十八話「全力全開の一途な嫁 」
それは、ある日の放課後のことだった。
いつものように派出所に顔を出していた梨紗の前で、ちょうどパトロールから戻ってきた響が、嬉しそうに一つの紙箱を机の上に置いた。
「あ、梨紗ちゃんも一個どう?駅の近くに最近できた和菓子屋なんだけどさ、今すごい人気らしくて並んで買ってきちゃった」
「わぁ、ありがとうございます」
箱を開けると、中には品良く作られた色鮮やかな大福や練り切りが並んでいる。
楽しそうに選ぶ梨紗の横で、誠はただその様子を眺めていた。
誠は普段、甘いものに対して自ら進んで手を伸ばすタイプではない。
しかし、響に「お前も一つ食えよ」と促され、何気なく豆大福を一つ手に取って口へと運んだ。
もぐもぐと咀嚼した誠は、ふっと少しだけ表情を緩め、本当に何気ない様子で呟いた。
「……美味いな」
その瞬間、梨紗の身体が完全にフリーズした。
誠が食べ物に対して、しかも甘い物にお世辞抜きで素直に「美味い」と言葉にするのは、極めて珍しいことだった。
当の誠は、自分の言葉がどれほどの破壊力を持っていたかなど気づきもせず書類に目を戻してしまったが、梨紗の脳内にはすでに特大のスイッチが入っていた。
翌日の放課後。
梨紗の姿は、響が口にしていた例の新しい和菓子屋の前にあった。
お洒落な暖簾をくぐり、穏やかな声で出迎えてくれた女将を横切り、梨紗はまっすぐにガラス張りの作業スペースで和菓子を作る職人へと向かった。
そして店内に響き渡るような声で、勢いよく頭を下げた。
「あのっ!私をこちらで弟子にしてください!」
「……は?」
ガラス越しで作業していた強面の職人は、突然やってきた女子高生の突拍子もない台詞に、餅を握ったまま完全に呆気にとられてしまった。
あまりの剣幕にカウンターにいた女将さんも目を丸くしている。
職人は職人気質の難しい顔を崩さないまま、低く太い声で梨紗を問い詰めた。
「おいおい、お嬢ちゃん。冷やかしなら帰んな。うちは遊びで菓子を作ってんじゃねえんだぞ。大体、なんでまた急にうちで修行なんて言いはじめたんだ」
理由は、もちろん一つしかなかった。
梨紗は真っ直ぐに職人を見据え、拳を握りしめて胸を張った。
「まこちゃんが、ここのお菓子を美味しいって言ったからです!」
「まこちゃんって誰だ」
「私の世界一素敵な旦那様です!」
あまりにも迷いのない、堂々とした惚気混じりの返答だった。
その規格外すぎる突飛な理由と一途な熱意に、職人は一瞬だけ言葉を失い、それから隣にいた女将さんと顔を見合わせて堪えきれずにドッと吹き出した。
「あっはは!旦那様だってさ!面白い子だねぇ、あんた!」
「いえ本当に旦那です」
「最近の子は結婚が早いねぇ!」
目に涙を浮かべながら大爆笑する女将。
すっかり梨紗の真っ直ぐなキャラクターが気に入られてしまい、職人への弟子入りを口添えしてくれた。
職人もしばし考えてから…
「根性があるなら、放課後の数時間だけ手伝ってみるか」
「はい!お願いします!」
こうして梨紗の和菓子修行が突如としてスタートした。
◇
数日後の昼下がり。
パトカーで地域を巡回していた誠と響は、最近評判の和菓子屋の前を通りかかった。
「あ、ここ、この前俺が差し入れた店ね。今日も繁盛してるわ」
信号待ちで停止すると同時に、響が世間話のついでに店のガラス窓を指差した、その時だった。
そのお店には、職人の鮮やかな手さばきを外を行き交う人々に見せるための、見通しの良いガラス張りの作業スペースが設けられていた。
今も多くの買い物客がそのガラス越しに中の様子を覗き込んでいたのだが、その特設スペースの中で白い白衣と帽子を身につけて、職人の横で必死に餡子を丸めている小柄な弟子の姿があった。
見覚えのあるミルクティー色の髪と顔に、誠と響は同時に固まった。
響は自分の目を疑うように何度も瞬きをし、それから引きつった声を上げた。
「ちょっと待って。なにやってんのあの子!?」
「……」
誠は無言のままシートベルトを外し、パトカーから降りると早足で和菓子店の自動ドアをくぐった。
突然入ってきた警察官の姿に店内の客が少しざわつく中、誠は作業場の仕切りの前まで進み、鋭い視線をその小さな背中に突き刺した。
「梨紗」
「あ、まこちゃん!」
自分の名前を呼ばれて振り返った梨紗は、誠の姿を見るなり、白い粉のついた手で嬉しそうに微笑んだ。
「何してるんだ」
「和菓子作ってるの」
「見ればわかる。なぜここにいるのか聞いているんだ」
「ここの和菓子、美味しいって言ってたから」
「……」
あまりにも当然のように返され、誠は次の言葉を失った。
梨紗は自分の手のひらの上の綺麗な大福を見つめながら、一転の曇りもない笑顔で言葉を続けた。
「私も作れたら、いつでも美味しいの振る舞えると思って」
「……」
誠は、完全に言葉を失ってしまった。
静まり返る空間の背後で、パトカーを停めた追いかけてきた響がそのやり取りに腹を抱えて大爆笑し始める。
その笑い声に誘われるように、作業スペースから出てきた強面の職人が、誠の制服姿を見てガハハと豪快に笑った。
「おう、アンタが噂の旦那か!!いつもこいつから話だけは聞いてるぜ。大したご馳走さんだな!」
職人の言葉に誠は耳たぶを微かに赤くしながら、ただ黙って帽子を深く被り直すことしかできなかった。
誠は、自分の梨紗に対する感情が重くなっている自覚は微かにあった。
しかし梨紗という少女は、誠の重い感情よりも、想像を遥かに超える全力全開の一途な「嫁」なのである。
END
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