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52 襲撃準備

 普段の生活の中で、アランが酒と呼べるような嗜好品を嗜むことはほとんどなかったが、どの酒がどれほどのアルコール度数があるかくらいのことは知っていた。


 暁の花園から引き抜いたメンバーにも、日常的に禁酒生活を強いるようなことはなく、各自の判断と酒量によって晩酌は自由にさせていた。


 さすがに日中から酒の臭いをさせて歩き回ることは、リード名誉男爵の従者としての体面を考えてそんな者は居なかったが、何日かに一度与えられる完全休養の日には、隠れることなく朝から酒を飲んで楽しむ者の姿も見受けられた。


 今回、アスワン商会から借り出した元従軍看護婦の女性職員達は、とりあえず従者が日頃飲んでいる酒の中からアルコール度数の高いものを見つけ出して、それを消毒に用いた。


 醸造酒といえばワインくらいしかないこの世界では、その代わりに様々な蒸留酒が飲まれていた。


 一番の売れ筋はアルコール度数30度前後の酒だったが、中にはこんなもの誰が飲むのかと疑いたくなるような92度というとんでもない酒もあって、たまたまか否かアランの従者たちの酒のコレクションにもそれは顔を出していた。


「ふぇ~、92度って、どうやって飲むのさ、こんな酒…」


 アランの至極当然な疑問に真面目な顔で答えたのは、アスワン商会から来た2人のうちの年嵩の方の女性だった。


「男爵様、こういうものはお遊びで使うものでございまして、これを好んで日常的に嗜む剛の者はさすがにおりません」


「そうだよね。そりゃそうだよね。死んじゃうよ、こんなの一気に呷ったりしたら」


「ですが、わたくしの田舎ではこういう高い度数の酒で傷口を拭いたり、こういう酒に薬草を漬けたりして常備薬として使っております」


「なるほど、飲むときは何かで割るんだね」


「仰る通りでございます。各家庭に独自のレシピなどもございまして、民間療法としては結構重宝されております」


 一人がアランと話す間に、もう一人がテキパキと作業をこなしていった。


 傷ついた女性の意識もしっかり保たれていて、消毒の際には可愛い悲鳴を上げることもあった。


 彼女には後で詳しい話を聞かなければ、とアランが思っていることを察知しているかのように、年嵩の女性はもう1人が黙々と消毒に当たっている間、被害者の女性の心理的負担の緩和の意味も込めてあれこれと世間話の態で情報を引き出してくれた。


 こういうところがボクには真似できないんだ、と忸怩たる思いのアランをよそに話は進み、どういう経緯でこうなったのかが朧げながら見えて来た。


 タランテロード家のメイド嬢の話を継ぎ接ぎして纏めると、こういうことだったらしい。











 昨日の朝、メイド長から突然コータルの別荘をダンスパーティが開ける様に模様替えをするから、名前を呼ばれた者は順次用意の馬車に乗り込んで出発せよと命令されて、そのリストの中に自分の名前があった彼女は疑うことなく馬車に乗り込んだ。


 コータルの別荘だけでなく、王都にある本邸においても突然のパーティの準備はそう珍しいことではなく、毎回大勢のメイドや下男下女が動員されて一気に飾りつけをしてしまうので、タランテロード家に奉公する者達はこういうことに慣れていた。


 本邸からコータルの別荘までは馬車を急がせて半日の距離なので、到着までの馬車の中はガールズトークが炸裂して、華やかな笑い声に満ちていた。


 それが一変したのは、到着まであと僅かというところにある王都とコータルを隔てる緩やかな峠道のことで、武装した集団に取り囲まれた彼女たちが乗った馬車を含むすべての馬車が御者を殺されて制御不能に陥ったところを、並走する馬から飛び移った賊に誘導されて山の中へと連れ込まれた。


 集団で誘拐されて着いた先は、100年ほど前までそう賑わっていたわけではないが鉱山のあったところで、朽ち果てた建物が並ぶ中に急造の小屋がいくつも建てられた一画だった。


 ここがその昔鉱山だった跡であることを知っていたのは、彼女が幼いころに父親や兄たちと一緒にこの辺りに狩りに来た折りに、逃げる鹿や兎を追いかけて走り回ったせいで、思わぬ道を発見して心躍らせた経験があったからだった。


 馬車から下ろされて押し込められた小屋の中は、食べ物の腐った臭いと饐えた汗や体臭が籠った酷いところで、気を許すと吐き気に襲われそうになるほどだった。


 小屋の中にはメイド達が何十人もいたが、一緒に来たはずの執事や下男下女の姿は見当たらなかった。


 彼らの運命を知ったのは、見張り達が酒を飲んで眠りこけた隙に小屋から逃げ出した時で、無造作に放り棄てられた驚くほど多くの死体の幾人かに見覚えのあった彼女は、折れそうになる心を奮い立たせて彼女だけが知る細い獣道を体力の限り走り続けた。


 暗闇を走り続けるうちに、余分な装飾の多いメイドの衣装はあちこちが破れ、裂け、体にも数えきれないほどの裂傷を負ったが、辺りが明るくなってきた頃、自分が走っているのがコータルへと続く間道で、間もなく町中に入れると希望を胸に必死で走り続けた。


 希望が絶望へと変わったのは、それからそう長い間走った後ではなかった。


 町中に入った彼女の後ろを大勢の足音が追ってくるのに気付いたのだ。


 町に入るための門は、アスワン商会が敷設した幹道がコータルに入って行く一画の一部に城壁を作って体裁とし、後は雑木林や小さな落差をその代わりに充てていた。


 だから、彼女も門を避けて雑木林の中を通る細い道を使って町に入った。


 しかし、町の出入口とタランテロード家の別荘の近辺は知っていても、コータルの地理には全く縁がなかった彼女は、唯一知っていた離宮の堀の代わりを成す川を目指して走り続けた。


