表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
14/21

十四話「 雨の日の仲直り 」

日曜日の心地よい朝。

キッチンで誠のために淹れる特別な珈琲の香りを漂わせながら、梨紗はリビングのテーブルの上に整然と並べられた四冊の冊子を見つめ、満足そうにふふんと鼻を鳴らして頷いた。

綺麗に製本されたその表紙を飾っているのは、すべて警察官の制服を着て仕事に励む誠の姿。


そう、これこそが梨紗による、梨紗のためだけの、梨紗しか見ることが許されない至高の宝物

【城島誠・非公式写真集】なのである。


当然ながら、どこを捲っても被写体は誠、誠、誠。

休日に見せる無防備な私服姿。

凛々しい仕事姿。

ソファーで微かに睫毛を揺らす貴重な寝顔。

眉間に皺を寄せて難しい顔をしている読書中の姿。

ふとした瞬間の何気ない横顔。


梨紗がこれまで、彼の隣にいる長い年月の中で密かに撮り溜めてきた膨大な写真の中から、血の滲むような厳選を重ね、自宅のプリンターを限界まで酷使してインクを消費し、魂を込めて作り上げた涙と愛の力作だった。


「むふふ、むふふふふ……」

一冊目を開く、とても良い、最高作だ。

二冊目を開く、光の加減も誠の角度も完璧。え、待って、これ神作じゃない?

三冊目、西日に照らされた誠の目元が最高にセクシーだ。ベストショット!過去の記録が秒で上書きされた!

四冊目、もうダメだ。私の語彙力が推しの尊さに追いつかない。好き、大好き、大気圏突破して好き!!


