18 この水は、こんな使い方をしてはいけません。
カリンの身の上を聞いたカルアは、胸が切なくなって自然と涙があふれるのを止められなかった。
幼い娘を連れて知る人もいない国へ逃げて来るなんて、強い人ね。
アタシだったらそんなマネ出来そうにないわ。
一人カリンの身の上に思いを馳せていると、幼い女の子がこちらに向かって走って来るのがカルアの目に入った。
「ママ~!」
「あらあら、目が覚めちゃったのね」
「おにーちゃんもおかえり~!」
「ただいま、シャナちゃん」
そこには、カルアが見たことのない優しい笑顔で幼い女の子に接するアランがいた。
「この子がシャナちゃん。カリンさんの娘さんだよ」
「こんにちは、おねーちゃん。え~っと、おねーちゃんはおにーちゃんのお嫁さんなの?」
「えっ、たっ、そっ、ち、違うわ」
「こんなきれいなおねーちゃんが、おにーちゃんのお嫁さんなら良かったのにね」
「うん、そうだね。そうだったら嬉しいね」
そして、カルアの顔が火を噴いた。
折角だから、夕食は4人で取りましょうか、ということになって、アランとカルアは新しく宛がわれた部屋に向かった。
そこは、恐らく一人部屋なのだろう。
ベッドとテーブルと椅子がそれぞれ一つずつ置いてあった。
「とりあえず、今日から身の振り方が決まるまでこの部屋で過ごしてくれたらいいよ」
「でも、ベッドが一つしかないわ」
「あぁ、それなら心配しないで。この部屋を使うのはキミだけだから」
そう言われて、カルアはアランの顔をまじまじと見てしまった。
「あなたはどうするの?」
「今夜のところはケニー達と悪い奴らを退治してくるから、部屋は必要ないさ」
「そんなに簡単に出来ると思ってるの? あいつらのボスはずる賢くて一筋縄じゃいかない相手なのよ」
「明日の朝には帰って来てると思うから、成功したかどうかはその時のお楽しみ、ってことにしようか」
「はぁ・・・」
カルアは、アランの自信が何処から来るのか分からないので、返事のしようがなかった。
「でさ、夕食の後、今夜出かけるまでココに居てもいいかな?」
「いいけど、その間アタシは外に居ればいいのかしら?」
「ちょっと調べたいことがあってね。色々ととんでもないものを見ることになるかもしれないけど、それでも良ければ部屋に居てもいいよ」
この人は魔法使いなのかしら、とカルアは思ってしまった。
ケームを完全に飼い馴らす人など、これまで見たことがなかったし、ケニーたちとの戦いでも相手の攻撃を完全に躱していたから、只の人であるはずがないと思ってもいた。
「じゃ、夕食まで少し時間もあることだし、今から始めちゃうけど、いいかな?」
返答に困る質問はしないでほしいとカルアは思ったが、
「えぇ、どんなことするのか、そばで見せてもらうことにするわ」
アランが何をし始めるのか、そこそこ興味を持って見ていたカルアは、バッグから百科事典のような分厚くて大きな本と見たこともない透明な容器に入った水らしきものを取り出して、部屋に備え付けのテーブルに置いたのを信じられない思いで見つめていた。
それだけ?
とんでもないものって、それだけのことなの?
そんなことないわよね。
でも、本と水で何が出来るっていうのかしら。
カルアの疑心暗鬼をよそに、アランはいつものように事典の獣人族の項目を開くと、ペットボトルの蓋を開けてミネラルウォーターを一口飲んだ。
そして、目当ての記載を見つけると読み始めた。
おっと、浮かんできたぞ。
ロマンダリア最大の犯罪組織の名称は、暁の花園っていうのか。
で、・・・っと、組織のボスは・・・。
はい・・・?
そこにはこう書かれていた。
ゴドリック古代歴5521年7の月の28日、旧体制を打破した暁の花園は120年の歴史に終止符を打ち、新たな総統にアラン・リードを頂くことで組織の刷新を断行した。
加えて、蓄えた富を有効活用することによりロマンダリア国内は言うに及ばず、獣人域内すべてにわたって福祉と教育にまい進する組織へと改組された。
なお、旧組織時代の幹部25名は、役員会と称する顔合わせのため訪れていたシャーメシル国境に近いロマンダリアの廃城に集まっていたところを急襲され、全員処刑された。
準構成員の多くは内戦中のシャーメシルに逃亡を図ったが、折からの狼人族による反攻作戦に巻き込まれ、全員が首都陥落の際の犠牲となって死亡した。
また、傘下に属していた貢献員と称する多くの待機構成員は、アラン・リードに対する反抗の姿勢を強めたが、突如現れたケームや岩獅子といった猛獣に蹂躙されて以来、消息が掴めていない。
一説には、その場に残された獣人の身体の一部と見られる指や耳などから、すべて食い尽くされたものと推測される、という見方が強い。
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ボク一人で壊滅させちゃうんだ、やっぱり。
この事典に記載されてるってことは、もう規定事項ってことだよね。
でも、突如現れたケームや岩獅子って、何?
