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選ばなかった未来ばかりが美しく見える  作者: 水瀬める


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3



『私は、どうしたい?』


その一文を、リディアは朝になっても眺めていた。


答えはまだ出ていない。


王都と領地。


どちらが得か。どちらが将来のためになるか。どちらを選べば後悔が少ないか。


そういうことなら、いくらでも考えられた。


けれど、自分はどうしたいのか。


そう聞かれると、何も書けない。


「……本当は、どっちなの」


王都に残りたい。


それは本当だと思う。


王立図書院で働きたい。新しい本を読みたい。知らないことを知りたい。鏡で見た制服を、本当に着てみたい。


では、領地へ戻りたい気持ちは、ただの義務感なのだろうか。


父が倒れたから。


長女だから。


家族だから。


そうすべきだと思っているだけなのか。


もし誰にも期待されていなかったら、自分は迷わず王都に残るのだろうか。


そこまで考えて、リディアは少しだけ安心した。


だったら、本当の気持ちは王都なのかもしれない。


そう思った瞬間、頭に浮かんだのは十二歳の妹だった。


ミーナ。


去年の冬、帰省したとき。


『お姉様、今度帰ってきたら、一緒に湖へ行こうね』


そう言っていた。


父が倒れたあとに届いた手紙には、


『お父様は大丈夫って言うけど、お母様はちょっと疲れてると思う』


『でも、お姉様はお仕事があるから、心配しなくていいよ』


と書いてあった。


そして最後に、小さく。


『会いたいけど』


リディアは手紙の文字を思い出した。


会いたい。


妹に。


父に。母に。


子どもの頃に走り回った森も、秋になると赤く染まる丘も、冬には凍る湖も、急にありありと思い出せた。


それも、本当だった。


「……どういうことなの」


王都に残りたい。


領地へ戻りたい。


両方、本当。


それでは何の役にも立たない、とリディアは思った。


本当の気持ちというものは、もっと一つなのではないか。


迷いを取り払ったあと、最後に残るもの。それが本音なのではないのか。


そう思って、リディアは王立図書院へ向かった。


もう一度、確かめたかった。


自分が本当にここを離れたいのか。


*


石造りの大きな建物。


高い窓の上には、銀色の鍵の紋章が掲げられている。


何度見ても、少し胸が高鳴った。


中へ入ると、研修時代の先輩がリディアに気づいた。


「リディア? 領地へ戻るんじゃなかったの?」


「その予定でした」


「でした?」


リディアは曖昧に笑う。


先輩はそれ以上聞かず、


「ちょうどいいわ。南方の古い航路記録が入ったの。好きだったでしょう?」


と言った。


「見たいです」


返事は、考えるより早かった。


古い革表紙の記録を開く。


海図。


船員の日誌。


聞いたことのない島の名前。


読めない古語が出てくれば隣の資料を探し、意味が分かればまた次のページへ進む。


そこにはまた、知らない言葉がある。


一冊。


もう一冊。


気づけば、一刻どころか二刻近く過ぎていた。


「……楽しい」


思わず、口からこぼれた。


やっぱり。


私は、ここにいたい。


帰り道の足取りは、朝より少し軽かった。


今夜、母に言おう。


領地へ戻らない。


そう決めた。


はずだった。


*


屋敷へ戻ると、玄関に小さな包みが届いていた。


「お嬢様。領地からです」


「誰から?」


「ミーナ様です」


中には、少し形の悪い焼き菓子。


その下に、妹からの手紙が入っていた。


『この前教えてもらったお菓子、ひとりで作れました』


『三個焦げました』


『でもお父様は全部食べました』


リディアは思わず笑う。


そのまま続きを読んだ。


『お姉様が帰ってきたら、今度は一緒に作りたいです』


そして、その下に。


『でも、帰ってこなくても怒らないよ』


『お仕事が好きなの知ってるから』


リディアは手紙を持ったまま、立ち尽くした。


会いたい。


今度は、それが考えるより先に出てきた。


「ナナ」


「はい」


「私、今日、図書院に行ったの」


「そうでしたか」


「すごく楽しかった。残りたいって思った」


「はい」


「でも今は、帰りたい」


ナナは特に驚かなかった。


「そうですか」


「……それだけ?」


「他に何を?」


「おかしいと思わない? 王都にいたいのも、領地へ帰りたいのも、どっちも本気なのよ」


ナナは瞬いた。


「普通、本当の気持ちって一つじゃないの?」


「なぜです?」


「……え?」


「お嬢様は本がお好きです。ご家族もお好きです。なら、両方離れたくないのは普通ではありませんか?」


リディアは黙った。


「でも、選ぶのは一つなのよ」


「はい」


「なら、気持ちだって一つにならないと」


ナナは少し首を傾げた。


「一つしか選べないことと、一つしか望んではいけないことは、別では?」


リディアは何も言えなかった。


*


その夜。


例の紙を開く。


一番上には、


『私は、どうしたい?』


と書いてある。


リディアはその下に、


『王都に残りたい。』


と書いた。


少し間を空けて、もう一行。


『領地へ帰りたい。』


二つ並べて眺める。


矛盾している。


それでも、どちらも嘘ではなかった。


リディアはしばらく紙を見つめたあと、ペンを置いた。


今日は、どちらにも線を引かなかった。

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