表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
12/21

十二話「 サプライズミッション 」

「うーん……どうしよう……」

放課後の柔らかな夕暮れ時。

地元の小さな公園のベンチに腰を下ろした梨紗は、手の中のスマートフォンの画面を食い入るように見つめながら、深いため息をもらしていた。


液晶画面に映し出されているのは、シックなデザインが施された、とあるブランドの腕時計の写真だ。


「やっぱり、すごく格好いいなぁ……」

時計の画像を見つめながら、梨紗の記憶は数日前のデートのひとコマへと遡る。

お気に入りのショッピングモールを二人で歩いていた際、時計専門店のショーケースの前で、誠が本当に珍しくピタリと足を止めたのだ。

普段から物欲というものを一切見せず、身の回りのものにも無頓着な彼が、ガラスの向こうにあるその腕時計を、静かに、どこか惹かれるように見つめていた。


『変わったデザインの時計だな、と思っただけだ』

梨紗の視線に気づいた誠は、すぐにいつもの無表情に戻ってその場を離れてしまったけれど、隣にいた梨紗の目は誤魔化せない。

彼女は誠が目を留めた瞬間に、その下に添えられていた小さな値札を絶対に、確実に見逃さなかった。


【メーカー希望小売価格:¥82,000】


「む、むりぃ……」

ベンチの上で、梨紗はがっくりと肩を落とした。

お小遣いでやりくりしている普通の女子高校生にとって、8万円を超える金額はあまりにも重く、現実味のない大金だ。

普通なら、ここで諦めてしまうところだろう。

だがしかし、誠を愛してやまない梨紗のパッションは、そこで大人しく引き下がるようなものではなかった。


(でもあの腕時計、絶対にまこちゃんの逞しい手首に似合ってた!!)

脳内にはすでにあのシックな腕時計を身につけ、制服の袖を少し捲り上げてハンドルを握る誠の姿が高解像度のイラストのようにハッキリと描かれている。

あまりの格好良さに、想像だけで梨紗の胸の鼓動が激しく跳ね上がった。


「よし、バイトするぞ……!!」

すべては愛するダーリンのため!

そして何より、それを身につけた彼の姿を一番近くで拝むという、自分自身の最高の眼福のため!!


公園のベンチで一人、梨紗は拳をきゅっと握りしめて固い決意を固めた。

だが、この“サプライズミッション”を遂行するにあたって、最大の障壁となるのは他でもない誠自身だった。

まだ高校生の梨紗が突然「アルバイトをしたい」などと言い出せば、過保護で生真面目な誠のことだ、間違いなくその理由を根掘り葉掘り聞いてくるに違いない。


普段の梨紗であれば、誠に隠し事なんてできるはずもなく、嬉々として正直に理由を白状していただろう。

誠に対して嘘をつくなんて、梨紗の心が耐えられないからだ。

でもこれは誠へのサプライズであり、自身の眼福のための極秘任務なのだ。


梨紗は「これは良い嘘、優しい嘘だから!」と、胸の中にチクリと沸き起こる罪悪感から必死に目を逸らしながら、スマートフォンの求人アプリを勢いよくタップした。




行動に移してからの梨紗は早かった。

翌日の放課後には、自宅や誠の勤務先からあえて2駅ほど離れた場所にある、古びた、けれど温かみのある定食屋へとこそこそ向かい面接を受けた。

幸いなことに、お店を切り盛りする年配の店主も女将さんもとても 穏やかで良い人たちで、夕方の忙しい時間帯だけ働きたいという学生の梨紗をその場ですぐに快く雇ってくれた。

もちろん誠へのアリバイ作りも抜かりはない。

彼には事前に“少しの間、友達と学校の図書室で次の定期試験の対策をしていくから、帰りが少し遅くなる”と。


「まこちゃんへのサプライズを成功させる……!」


そして迎えた、初めての出勤日。

大将と女将さんの二人だけで経営している、地域に根差した小さな定食屋。

だけど、その家庭的な味は地元で非常に人気が高く、梨紗がお店に入った時間帯には、昼の部が終わったばかりだというのに夜の部の仕込みで大忙し、開店すれば客足が途絶えることはなかった。


