第26話:閉じ込められて(前編)
ダメだ……ドアがまったく動かない。(嘘だろ、そんな……僕たち、閉じ込められたのか?)
イチカに視線をやる。彼女の体が震え始めているのが見えた。
(しまっ……これじゃ彼女のトラウマを呼び起こしてしまう……イチカはまだ閉所恐怖症なんだ……彼女がパニックを起こす前に、一刻も早くここから出さないと。)
「レンジ……開けられるわよね? ただ引っかかっているだけ……でしょう?」
彼女は平静を装おうと、ひきつった笑みを浮かべた。
「あ、ああ、勿論さ。心配しないで、すぐにここを出て家に帰ろう」
(本当は全然自信がない……どうすればいいんだ? もし鍵がかかっているなら、外から施錠されたということだ。つまり、誰かが鍵をかけたんだ。)
僕は激しくドアを叩き始めた。イチカは怯えて後ずすらする。
「おい! 大きな声で……たのもー!! 誰か外にいませんか?! まだ中に人がいます、お願いです、開けてください!!」
さらに勢いよく叩く。
「役に立つと思う……本当に外に誰かいると思う……?」
「分からない……でも、もしいたとしても、もう行っちゃったかもしれないな……」
イチカは壁に背中を押し当てた。
「嫌、嫌、嫌、嫌……またなの……こんなの嘘でしょう……誰かに電話できないの?! 私、スマホを外の鞄の中に置いてきちゃったのよ!」
「あ、そうだ……やってみるよ!」
スマホを取り出す。ユキノやサキに電話すれば、絶対に誰かが助けてくれるはずだ!
「頼むから、つながってくれ……」
発信ボタンを押すが、何の反応もない。
「つながりそう……? 誰か来てくれそうなの?」
画面を見つめる。状況は良くない。
「そんな……嘘だろ……」
電波を探そうと、必死にスマホを掲げて振ってみる。ここは電波が弱すぎる……電話をかけられない!
「そんなの……どうすればいいの? 私たち、閉じ込められちゃったのよ!」
今度はイチカがドアを叩き始めた。
「誰か! 誰でもいいから! 助けて!!」
彼女の叫び声は虚しく響くだけだった。
「イチカ……みんな帰っちゃったみたいだ……」
「父さん……でも、誰かがそこにいたはずでしょう? ドアが勝手に閉まるわけないわ……」
彼女は壁に寄りかかり、情けない溜息を漏らした。
「きっと外にいたのは、また美咲よ……彼女、まだ諦めていなかったのね……」
彼女は頭を抱えて、床に崩れ落ちた。
「もう嫌……彼女はいつだって私につきまとってくる。私が二度と舞台に立てないようにしたいのよ!」
「ちょっと待って……外に誰がいたかなんて分からないよ。先生が間違えて鍵をかけてしまっただけかもしれない。美咲が僕たちの居場所を知っているとも思えないし」
サキが美咲を張り込んで得た情報を思い出す。サキのおかげで、僕は美咲のスケジュールを把握しているんだ。今の時間、美咲は放課後のダンスの練習をしているはずだ。僕たちがここにいるなんて知る由もない。
「どうしてそんなことが言い切れるの?! あの子は執念深いわ……私に復讐したがっているのよ! また演劇を始めようと、こんなに努力してきたのに……きっと私には向いていなかったのよ……もう、ここから出たいだけなのに!」
イチカが感情を抑えきれなくなっているのが分かった。用具入れに閉じ込められたこと以上に、美咲を恐れているのだろうか? やっぱり、サキの計画のことを話してあげるべきかもしれない。少なくとも、美咲がまた自分を傷つけようとしているという疑いは晴れるはずだ。
「イチカ、心配しないで。君は安全だよ。これはただの事故なんだ。誰も君を傷つけようとも、演劇を邪魔しようともしていない。実は、君に伝えておかなきゃいけないことがあるんだ」
床に座り込んだまま、彼女は僕を見上げた。その瞳には涙が浮かんでいた。
(話す前に、二人とも落ち着ける姿勢になった方がいいな。)
僕は彼女の隣に腰を下ろした。話し始めると、彼女の体が小さく震えているのが伝わってきた。
(寒いのかな? それとも恐怖で震えているんだろうか? 落ち着かせないと、過呼吸を起こしてしまうかもしれない……安心させてあげたい。)
僕は思わず手を伸ばし、イチカの肩を抱き寄せた。そっと自分の方へと引き寄せる。彼女の背中を、なだめるように優しく擦った。
「大丈夫だよ、イチカ……落ち着いて……」
「……」
彼女は一言も発さず、僕を見つめ返した。視線が交差すると、彼女の顔がぽっと赤らんでいく。
「レンジ……」
「大丈夫。君は安全だよ。僕がここにいるし、これからもずっと君を守るから。誰も君を傷つけたりさせない」
腕の中で、彼女の体が震えているのを感じる。
(可哀想に、イチカ……美咲は君を傷つけたりしないよ……これは運悪く起きた事故なんだ……)
「僕が一緒にいるんだ。大丈夫さ」
イチカは僕を見つめた。
「どうしてそんなに言い切れるの? もし二度と出られなかったら?」