ガルーダめ、やるじゃん。
刻々と変わるアランの表情を見ているうちに、カルアは何かとんでもないことを企んでいるに違いないと思うに至った。
普通、人はこれほど見事に表情を操ることは出来ないだろうし、ゴドリック古代王国で制作された彫像のような完璧な配置を施されたアランの顔には、どこか安心感を喚起させる雰囲気があって、見ているカルアにとってもそれは楽しいひと時だった。
そして、読んでいた分厚い本を閉じたアランが、傍らのバッグから次々に水と思しき液体の入った透明な容器を取り出し、
「身体強化!」
「瞬間加速強化!」
「攻撃力強化!」
「気配察知強化!」
「武器使用練度上昇マックス!」
などと呟きながら、一本飲み干すごとにバッグに空の容器を放り込み、また新たにバッグから一本取り出して飲み干すことを繰り返していた。
黙ってそれを見ていたカルアは、ついに信じられない光景を見てしまったことに気付いて呆然としたが、最初にアランが注意したのはこの事だったのかと思い至った。
それにても、よくあれだけの水が飲み干せるものだと感心していると、最後に取り出した一本をカルアに差し出して言った。
「これを飲んでおくと、今夜はきっとよく眠れるよ」
「あの、これって・・・?」
「これはね、魔法の水なんだ。でも、このことはボクとカルアだけの秘密だからね」
アランはそう言って軽くウィンクした。
先ほどから刻々と変わる表情を見ていたことや、昼間破落戸達から助けてくれた手際や、自分をとても大切に扱ってくれていることなど、様々な要因が相俟ってカルアはいつの間にかアランを意識するようになっていた。
それは、アランの容貌が衆に優れていることもあっただろうが、心のどこかにカリンを意識しているところが少なからずあったのだが、カルア自身はそのことに気付いていなかった。
差し出された水を、躊躇いながらも口にしようとしているカルアを見て、アランはきれいだな、と純粋に思っていた。
そして、出来るなら、こんな娘と相愛の仲に成れれば幸せだろうな、と強く思った。
だから、魔法の水はアランの要望にキチンと応えてくれてしまった。
飲み終わった容器をアランに返すカルアの態度は、先ほどまでと違ってどこかぎこちなく、熱に浮かされるようなその眼は潤んでいた。
ペットボトルを受け取ったアランがカルアの眼の意味に気付いたのは、カルアがアランの胸にその身を委ねてからだった。
そこから先は自然の流れに身を任せて、二人は唇を重ねていた。
いっそこのままベッドに、と思ったアランだったが、まだカルアの身の安全を確実なものとしていないことを思い出して、寸前で思い止まった。
事典に載ってたんだから、結果は変わることはないだろうけど。
こういうことは身辺整理がキチっと出来てからの方がいいよね、きっと。
魔法の水の効力を借りてもなお、アランはチキンのままだった。
「明日の朝、帰って来た時にまだ今の気持ちが続いていたら、ボクについて来てくれるかい?」
アランの言葉に、その胸に抱かれたまま、カルアは小さく頷いた。
その後、4人で夕食を取った折り、カルアの態度が目に見えて違っていたことに多少の驚きを覚えたカリンだったが、カルアの気持ちに配慮してそのことに言及することはなかった。
カリンの意味深な笑顔に気付いたアランだったが、そこは大人の対応をしてくれたことに感謝しつつも朴念仁を演じきることに徹して食事を終えた。
食後、準備があるからと出かける支度をするアランに、
「ご無事のお帰りを祈っています」
と言ったカルアの態度はすでに新妻のようで、何故か非常に感動してしまったアランは、ホテルを出がけにフロントマネージャーのところに立ち寄った際、
「こんな時間だというのは重々承知しているし、ホントにご迷惑だとは思うんですけど、カルアの身の回りの品を今から見繕っていただけませんか?」
と頼んでみた。
マネージャーはその要望を快く引き受けてくれたうえに、カリンとシャナを担当している女性従業員をその仕事に宛てると約束してくれた。