「最近は歳をとったせいか、夫婦二人じゃ中々注文が捌ききれなくてねぇ。梨紗ちゃんが来てくれて本当に助かるわ」

そう言って優しく穏やかに笑う女将さんの言葉に、緊張していた梨紗の心はすっと安堵に包まれる。

手際よく注文をとって、出来立ての温かい料理を運び、空いたお皿の下げ物をする。

覚えることや動くことがたくさんあって目が回りそうだったけれど、大将も女将さんも失敗した梨紗を叱るどころか優しくフォローしてくれて、気がつけば時計の針はあっという間に21時30分を指していた。


梨紗は18歳になるとはいえ、戸籍上も身分上も、まだ法律で守られるべき現役の高校生だ。

そのため、労働基準法によって22時以降の夜間労働は厳しく禁止されている。

お店の閉店時間は22時。

どうしても最後の片付けを中途半端に残したまま、先に上がらなければならない。

梨紗はそれが酷く申し訳なくて、エプロンを外しながら「お役に立てずすみません」と、二人に何度も律儀に頭を下げた。

どこまでも真っ直ぐで誠実な仕事ぶりに、大将も女将さんもすっかり梨紗に対して我が子のような好印象を抱いていた。

ちなみに、この夫婦の間にはすでに独立した息子はいるのだが、娘はいない。

こんなに素直で可愛い子が、いつかうちの息子のお嫁さんにでも来てくれないかしら、と帰り支度を整えてカバンを持った梨紗に、女将は世間話のつもりで微笑みながら問いかけた。


「そういえば梨紗ちゃんって彼氏さんとかいるの?」

「あ、はい。旦那がいます」

「あらそうなの、旦那さんが……って、だ、旦那さん!?」

彼氏ではなく、旦那。

あまりにも聞き馴染みのない単語に、女将さんは自分の聞き間違いかと思い、目を丸くして今一度梨紗の顔を覗き込んだ。

だが梨紗は不思議そうに小首を傾げながら、当然のことのように「はい、旦那がいます」と満面の笑みで告げた。


「……最近の若い子は随分と展開が早ぇなぁ……」

厨房の奥から様子を伺っていた大将の、呆気にとられたような呟きが聞こえてくる。

梨紗は自分が世間一般の「高校生」の枠組みから少し外れた生活をしている自覚が薄いため、ただ可愛らしく首を傾げるだけだった。




その後、梨紗の言葉に興味津々になった女将さんから「旦那さんはどんな人なの?」「なんのお仕事をしてるの?」と質問攻めに遭ってしまい、誠の格好良さをノリノリで語り散らした結果、気づけば電車の時間がギリギリに迫っていた。

梨紗は慌ててお店を飛び出し、夜の駅までの道を、これまでの人生での自己ベストを確実に更新するレベルの猛ダッシュで駆け抜ける羽目になった。


「はぁ、はぁ……ふーッ…ただいまぁ」

汗を拭い、息を整えてからリビングのドアを開ける。

「おかえり」

ソファーに座り、いつもと変わらない低い声で誠が梨紗を出迎えた。

部屋の空気も、彼の様子も何もかもがいつも通りだ。


「勉強はどうだった。捗ったか」

「う、うん…すごくじゅ、順調」

向けられた誠の真っ直ぐな瞳に、嘘を吐く罪悪感から梨紗の胸が少しだけ痛み、視線が斜め下へと外れてしまう。

だが誠はそれ以上深く追及してくる様子もなく、「そうか」と短く応じて手元の新聞に目を戻した。


(す、すごい!私、まこちゃん相手にちゃんと隠し通せてる……!)

誠の様子を見て、梨紗は内心で派手なガッツポーズを炸裂させていた。

これまで誠に対して隠し事なんてほとんどしたことがなかったからこそ、この「完全犯罪」の成立が余計に嬉しかった。

あの8万2千円の時計までの道のりは、まだまだ遠くて険しいけれど。

胸にチクリと刺さる罪悪感を心の奥にそっとしまい込み、あの時計をサプライズでプレゼントする輝かしい瞬間を想像して、梨紗は自室のベッドの上で一人、にまにまと怪しい笑みを浮かべるのだった。


その頃、リビングでは梨紗が去った後の静寂の中で新聞を読んでいた誠が、一切表情を変えないまま静かにページを捲っていた。




翌日、学校の授業中であるにも関わらず梨紗は一日中、ご機嫌なオーラを周囲に振りまいていた。

昨日の初勤務はトラブルもなく無事に終了したし、何よりあの鋭い警察官である誠に、アルバイトの事実が1ミリも気付かれていないという実績が、梨紗の根拠のない自信を後押ししていた。

