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天才でも医者の子でもない俺が、医学部を目指すのは無謀ですか? ~普通の公立高校出身一浪生の、意地と焦燥の受験記~  作者: しばたろう


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2025年 秋 偏差値66.7

 厳しい現実に、目の前が真っ暗になった。


 俺なりに、死ぬ気で頑張ってきたつもりだった。

 しかし、予想以上に現役生の追い上げが激しいということか。あるいは、これが「凡人」という種の抗えない限界なのかもしれない。


 帰宅し、重い足取りで両親に成績表を見せる。

 父さんも母さんも、特に怒る様子はなかった。「まあ、頑張れ」と、努めて明るく声をかけてくれた。


 しかし、

 父さんは続けてこう言った。


「一浪までだからな。しっかり滑り止めを考えておかないといけない。関西大学の工学部あたりが良いかな?……いや、念のため、産近甲龍も選択肢に入れるべきか」


 淡々と、冷静に語る父さんの姿に、俺の背筋はひやりとした。

 医師家庭であれば、三浪、四浪してでも医学部を目指すところも多いだろう。だが、うちは違う。ごく普通のサラリーマン家庭だ。


 このままでは、俺は来年の春、このあたりの工学部に進学することになる。

 今までどこか遠い国の話だと思っていた「医学部断念」という結末が、急速に、残酷なまでの現実味を帯びて迫ってきていた。



 「……一喜一憂するな。模試の結果でペースを落とすなよ」

 久しぶりに顔を合わせた戦友、佐伯圭太が投げかけてきたのは、そんな慰めの言葉だった。


 とはいうものの、ふと疑問がよぎる。

 この夏休み中、彼を河合塾の校舎で見かけたことは、ほとんどなかったはずだ。


「お前、夏休み中どうしていたんだ?」

 逆に問い返すと、彼は少し視線を逸らして短く答えた。


「……俺、バイト始めたんだ」


「…………」


 言葉を失った。

 おい、佐伯圭太。あの夏休み前に見せびらかしていた、山のような夏期講習の受講届はどうしたんだ?


 喉元まで出かかった言葉を、俺は必死に飲み込んだ。

 怖くて、それ以上は聞けなかった。



 九月になり、河合塾では「後期(完成シリーズ)」の幕が上がった。


 もう、後がない。

 今の俺に、落ち込んでいる暇なんて一秒もないのだ。


 今までのやり方は決して間違っていない。基礎を疎かにせず、一歩ずつ進んできた。

 自分を信じる。河合塾のシステムを信じる。そして、親の期待という重圧さえも燃料に変えて、走り続けるしかない。


 医学部への境界線は、まだ閉ざされたわけじゃない。

 俺は再び「無印テキスト」を抱え、秋の冷気を孕んだ教室の、いつもの席へと向かった。

 


 やはり、「後期(完成シリーズ)」の壁は高かった。

 テキストのレベルは前期とは比較にならないほど引き上げられ、一問を解き明かすための予習も、それを血肉にするための復習も、かかる時間は膨れ上がっていく。


 さらに、共通テストの足音が背後に迫っていた。二次試験の対策だけでなく、国語や社会といった文系科目も、医学部合格の最低ラインまで一気に仕上げなければならない。

 机の上に積まれた「やるべきこと」は、気を抜けば崩れ落ちそうなほどの山となっていた。


 しかし、それでも俺の日常は変わらない。

 朝、母さんの弁当を持って河合塾へ行き、夜、閉館のベルとともに帰ってくる。

 不安に支配されそうになる心を「ルーティン」という鎧で守りながら、ただ淡々と、一歩ずつ進む日々を繰り返した。


 そして、迎えた一〇月。

 運命の第三回全統記述模試、そして共通テスト模試を受けた。


 返ってきた成績表を、俺は震える指で開いた。


 共通テスト模試:偏差値 63.0

 全統記述模試:偏差値 66.7


 数値は、見事なまでにV字回復を遂げていた。

 全統記述模試に至っては、一年前の57.6から偏差値を9上げたことになる。

 国立医学部のボーダーラインとされる偏差値 62.5 を、ついに超えたのだ。

 国立で一番簡単とされる大学では、「A判定」を取ることもできた。


 やった。

 ようやく、努力が形になった。


 俺は、医学部にいけるかもしれない。


 これまで張り詰めていた緊張が、熱い昂りとなって全身を駆け巡るのが分かった。暗闇の中で手探りだった道に、ようやく眩いほどの光が差し込んだ気がした。


 だが、ここで止まるわけにはいかない。この勢いを殺さず、まずは目の前にそびえ立つ共通テストを完全に踏破してやる。

 


 このころになると、私立医学部の受験日程が次々と発表され、カレンダーが重厚な予定で埋まり始めた。

 親と机を囲み、現実的な受験校の検討を始める。


 国立一本での勝負は、あまりにリスクが高く無謀だ。一浪という背水の陣を敷いている以上、私立も併願して確実に「合格」を勝ち取りにいくことに決めた。


 医学部の入試は、学科の一次試験と面接・小論文の二次試験、その二段階を突破しなければならない。

 二月の前半をピークに、全国の私立医大の一次試験が怒涛のスケジュールで執り行われる。俺が受ける大学の多くは、東京が主戦場になりそうだった。


 となると、必要になるのが宿泊先と移動手段の確保だ。


 受験校の検討と並行して、父さんがインターネットを駆使し、手際よくアクセスの良いホテルを次々と予約してくれた。新幹線の時間まで細かく計算していくその背中を、俺はただ隣で眺めることしかできない。


 俺は、こうした社会的な手続きのやり方を何一つ知らなかった。

 自分では「浪人生」という厳しい冬を戦っているつもりでいたが、結局のところ、親に守られ、お膳立てをしてもらわなければ戦いの土俵にすら立てない。高校を卒業したとはいえ、自分はまだ何も知らない子供なのだと痛感させられた。


 けれど、今振り返ると、あの時間は不思議な輝きを放っている。


 模試で結果を出し、手の届くところに「医学部」という目標が見え始めていた時期。

 確かな希望を胸に、ああでもないこうでもないと戦略を練り、受験計画を立てていったあのころ。


 ひりつくような緊張感の中に、ほんの少しの万能感が混じっていたあの秋の日々が、俺の受験期間の中で一番、幸せだったのかもしれない。

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