「しあわせ♡」

これはもう家宝であり、永久保存版として末代まで語り継ぐレベルである。

両手で頬を包み込み、うっとりと至福の表情で画集を眺める梨紗。

しかし、天国のような幸福な時間は、そう長くは続かなかった。


「梨紗」

不意に、背後の廊下から低くよく響く声が聞こえ、梨紗の肩がビクッと跳ね上がった。

心臓をバクバクさせながら恐る恐る振り返れば、そこにはまだ起きてくる時間ではないはずの誠が怪訝そうな顔をして立っていた。


そして、彼の鋭い視線は、テーブルの上に大々的に広げられた【城島誠画集】へと真っ直ぐに向けられている。

まさかの本人の登場という最悪のタイミングに、梨紗は完全に思考を奪われ、石のように硬直してしまった。

誠はそんな梨紗を横目に、無言のままテーブルへと歩み寄ると、画集を一冊、大きな手でひょいと手に取った。


パラリ……パラリ……。

静まり返ったリビングに、ページを捲る音だけが虚しく響く。

誠が自分の写真を見つめるたびに、梨紗の顔から見る見るうちに血の気が引いていく。


一通り目を通し終えた誠は、静かにパタンと本を閉じ、表情を一切変えないまま冷徹に告げた。

「……捨てろ」

「や、やだ!」

「捨てろ」

「絶対にやだ!」

「捨てろ」

「やだーーー!!」

梨紗は弾かれたように動くと、誠の手から画集を奪い取るようにして、まとめて腕の中へときゅっと隠した。

まるで自分の命綱か何かのように、涙目で必死に胸へ抱きしめている。

「捨てない!」

「捨てろ」

「いやー!」

「捨てろ」「嫌だ」の押し問答が延々と続き、お互いに一歩も引かない。

これ以上ここにいても話し合いになるはずもなく、梨紗は画集を腕に抱えたまま、自室へと脱兎のごとく逃亡した。


バタン!!と勢いよく扉を閉め、ガチャリと内鍵までかけて完全防御の姿勢をとる。

立て籠もった部屋の扉の向こうから、誠の「はぁ……」という深い、呆れ果てたため息が聞こえてきた。



「……行ってくる」

それからしばらくして、仕事の時間が迫ったのだろう。

誠の重い足音が玄関へと遠ざかっていく。

やがてカチャリとドアが閉まる音がして、家の中はしんと静まり返った。

一人きりになった部屋の中で、梨紗はベッドの上に座り込み、今もきゅっと抱き締めていた誠画集を見下ろした。


お気に入りの宝物は守り切った。

そう思った直後、押し寄せてきた罪悪感で胸の奥がチクチクと少しだけ痛んだ。


「……私、ひどい態度とっちゃったな」

誠は明らかに困惑し、怒っていた。

当たり前だ。

本人の許可を一切取らず、勝手に無断で大量の写真を集めてプライベートな画集なんて作ったのだから、プライバシーの侵害と言われても文句は言えない。


いや、でも誠に「まこちゃんの写真集作っていい?」なんて事前に聞いたところで、絶対に「駄目だ」と即答されるに決まっている。


だから本人に無断でこっそり製本したのだけれど。

自分の部屋で密かに一人で楽しめば良かったのに、リビングで大々的に広げてニヤニヤしていた梨紗が全面的に悪いのだ。


「……まこちゃん、ごめんなさい……」

ベッドに顔を埋め、小さな声で謝ってみる。

でもどれだけ反省しても、あの愛の結晶である画集を捨てることだけは、梨紗の辞書には存在しなかった。


自己嫌悪とオタクとしての欲望の板挟みにあい、ひとしきりベッドの上でゴロゴロと悶えて泣いている内に、梨紗はいつの間にか疲れて眠ってしまっていた。




「……ん?」

窓を激しく叩く叩きつけるような雨音に、梨紗の意識がゆっくりと浮上した。

重い瞼を開け窓の外に視線を向ければ、つい数時間前までの晴天が嘘のように、視界が白く煙るほどの土砂降りの雨が降っていた。

その絶望的な光景を見た瞬間、梨紗は心臓を跳ね上げ、ベッドから飛び起きた。


「うそ!どうしよう!」

朝の天気予報では、一日中秋晴れで傘の心配はないと言っていた。

けれど、梨紗は気圧のせいか「何となく、今日は雨が降るかもしれない」と予感していたのだ。

だから本当は誠が仕事へ向かう時に、折りたたみ傘を持たせてあげるつもりだった。

それなのに、自分が朝の喧嘩のせいで部屋に立て籠ってしまったから、誠に傘を渡していない。

彼は今頃、あの制服のまま雨に濡れているかもしれないのだ。

梨紗は居ても立ってもいられなくなり、玄関へ走ると2本の傘を引っ掴み、土砂降りの雨の中へと勢いよく走りだした。


その頃、派出所の中では、手持ち無沙汰な響が腕を組んで窓の外の豪雨を眺めていた。


「いやぁ、すごい雨だねぇ。予報は大外れだ」

「あぁ、そうだな」

デスクで書類を整理していた誠が、短く同意する。

今日は幸いにも大きな事件や事故もなく、地域は平和そのものだった。

おかげで巡査長から「残務もないし、今日の分の仕事は終わりでいいよ。もう上がっていいからね」と、少し早めの退勤を許可された。

早く帰れるのはありがたいのだが、問題は今、外を白く染めているこのゲリラ豪雨をどう切り抜けるか、だ。


「タクシーでも呼ぶ?それとも少し雨宿りしていく?」

響が顎をさすりながら誠に相談している最中、同じくシフトを終えて私服に着替えた仕事終わりの婦警が二人、ビニール傘を手にしながら近付いてきた。


「四月一日さんに城島巡査、もう上がりですか?良かったら、私達の傘に入っていきます?」