誠への隠し事なんて初めてに近いから、少しだけ後ろめたい気持ちはあるけれど。


「これはサプライズだからギリセーフ…」

客観的に見てどこがどうセーフなのかは全く判定できないのだが、恋する乙女である梨紗は本気でそう思い込んでいた。

放課後を告げるチャイムが鳴ると、梨紗はカバンを掴み、昨日よりもさらに足取り軽く2駅先の勤務先である定食屋へと向かった。


「こんにちはー」

「おう、梨紗ちゃんいらっしゃい。今日もよろしくな」

大将と女将さんの温かい笑顔に迎えられ、梨紗は学校の制服から動きやすいお店の仕事服へと素早く着替える。

アルバイト2日目ともなると、仕事の流れにも少しだけ心の余裕が出てきて、注文の合間のちょっとした隙間時間に、二人と他愛のない雑談を交わす余裕も生まれていた。


「そういえばね、梨紗ちゃん。どうして急にアルバイトをはじめようと思ったの? 何か欲しいものでもあるのかい?」

「へ? あ、実は……」

女将さんに無邪気に尋ねられ、梨紗は少し頬を染めた。お店の人たちに今更隠すようなことでもないので、旦那にどうしてもプレゼントしたい腕時計があることを照れながら話した。

するとカウンターの奥で、その話を盗み聞きしていた大将が、包丁を持ったまま大粒の涙をボロボロと流し、「なんて良い嫁なんだ!俺は全面的に梨紗ちゃんを応援するからな!」と感動し、お土産用にとお店自慢の特製餃子をどっさりとパックに包んでくれた。


もの凄く嬉しかったが、お土産を家に持って帰れば一発で誠に怪しまれてバレてしまうため、謹んで辞退した。

そんな他愛もない、温かい会話をしながら時間はあっという間に過ぎていき、気づけば今日も退勤の時間になっていた。


「ゴミ出し、してきまーす」

後片付けを始めている二人に声をかけ、梨紗は大きなゴミ袋を両手に持って、お店の裏口のドアを開けた。

昨日よりもたくさんお店の役に立てたという、心地よい達成感が身体を満たしていく。

ふと、頭の中で目的の時計の値段を思い出す。


「ここの時給を計算すると……うーん、まだまだ先は長いなぁ」

気の遠くなるような数字だけれど、不思議と辛いとか、苦しいとかいう感情は微塵も湧いてこなかった。


大好きなまこちゃんがあの格好いい時計を着けてくれたら、絶対に世界一似合う。


その誇らしい姿を想像するだけで、自然と頬が緩んでニヤニヤとした笑みが溢れてしまう。

だけど、それと同時に胸の奥がまた少しだけツンと痛んだ。

いくらサプライズのためとはいえ、梨紗は今日も誠に「嘘」を吐いてここに来ている。

今日だって、家に帰ればきっと彼は、いつもの優しい声で聞いてくるだろう。


『勉強はどうだった』

その度に、自分はまた彼を騙すような嘘を吐かなければいけない。

そのことだけが、梨紗にとっては堪らなく心苦しかった。

「……あーあ、早く渡したいなぁ。そしたらもう、嘘つかなくていいのに」

そんな贅沢な願いを頭の中でこねくり回しながら裏口のゴミ集積所に袋を置き、ふぅと息を吐いて振り返った、その瞬間だった。


「――梨紗」

静まり返った薄暗い路地裏に、聞き間違えるはずのない、低く冷ややかな声が響いた。

「ひゃんっ!?」

梨紗は変な悲鳴を上げて、飛び上がるようにして振り返った。

夕闇の中、街灯の光に照らされてそこに立っていたのは警察官の制服に身を包み、腕を組んでこちらをじっと見つめている、誠の姿だった。


「……こんな場所で、お前は一体何をしている」

「え、あ、えっと……その、これは、ですね……!」

完全に現場を押さえられた犯人のように、梨紗は顔面を蒼白にしてしどろもどろになる。

そんな二人の不穏な空気に気づいたのか、ちょうど暖簾を下げに表へ出てきた大将が、店の裏口に警察官が立っているのを見て驚いて駆け寄ってきた。

だが大将は誠の顔を見るなり、「あぁ!」と表情をこれ以上ないほど明るく輝かせた。


「アンタが梨紗ちゃんが言ってた噂の旦那さんだな!?梨紗ちゃん、ここで物凄く頑張ってるぞ!

