51 アスワン商会
ほぼ無人の大通りを馬車で駆け抜け、アスワン商会に着いたアランとガイルは、受付嬢に会頭のセムリナクとの面会の可否を問うた。
相手が一般人であれば、面識のない人物との面会は断るところだが、今のアラン・リードは一代爵の名誉男爵といえども貴族である。
当然のことながら、面会はすぐに行われた。
多忙な業務の中、時間をやり繰りして会見の場に現れたアスワン商会の現会頭セムリナク・シェラザード・アスワンは、ガイルのことを覚えていたらしく、作為のない笑みを浮かべてガイルと握手をした。
驚いて声を上げそうになったアランは、ようやくのことで思い止まり、何食わぬ顔でガイルの言葉を待った。
「こちらが、日頃何かとお世話になっております、アスワン商会の会頭でいらっしゃるセムリナク・シェラザード・アスワン様でいらっしゃいます」
「初めまして、アラン・リード名誉男爵閣下」
「こちらこそお初にお目にかかります、アスワン会頭」
アスワン会頭は、デイルの時と同じように右手を差し出してきたので、アランは当然のようにそれを握り返し、初対面の挨拶は終了した。
「リード男爵閣下におかれては、握手という習慣をご存じでいらしたとは…」
「単眼族の方から流れて来た挨拶だそうですね」
「いやはや、よくご存じでいらっしゃる。セムリナク・シェラザード・アスワン、感服仕りました」
「それほどのことではありませんよ」
茶色の髪を短く刈り込み、シェパードのような大きな三角耳の先にふわふわの長い毛が生えた初めて見るタイプの耳に、左が碧で右が紺のヘテロクロミアの目を持った大柄な紳士は、アランにソファを勧めた。
互いにソファに腰を下ろしたタイミングを見計らったかのように、秘書らしき女性がお茶を持って現れた。
「粗茶でございます。男爵様のお口に合えば宜しいのですが・・・」
女性は一言ことわりを入れてからカップをアランの前に置いたが、そこから立ち昇る香気は尋常の品ではないことを雄弁に物語っていた。
「いい香りですね。アールグレイでもベルガモットの主張が強すぎないのが素晴らしい」
「閣下には、お茶に造詣が深いとお見受けしましたが」
「ただのお茶好きですよ」
「ご謙遜を」
アランが何を目的に現れたのか判然としないアスワン会頭は、当たり障りのない話題を選んで雰囲気を探って来た。
その事に気が付いたアランは、直截ではなく婉曲に目的を果たそうと言葉を選んだ。
「時に、コータルには面白い考えを持つ者達が集まる場所があるそうですね」
完全に不意を突かれた形のアスワン会頭は、咄嗟の返事が出来ずに口籠ってしまった。
「…とおっしゃいますと?」
多くの人と仕事をする中で多くの人と語らい、また部下を叱咤し激励することの多いアスワン会頭は、目の前の一見人の良さそうな金髪の若者が何を考えているのか読めずに困惑した。
「獣人族の統一国家を夢見る者達が集う町と聞いたことがありましてね」
「あ…、あぁ、モノリスのことを仰っておいででしたか」
「モノリスというのですか」
「はい、リーダーと目されているのは狐人族の男でしてね。名前は確かオリジンと名乗ってますよ」
「よくご存じですね」
「えぇ、私も知り合いになりたかった訳じゃないんですが、そういう活動家という連中は相手構わず活動費の援助を求めて来るものでして」
「なるほど。では、幾らか援助なさったことがお有りですか?」
「初めのうちは、統一国家などとは一言も言っておりませんでしてね」
「ほぅ、では自分たちの事をなんと?」
「孤児や寡婦が安心して暮らせる社会の建設を、などと申しておりました」
「それがいつ頃から今のような主張を始めたのでしょう?」
「ははは、それがどうも…。資金的に楽になり始めた頃からでしょうか」
「それはもしかして?」
「はい。おそらく初めのうちは目的を隠していたんでしょうな」
「ふむ。しかし何故狐人族の青年が犬人族の、しかもこんな人口に大きな変化がある町で活動するのでしょうね?」
「今、青年と仰いましたか?」
「はい」
「リーダーは青年などではありませんでね。もう孫がいてもおかしくない年に見えますよ」
「な、はぁ、孫ですか?」
アランは、自分が考えていた活動家のイメージが脆くも崩れるのを感じて苦笑いした。
「そういう考えを持って活動するというのは若い人かと思っていました」
「そうなんですよ。初めの主張が理解できたのは、偏に彼の年齢と雰囲気がそれらしかったからなんですが」
「夢覚めやらず、というやつですか」
「男爵様はお若いのに味のあることをおっしゃいますなぁ」
その後、少しばかり世間話をしてから、アランは今回の目的を果たすべく、借り受けた上屋の礼を述べた。
「あれほどの建物を都合していただけるとは、正直思ってもいませんでした」
「何を仰いますか。デイマークス辺境伯様のご一門でいらっしゃるリード男爵様の活動を支援できるとなれば当然の事」
「しかし、あの建物はまだまだ業務に使用しても差支えないでしょうに」
「あの辺りは貴族様方のご別荘が並ぶエリアに近うございましてな」
「あぁ、そういうことですか」
「はい。時間的にも地理的にもいろいろ制約が多いもので」
「今の時期では考えられないことですが、やはり陛下の行幸に重なると大変ですか?」
「物を動かすのが我々の仕事でございますから、道路の使用制限が出されますとそれはもう」
「なるほど」
「お伺いして差し支えなければご教示下さい。あの上屋は何にお使いですかな?」
来たぞ、とアランは思った。