「そんなことあるわけないだろ。すぐに出られるよ。美咲は遠くにいるんだから、良からぬことなんてできるはずがないよ」
「自信満々に言うのね……もし前回みたいに、明かりを消されたらどうするの?」
「ううん……実はね、僕は美咲のスケジュールを知っているんだ。だから彼女がここにいないって分かっているんだよ。彼女はダンスのレッスン中さ。僕たちがここにいることなんて知らないんだ」
「どうして……それを知っているの?」
「実は……サキが彼女を張り込んでくれていたんだ。だから彼女は稽古に来られなかったんだよ。サキは毎日、美咲が何をしているか僕に教えてくれていた。僕たちは美咲の予定に合わせてスケジュールを組んでいたんだ。そうすれば、彼女に遭遇したり、稽古を邪魔されたりする確率が減るからね」
イチカは食い入るように僕を見つめた。
「それって……あなたたち、ずっと美咲を監視していたっていうの……?」
「うん……みんなで君を守ろうとしていたんだ。このことを君に知らせたくなかったのは、悪い記憶を思い出させてしまうと思ったから……君が心配して稽古に集中できなくなったら困るでしょう? 君に最高の演技をしてほしかったんだ! 僕たちはみんな……君を守ろうとしていたんだよ。今だって……」
「それって……ずっと……私のことを考えてくれていたってこと……?」
「そうだよ。イチカのことが大切なんだ。そして、今度こそ君に舞台に立ってほしい。前は僕がその機会を奪ってしまったけれど、今回は絶対にそんなことさせない」
「ううん……」
彼女は僕にしがみつき、胸に頭を預けてきた。
「あなたが奪ったんじゃないわ。あなたが私を救ってくれたの。責めたりしてごめんなさい……すごく怖くて……でも今は……あなたと一緒にいると、すごく安心する……」
彼女は僕の腰に腕を回した。
「イチカ……」
「いつも私を守ってくれて、ありがとう……」
彼女は僕の胸に頭をつけたまま、静かにしていた。
「ねえ、レンジ? 約束して……これからも私のそばにいてくれる? 私たちが子供だった頃みたいに」
「うん……もちろんだよ……子供の頃みたいに……イチカ、僕はいつだって君の味方だよ」
僕たちはしばらくの間、無言で座っていた。それぞれの思いに耽り、お互いの存在に夢中になっていた。イチカをこうして慰められるのなら、閉じ込められていることなんて、どうでもよく思えてきた。
時間が過ぎても、誰もやって来ない。
「もう遅いな……みんな家に帰っちゃっただろうね。朝になるまでここで待つしかなさそうだ……」
イチカは静かなままだった。本当に落ち着いたのか、それとも平静を装っているだけなのかは分からない。
「ねえ、イチカ……ひとつ聞いてもいいかい?」
「ええ、何かしら?」
彼女は澄んだ瞳で僕を見つめた。すっかり落ち着きを取り戻したようだ。
「どうして……本当は演劇部に入ってくれたのかなと思って。あんなに頑なに断り続けていたのに……」
「あら……話したと思っていたけれど。あの野球場の日、あなたが私を助けに走ってきてくれたでしょう……すごく勇敢で格好いいって思ったの。ただ、そのお返しがしたかっただけよ……」
「うん、父さん……でも、その後だって……美咲が学校に戻ってきたのを知った後でも、君は僕たちと一緒にいてくれた。過去の嫌な思い出が蘇って、また去ってしまうんじゃないかって心配だったんだ……」
イチカは静かに視線を落とした。
「いいわ……本当のことを話すわね……教室で私を見つけたときのこと、覚えている? あなたが美咲と話した後の……」
「あ……あの時か……」
気まずい瞬間を思い出し、体がこわばる。
「ごめんなさい……嘘をついていたの。何も聞いていないって言ったけれど、本当は……会話を全部聞いていたの」
「あ……そっか……」
恥ずかしくなって、気まずそうに視線を逸らした。
「レンジ……私のために、本気で彼女に立ち向かってくれたんでしょう?」
「まあ、うん、勿論だよ……君は僕の友達だし……彼女は君を傷つけたんだから」
「そうよね……私が近くにいないときでさえ……私のことを考えてくれていたのね」
彼女は顔を背け、頬を染めた。
「すごく……胸が熱くなったわ。ありがとう」
「イチカ……どういたしましてさ」
「でも、まだひとつ分からないことがあるの……あの日、私を守るって何度も言っていたけれど……一体何から私を守ろうとしていたの? どうして私をあの用具入れに押し込めたの?」
僕は焦り、周囲を見回した。美咲が彼女に危害を加えようとしていたことなんて、イチカには話したことがなかった。怖がらせたくなかったからだ。でも、もう知っておくべきかもしれない。
「実は……美咲が君に直接容赦ないことをするんじゃないかって、恐ろしかったんだ」
「実は……美咲が君に直接容赦ないことをするんじゃないかって、恐ろしかったんだ」
「……え……?」