「お、いいねぇ。じゃあそうさせてもらおうか?」

婦警二人がお茶目に傘を広げて見せてくるので、響は嬉しそうに誠の顔を伺ったが、誠はピクリとも表情を変えないまま、静かに首を横に振った。


「いや、俺はいい……迎えが来た」

「え?」

響が「誰が?」と問いかけるよりも早く、誠は迷いのない足取りでそのまま派出所の入り口へと向かった。


「梨紗」

ガラス戸を開けた誠の視線の先、派出所の軒下の一角で、土砂降りの雨の中、一人の少女が大きな傘を差して小さく俯いていた。

実は、梨紗はもっと前からここへ到着していたのだ。

だけど朝の画集の一件が気まずすぎて、どうしても中に入って誠を呼び出す勇気が出ず、外でうじうじと雨宿りをしながらタイミングを計っていたのである。


「……っ、まこちゃん」

下を向いていた梨紗は、自分の気配に正確に気づいていた誠に驚いて顔を上げた。

だが誠は特に気にした様子もなく、一度派出所内へと振り返った。


「迎えが来たから問題ない。お先です」

響や目を丸くしている婦警たちへそう短く告げ、それから再び梨紗へと視線を戻した。

「着替えてくる。そこで待ってろ」

「あ、え、あの……」

冷たい声音ではあったけれど、そこに明確な拒絶がないことにホッと胸を撫で下ろし、梨紗は大人しく彼の言葉に従って、傘を握りしめて待つことにした。


数分後、スーツに着替えて戻ってきた誠と共に、二人は一つの傘の下に収まって帰路についていた。

ほんとは、誠の分の傘もちゃんと持ってきていたのだけれど、派出所を出る際、誠が梨紗が持ってきたもう一本の傘を響に有無を言わさず手渡してしまったのだ。


おかげで、必然的に梨紗は誠の大きな身体と一つの傘を分け合う“相合い傘”の状態で、狭い空間を並んで歩くことになっていた。


「……どうして来た」

雨音に混じって、不意に誠の低い声が頭上から降ってきた。梨紗は不思議そうに首を傾げる。

だって、自分にとっては逆にここに来ないという選択肢がわからない。


「だって、こんなに酷い雨だよ? まこちゃん傘持ってなかったし……」

「多少濡れたくらいで、風邪なんかひかん」

梨紗は小さく首を横に振り、傘を差している誠のスーツの袖をキュッと小さな手で引っ張った。

「やだ。私は、まこちゃんを少しだって濡れさせたくなかったの」

「……」

誠は何も言わなくなった。

ザーザーと激しく地面を叩く雨音だけが、二人の間に心地よく落ちていく。

やがて、梨紗は朝の自分の我が儘を思い出し、小さく頭を下げた。


「……朝は、ごめんなさい。私、ひどい態度とっちゃった」

誠からの返答はない。

けれど、朝のようなピリついた、呆れた雰囲気はもう感じられなかった。

梨紗はチラリと彼の横顔を盗み見ながら、消え入りそうな声で交渉を試みる。


「……あの画集、捨てることはどうしてもできないけど」

「……」

「その代わり、これからはこれ以上、冊数を増やさないよう、作らないように努力するから……っ」

「努力じゃない。そこは断て」

そこは捨てて欲しかった、というのが誠の本音なのだろう。だがどこまでも自分に対して正直で、必死に画集を守ろうとする梨紗に誠はついに観念したように深く息を吐き出した。


「……画集なんか眺めなくても、本人が毎日目の前にいるんだから、それで我慢しろ」

ポツリと、何気なく零された誠の一言。

だが、その言葉の持つ意味を脳内で処理した瞬間、梨紗はピタリと足を止めた。

顔を真っ赤に染めながら、隣の誠を見上げる。


「……まこちゃん、それって、もしかしてヤキモチ?」

「違う」

誠は前を向いたまま、早足で歩き出す。

「ヤキモチだよね?ね!?」

「違うと言っている」

「写真ばっかり見てないで、俺を見ろってことでしょ?」

「……うるさい。違う」

誠の耳たぶが、ほんのりと赤くなっているのを見逃さなかった。

梨紗の口元が少しずつ、嬉しさでフニャリと緩んでいく。

胸の奥から溢れ出す愛おしさと衝動を抑えきれず、梨紗は誠の逞しい腕へとギュッと抱きついた。


誠は少しだけため息を吐いたけれど、梨紗の身体を振り払うようなことは決してせず、ただ彼女が濡れないように、そっと傘を梨紗の側へと大きく傾けながら、真っ直ぐ前を向いて歩いた。

その、不器用で、誰よりも優しい横顔を見つめながら、梨紗は小さく、幸せそうに笑う。


大喧嘩をしたはずなのに、気付けばいつの間にか、世界で一番温かい、いつも通りの二人に戻っていて。

白く煙る激しい雨音の中、二人はぴったりと身体を寄せ合い、並んで温かい我が家へと家路を辿る。


二人を包む小さな空間に、傘は、たった一つで十分だった。





END

***♡***

最期までお読みいただきありがとうございました。


梨紗と誠の日常を今後も応援していただけるのでしたら、いいねや下の⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎(全部入れると10pt)で評価していただけると、いろんな方に読んでいただけるようになるのですごく嬉しいです。

※pixivにて小説の一部エピソードを漫画・イラストを公開しています。

どのシーンなのかはお楽しみに°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