そして、これはこちらにとっても決して損にはならない話だと考えて、ゆっくり話し始めた。
「あの上屋は、立地的にも規模的にも申し分ない建物ですよ。今回の件が片付いても、そちらさえよければ暫くお借りしておきたいほどの、ね」
「いや、お使いいただくことは吝かではございませんが、男爵様には何かお考えでもございましょうか?」
「ボクの現在の目的は、世界中を旅して周ることです」
「それは従者の方からもお伺いしております」
そう言って、アスワン会頭はアランの後ろに立っているガイルをチラっと見た。
「ボクには爵位はあっても領地というものがないので、珍しいものや面白いものが手に入ったとしても、旅先では保管もできません」
「仰る通りですな」
「それで、根なし草のような暮らしの中に、あのようなベースがあれば何かと便利ではないかと考えています」
「なるほど、なるほど」
「しかし、あの建物をただでお借りするほど、ボクも厚顔ではないですから、如何ほど使用料をお払いすれば良いものかと悩んでいまして」
「何を小さなことに拘泥されますか。必要ないと思われるまで自由にお使い下さいませ」
「それではアスワン商会に負担を掛けるだけになってしまいますね」
「我々としては使い道のない建物を1つお貸しするだけの事。負担などございませんよ」
そう言いながらも、アスワン会頭の目にはキラキラと輝き始めていた。
「これから先何か月も、場合によっては何年も連絡が取れないこともあるでしょうから、その間ボクの部下達を置いておいてもホントに大丈夫なのでしょうか」
「それほどまでにお気遣いいただけるならば、こういたしませんか」
「何か妙案でもありますか?」
「今後男爵様が赴かれる先々の物産を、我々にご紹介いただくというのはいかがですかな?」
「それで何か利益が見込めますか?」
「えぇ、大いに」
「それでいいと仰るなら、ボクの方に異存はないですが」
「我々としても、男爵様に頂いた情報を元に営業活動を行いますので、それで利益が出た場合にはもちろん相応の謝礼をさせていただきます」
「それはありがたいお話ですが、さて、そんな旨い話になるものかどうか?」
「そこから先の事は我々にお任せ下されば結構でございますよ」
アランとアスワン会頭の会見は、捕らぬ狸の皮算用に終わるかもしれない話を真剣に語る会頭の一方的な独演会に終わった感はあったものの、概ね良好な雰囲気の中で推移した。
結局内容的には、月々の使用料は要らないと突っぱねられた挙句、見聞した話のダイジェストを書き送ることでアランにも利のある結果が期待できるという話に落ち着いた。
これからの事はガイルをアランの代理人として連絡を取ることで合意し、その後については随時相談することを確認して今回の会見は終了した。
帰りの馬車の中で一人顔が笑み崩れるアランを、奇異な目で見るガイルの姿があったが、所期の目標の達成は出来たのだろうと考えて、知らぬ顔をすることにした。
上屋に帰り着いたアランとガイルは、町へ探索に出ている仲間を待つことなく2階に上がって、奥に張った一人用テントの中の女性の様子を見た。
特に呼吸に乱れはなかったものの、このまま放置しておくわけにもいかないので、もう一度ガイルをアスワン商会に行かせて、信頼できる女性職員を2名借り出して来ることにした。
ガイルが馬車で出かけている間、意識のない女性と2人きりになったアランは、そこで初めて事典を見ることにした。
人身売買組織についての項目に大きな変化が無かったので、ペットボトルの水をチビチビ飲みながらコータルのことについて調べていると、興味深い項目を発見した。
デイマークス辺境伯家の源流ともいえる、カスマンド王国貴族序列第一位のタランテロード公爵家で、辺境伯家一門の集まりに対抗して公爵家が主催する予定のパーティの準備のため、コータルにある公爵家別荘に派遣した5人の執事と60人のメイド、それに50人の下男や端女の行方が、1人を除いて杳として知れないという。
しかし、唯一人難を逃れたメイドは、現在アラン・リード名誉男爵の庇護下にあり、また、彼女達を襲った賊の一部は、これもリード名誉男爵の手によって捕縛され隔離されている、という一節だった。
えっ、この人がそうなの!?
じゃ、オアシスのあいつらが人身売買組織の手先ってこと?
なーんだ、そうだったのか!
ってか、なんかご都合主義な感じが強いなぁ。
アランは、まじまじと傷ついて眠る女性の顔を見た。
次に打つ手は、順序さえ間違えなければ大丈夫なはずだと考えて、人身売買組織壊滅に向けた策を周到に練り上げていった。
テントの中で毛布に包まれて眠る女性の意識が戻りそうな兆候が見え始めた時、ガイルがアスワン商会から借り出してきた2人の女性職員と共に上屋へ帰って来た。
挨拶もそこそこに、今から見聞きすることはくれぐれも秘密にしてくれと念を押してから2階のテントまで職員を連れて行ったアランは、ほぼ眠りから覚めた状態の女性の介護を彼女らに任せて、これからの行動に必要な物をリストアップすることにした。
2人を借り受けに行った折のガイルの様子が少しばかり先ほどと違うように見えたので、アスワン商会では念のためにと、看護兵として従軍経験のある職員を選んで派遣してくれていた。
看護兵としての経験は然程長くはなく、医学知識も無いよりはマシ程度のものではあったが、庶民の生活の中では呪いと医学が未分化のレベルである社会においては、彼女たちの持つ知識と経験は貴重なものであり、まず第一に傷口を消毒することを知っていただけでも素晴らしいことだった。