 コータルの町はひどく静かで、国王の行幸のないこの季節には人の姿を見かけることが、大げさな表現ではなく皆無だった。


 それは、服が裂け、傷だらけの彼女を気遣う者は誰もおらず、それどころかタランテロード家の別荘の門扉に取り縋って助けを請う声に応えるものさえ居なかったことで、はからずも証明されてしまった。


 もうだめだ、と思って観念した目の前で、自分を掴まえようとした男の肘から先がなくなって血が噴き出したところまでは覚えているが、気が付くと女性2人に介抱されていた、ということらしい。


 最後に彼女の名前を聞くと、コニーだと教えてくれたので、アランは自分がリード名誉男爵であり、現在コニーはアランの庇護下にあるから何の心配もいらないと教え、仲間のメイドを助けるために協力を依頼した。


 出来る限りの協力をするというコニーに、人を安心させるアランの笑顔はなかなかの癒しになったようで、次に会う時まではゆっくりと休むように言った。


 下に降りたアランは、逐次戻って来る暁の花園のメンバー2人にベッドや女性用の寝具一式を購入させるためサリカムに馬車を出すことを命じ、店が開いていない場合はアスワン商会を頼れと送り出した。


 次に、各自の調査結果を聞くと、コータルの南の外れにある、今は使う者のいない古い古い砦跡の近辺に人の動きがあって、しかも慌ただしいと異口同音に報告があった。


 どうやら、その辺りに人身売買組織の鍵となるアジトか本部があると考えていいのかもしれないなと思ったアランだったが、念のため100人以上の人間の移動の痕跡を併せて問い質したところ、コータルの離宮の側を流れて外堀の役目を果たす例の川は、途中山間部を縫うように流れ、王都の北を通ってゴドリック大陸の西海岸で海と出会うらしいということを聞き込んだ者がいた。


 この川の源流はゴドリック大陸の中央山嶺にあって、分水嶺で分かたれることなく一本の川のまま海に注ぐ。


 コータルの近辺に至る頃には既に大河と言っても良く、川幅は離宮周辺の1サリ弱が最も狭く、王都の北を流れる頃には向こう岸が霞んで見えるほどの大きな川に成長していた。


 事典の情報にかまけて、地図を確認していなかったことを痛切に悔いたアランは、今度は徹底的にこの川の地理的条件を利用してやろうと考えて、またもやアスワン商会の力を借りることにした。












 地元コータルのことであれば、商売上どんな裏道の一本まで知り尽くしているアスワン商会で、南の砦跡と町の外の鉱山跡を結ぶ間道が現在は使用不可の禁令が出ているにも拘らず、ここ数年頻繁に人や物が動いた形跡が顕著であることを聞き出して、アランは次に砦跡から川への道、若しくは鉱山跡から川までの道筋を調べ直してみた。


 ガルーダに跨ってはるか上空から俯瞰していると、アランの魔法の水効果による凄まじい視力に動くモノが捉えられた。


 猛禽類の視力を遙かに凌駕するアランの目には、そこにカスマンド王家の紋章である『犬に剣と槍』に似て非なる『犬に剣と盾』の紋章を扉に描いた馬車が20台近く、鉱山跡から峠を迂回して大森林の中に密かに切り開かれた道を大河の畔へ向かって移動しているのが見えた。


 一方、川には崖下の洞窟に偽装した船溜まりがあって、道が付いていないために人が寄り付きそうもない険阻な場所に、楽に馬車同士が行き違えるだけの幅の道を敷設してあった。


 見た目の判断ではあるが、鉱山跡のアジトから船溜まりまでは直線距離でおよそ25サリほどしかなく、大森林の中を縫うように迂回に迂回を重ねたとしても馬車でなら6時間もあれば着いてしまうだろう。


 馬車の列を襲撃して人質のメイド達50数名の身柄を確保し、同時に人身売買組織の人間を始末するのは、いかに魔法の水とケームの力を使えるアランといえども困難を極めることが予想された。


 カスマンド国王の行幸がない今、警備のための兵士が十数名残されている他に戦力となりそうな勢力はなく、アランの孤軍奮闘に終始するかと思われたこの作戦は、意外なところから嬉しい綻びを生じさせ、一気に劣勢を跳ね除けてアランに勝利を齎すこととなった。


 体制を整えるため、一度川沿いの上屋に帰ったアランは、自分と十数頭のグリフォンだけで勝負をかけるため、砦跡のアジトと思しき場所と鉱山跡のアジトとの間に楔を打ち込み、連絡を取れなくすることを暁の花園のメンバーに命じた。


 但し、命が危険に曝されると判断した場合は、速やかに撤収することも併せて厳命した。


 メンバーは各自で出来得る最高の貢献を見せて総統であるアランに認められたいと思っていたが、さりとて今回の敵の様に命を軽く扱う相手にはどうしても及び腰にならざる得ずにいた。


 旧暁の花園でも、虫けらの如くに命を奪って目的を達成する奴もいたが、そういう連中は皆アランに始末されたか炭鉱での終生にわたる採掘作業に従事させられることで世間から縁を絶たれていた。


 だから、アランの命を受けて動く連中というのは皆、町中の喧嘩や襲撃に強制的に参加させられて、実戦の経験はそれなりに持っていたから、全くの役立たずというのは極少数に限られていたものの、根っからの武闘派という者が少ない。


 そんな中、実戦には全くお呼びではないが無駄口だけは3人前以上と、何ゆえにアランがこいつを呼んだのか理解しかねると皆に思われていたゲンが、密かに殊勲の働きを見せたのである。












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