十三話「 犯人は電信柱です 」
「あーあ、なんか面白いことでも起きないかねぇ……」
昼下がりの穏やかな光が差し込む街並みの中、自転車に乗って地域を巡回中だった響は、のんびりとペダルを漕ぎながらそんなことを思案していた。
今日も担当地域はいたって平和そのもの。
事件や事故がないのは警察官として非常に喜ばしいことなのだが、退屈に弱い響としては、少しばかり刺激が恋しくなるのも本音だった。
そんなことを考えながら角を曲がった時、響の視界の前方に、見覚えのある制服姿の少女の背中が飛び込んできた。
誠の嫁、梨紗である。
相変わらず楽しそうに歩く彼女を見つけ、響は後ろから声をかけようと口を開きかけた。
しかし、その直後だった。
何もない平坦な道で、梨紗が絵に描いたように激しくつまづいた。
響が声を漏らす暇すら与えず、前方にバランスを崩した梨紗の身体は、そのままの勢いで道の脇に立つ一本の電信柱へと真っ直ぐに吸い込まれていった。
ゴッ!!!
静かな住宅街に、鈍く大きな音が響き渡る。
梨紗の身体が、見事な角度で電信柱に正面衝突した。
「ぶふっ!?いや、ちょっと、梨紗ちゃん!?」
響はあまりに衝撃的すぎる自爆現場を目撃し、吹き出しそうになるのを必死に堪えながら、大慌てで自転車を乗り捨てて彼女の元へと駆け寄った。
「大丈夫か!?」と声をかけて助けるものの、今時電信柱にぶつかる子がいるという事実が可笑しくてたまらない。
心配しつつも、響の口元はニマニマとした笑みがどうしても止まらなかった。
その後歩くのもフラフラな梨紗を連れて、近くの派出所へと戻った。
梨紗としては、こんなマヌケな理由で怪我をした姿を誠に見られたくなかったが巡回中の響に見つかってしまったため、避ける間もなく派出所の休憩室で婦警から手当てを受けることになってしまった。
しばらくして、手当てを終えた梨紗がロビーに戻ってきた。
その姿を見た瞬間、それまで必死に笑いを耐えていた響の我慢が限界を迎えた。
梨紗の右頬には、これでもかと言わんばかりに存在感を放つ、大きな四角いガーゼがペッタリと貼り付けられていたのだ。
「ぶ、はははははははっ!!!!!いや、ごめん、あははははっ!!!だめだ、ひぃーっ!!!」
「笑いすぎですっ!!!!」
涙を流しながら爆笑する響に、梨紗は顔を真っ赤にしてぷんすかと怒るけども、響の笑いは止まらない。
「ごめんごめん、いや、本当に悪かったって……っ!」
響は目元に浮かんだ涙を指で拭いながら、なんとか呼吸を整えて謝罪する。
「いやー……でもさぁ、綺麗にぶつかったよね。躓いて電柱に激激突するなんてさ」
思い出すだけで再びおかしくなった響は、お腹を抱えてまた噴き出し始めた。
恥ずかしさと怒りが頂点に達した梨紗は、笑い転げる響の肩や背中をベシベシと無言で殴った。
「痛っ、ごめんってば!」
響は慌てて謝りつつ、梨紗の怒りを鎮めるために強引に話をすり替えることにした。
「でも痕にならなくてよかったね。女の子の顔なんだからさ、数日で綺麗に治るみたいだし」
「それはそうですけど……」
「まぁ、これがもし大怪我だったら、誠が知ったらそれこそたいへ――」
「何が大変なんだ」
響が言葉を言いかけたと同時に、派出所のドアが開き、誠が室内に一歩を踏み込んできた。
誠も巡回を済ませて戻ってきたのだろう。
だが、彼の足が止まった瞬間、派出所内の空気が一瞬にして凍りついた。
誠の周囲から、凄まじい圧が放たれている。
「ま、ことさん……?」
あまりにもタイミングが悪すぎる登場に、響の顔から見る見るうちに血の気が引き、声が引きつった。
しかし、そんな誠の放つ重苦しい空気など気に留めない梨紗は、誠の姿を見つけた嬉しさから一気に表情を輝かせた。
「あ、まこちゃん♡」
誠の姿を見つけて嬉しそうに近寄ろうとした梨紗だったが、その足を止める声が響いた。
「……誰がやった」
低く、地を這うような声が派出所内に響きわたる。
誠の鋭い視線は、梨紗の右頬を覆う大きなガーゼへと真っ直ぐに突き刺さっていた。
その瞳の奥には、冷ややかな怒りの炎がハッキリと灯っていた。
「ひえっ……」
誠の放った本物の殺気を前に、響と梨紗は同時に青褪めた。
響は恐怖にガタガタと震え、梨紗は梨紗で、なぜ誠がここまで怒っているのか、そして「誰がやった?」という言葉の意味が理解できなかった。
何故なら、この怪我の理由は誰かにやられたわけでもなく。
ただの自分の自爆だからだ。
誰も答えない空間に、誠はさらに一歩歩み寄り、梨紗の名を呼んだ。
「梨紗」
「え、あ……う、えっとね……電信柱……です……」
誠の気迫に圧倒されながら、梨紗は言葉を詰まらせて答えた。
「……電信柱?」
「う、うん。電信柱」
「……」
「……」
張り詰めていた空気が、一瞬にして静止した。
誠は数秒間、完全に無表情のままフリーズし、それから、自分の勘違いと梨紗のドジっぷりをすべて理解した。
誠は深くため息を吐き出すと、周囲に展開していた恐ろしい殺気を綺麗にしまい込んだ。
そして少しだけ呆れたような目を梨紗に向けると、大きな手を伸ばして、彼女の頭を撫で回した。
「……次から前をよく見ろ」
「う、うん……!ごめんなさい……へへ、まこちゃんの手、あったかい♡」
さっきまでの恐怖はどこへやら、誠から頭を撫でられた梨紗はそれだけで嬉しさが全開になり、ふにゃりと頬を緩めた。
一方、誠の背後で命拾いをした響は、額から流れる大量の冷や汗を拭いながら、心の中で安堵の息を吐き出すのだった。
END
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