“大好きな旦那さんへのプレゼントの代を稼ぎたいんだ”ってなぁ」

「大将ーーーーーー!!!!!?」


味方だと思っていた大将からの、あまりにも容赦のない、悪意ゼロの全面的なネタばらし(暴露)に、梨紗は路地裏に響き渡るような絶叫を上げてしまった。

誠は数秒の間、大将の言葉を咀嚼するように完全な沈黙を保ち、それから、ゆっくりと視線を梨紗へと戻した。


「……あの腕時計のことか」

「う……はい」

すべてを察した誠の言葉に、梨紗は完全に白旗を上げ、小さな身体をさらに縮めて蚊の鳴くような声で返事をした。

誠は、自分のためにそこまで無茶な隠し事をして働いていた梨紗を見つめ、少しだけ目元を和らげたが、すぐにいつもの厳しい旦那様の顔に戻った。


「無理をするな。まだ高校生の梨紗が、そんな大金のために夜遅くまで働く必要はない」

「でもっ……!私、どうしてもまこちゃんにあの時計を着けてほしくて」

誠はそれ以上梨紗に反論させないように、深いため息をひとつつくと大きな手で梨紗の額をコツンと軽く小突いた。


「痛っ……」

「梨紗が学校の勉強と偽って、こんな夜遅くに慣れない労働をしていると知って、俺が喜ぶと本気で思ったのか」

「だってサプライズしたくて……」

「そういう話をしているんじゃない。俺がお前の身を心配しているんだ」

誠の声は低く相変わらず不愛想だったけれど、そこに怒りの感情は含まれていなかった。

けれど自分の安全を何よりも最優先に考え、今回の独断専行を明らかに納得していないことくらい、梨紗にも十分に伝わってくる。


シュン、と目に見えて犬のように肩を落とし、今にも泣き出しそうな顔になる梨紗を見て、誠はもう一度、今度は少しだけ呆れたような、けれど底知れない優しさを孕んだ深い、長いため息を吐き出した。


「……アルバイトを続けることは、百歩譲って許す。

だがその代わり夜の仕事終わりの送り迎えは、毎日必ず俺がする。それが条件だ」

「えっ……やっていいの?」

「あぁ。ただし」

「……?」

誠は一歩歩み寄り、梨紗の目を見つめて釘を刺すように言い放った。

「今後、俺に内緒で物事を進めようとするな」

「……はーい、わかった」

そんな二人のやり取りに、呑気な大将はお土産包むから待っててくれとご機嫌に中に戻っていった。


「でも、どうして私がここでバイトしてるって気付いたの?」

梨紗が不思議そうに尋ねると、誠は呆れ果てたように眉の間に皺を寄せた。

「梨紗、お前は尾行に気付かなすぎだ」

「え……」

「……」

「……もしかして、昨日から?」

「昨日からだ」

「昨日から!?!」

まさかの初日からすべての行動を完全にマークされていたという衝撃の事実に、梨紗はガガーンと効果音がつきそうなほどショックを受け、その場にしゃがみ込みそうになった。


「あと嘘を吐く時、目を逸らす癖がある。最初からバレバレだ」

自分の嘘が完璧に見抜かれていたことに、梨紗は「うぅ……」と恥ずかしさで顔を真っ赤にしてうつむいた。


だけど時計をプレゼントするまでのサプライズ作戦は初日で大失敗に終わってしまったけれど。

それでも、自分の身を誰よりも心配して、怒る代わりに「送り迎えをする」と仕事中なのに言ってくれた誠の優しさが、梨紗にとっては申し訳なく、また愛おしかった。


サプライズは失敗したけれど、二人の距離は夜の帰り道の中でまた少しだけ、温かく縮まっていくのだった。




END

***♡***

最期までお読みいただきありがとうございました。


梨紗と誠の日常を今後も応援していただけるのでしたら、いいねや下の⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎(全部入れると10pt)で評価していただけると、いろんな方に読んでいただけるようになるのですごく嬉しいです。

※pixivにて小説の一部エピソードを漫画・イラストを公開しています。

どのシーンなのかはお楽しみに°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