並んだ、仲間の数を。

 一人。二人。三人。四人。五人。六人。

 自分を入れて、七人。

 ――数える。

 灯は、心の中で、呟いた。

 ――数えられるうちは、まだ、大丈夫。

 それから、もう一つ、付け足した。

 ――数えきれなくなっても、たぶん、大丈夫。

 あの朝、永田町で、数えきれないほどの光が、自分たちを、包んでくれたように。

 盾は、一人では、立てない。

 背中を預ける誰かが、いる限り。

 灯は、目を閉じた。

 潮風が、頬を、撫でていった。

 遠くで、カモメが、鳴いていた。

 国道一二八号線を、新聞配達のバイクが、一台、北へ、走っていった。

 何も知らずに。

 何も、知らなくていいように。

 灯は、目を開けた。

 黎明の空が、どこまでも、青く、広がっていた。

(了)

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