6.
対人距離、ほぼ初対面の人物と相対する時の適切な距離は、約120cmと言われている。
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「おい、そこの。朝食だ。食べろ」
キースは持って来た朝食を牢の中に入れた。
こちらに金属で出来たトレイを置くと、私と目が合った。
一瞬何か言いかけたが、何も言わずにそのまま前の扉の中に消えて行った。
何か言っていけ、気になるじゃないか。
暫らくすると隊長もやって来て、前の扉に入って行く。
取り敢えず、私はトレイを自分の前まで引き寄せた。
朝食の内容はいたってシンプルだった。
何かのスープとパン。
それだけ。
昨日の昼から何も食べていない身としては少なすぎるメニューだったが、文句は言わない。
それにしても、これは食べても大丈夫なんだろうか?
というのも、環境が違えば育つ物も違うものだ。
この世界の住人には安全でも、地球人には毒性のある植物が育っていて、その植物が食料として使用されているとか、しかも主食ですとかだったら。
いや、それよりもさらに胃や腸に耐性の無い菌が混じっていたら……
ちょっと危険かもしれない。
いや、かなり危険だろう。
パンとスープの載ったトレイを前に、戦慄してしまった。
だが、お腹に飼っている虫は相変わらず自己主張が激しい。
つまり、3大欲求には抗えないという事だ。
戦々恐々としながら、ひと口だけパンを食べてみる。
食べてみる。
食べるが。
……硬っ。
パンはとてつもなく、硬かった……
千切る、齧る、割るをしてもダメでした。
なので、スープに浸して食べるを選択。
浸します……
浸す……
浸……
ちょ、どんなけなの。
格闘すること数分間、ようやく食べられるようになりました。
うん、スープの塩味とパンの独特の風味が結構いける。
何気に美味しいのだが。
一応体調を確認。
皮膚良し、出血無し、喉の乾き無し。
遅効性かもしれないけど。
いやそもそも、地球人にしかかからない毒や病気の治療法って……
あぁー駄目だ、やめよう。
段々考えるのが面倒になってきた。
食事はおいしく。
ここに来てから思いっきりネガティブ志向になってきている自分を諌めつつ、ゆっくりと食事をする事にした。
5分もかからなかったが。
食べ終わり、人心地ついていると突然前の扉が開いた。
「おい、お前。食事がすんだのなら立て」
キースがこちらを向いて言う。
私はトレイを持って立ち、キースの方へ向き直った。
いや、別にトレイは持たなくてよかったんだけどね。
「っつ」
そして持たなくていいトレイを持って、少し指を切った。
1mm程度の。
地球にいてたら気にも留めない怪我。
むしろ気付かなかったかもしれない。
そんな怪我。
だが、ここは異世界。
先程まで考えていたウィルスの事を思い出し、じわじわと背中が冷たくなる。
異世界で死す、なんて笑えねェ。
対地球人用ワクチン、やっぱり無いですよねぇ。
「おい、どうした?」
よほど変な顔をしていたのか、キースが聞いてきた。
「いえ、なんでもありません」
「こちらへ来い」
言われたので素直に従い、鉄格子の方へ歩いていく。
近付くと手を出せと言うので首をかしげながら出すと、いきなり手を掴まえられた。
私が驚いて顔を上げると、相手は私の指をじっと見ながらフリーズしていた。
ちょ、フリーズしたいのは私なんですが。
「こ、こんなのは舐めておけば治る」
はぁ、まぁ普通はそうなんでしょうがね?
こっちは色々懸念事項があるわけでして。
感染症とか破傷風とか敗血症とか色々。
いや、もういいです。
はい。
「何をやっているんだ、キース」
その後、牢の中に入って来た隊長が呆れたように言いながら、私の腕を掴み外へ出す。
キースの元から無事戻って来た腕は、そのまま隊長に手枷をされてしまった。
キースが私のもう片方の腕を掴むと、2人とも無言で歩き始めた。
おーい、2人共どこへ行くんだ。
前の扉へは入らずただいまどこかへ移動中。
あれ?何で移動?
聞きたい事が有るなら、前の部屋とかで良いのでは?
という疑問が湧いたが、何か事情でも変わったのだろうか?
昨日何か情報が入ってたみたいだし。
まぁ、考えても判らない事なので、彼らのなすがままになっておいた。
それにしても、この通路3人並ぶとかなり狭い。
3人並んで歩く必要が有るのだろうか?
隊長は185cm前後で細身だけど筋肉質。
キースも180cm前後とがっしり系。
特別に、カツ2枚挟みましたという暑苦しいサンドイッチの出来上がり。
私はさながら、萎びたレタスか。
勿論3人横並びに歩くわけも行かず、かと言って手を離すわけにもいかないようで、結局歩く時は皆体が斜めになってくるわけで。
私がほぼ横歩きする事で位置が安定したのか、その体勢のまま歩く事20m(推定)。
前方に明るい光が見えてきた。
外へ繋がる階段を目の前に、私は一旦立ち止まった。
「おい、どうした?」
突然止まった私に隊長が聞いてきた。
良い声が辺りに反響する。
「あ、いえ。大した事ですが、大した事ありません」
隊長の向こう、細い通路の階段の先にある日のあたる場所見つめて私は答える。
この先に広がる世界は、はたして私という存在を許してくれるのだろうか?
階段を目の前にした瞬間よぎった考え。
泣きたい様な笑いたい様な、複雑な感情が一瞬身体を支配した。
足を止めるに十分な感情。
だが、それもすぐに落ち着かせる。
初めて歩むこの異世界の感触に、らしくもなく感傷気味になっているのだろうか?
私は上段に居る隊長に、視線を合わせながら進む様に進言した。
隊長はハッとした顔をし身動ぎをすると、再び身体を前に向け歩き始めた。
ちらりと振り返ってみた、真後ろに伸びるガタガタな陰はまるで今の私の心境を表すかの様に通路に向かって伸びていた。
私は再び光に向かって階段を登り始める。
それにしても、いくら狭いからといってもこんなに密着して歩く必要性が?
異世界に来ると対人距離まで変わってくるのだろうか?
せめて個体距離(45cm)をキープしてくださーい。
不快でース、このやろう。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
相変わらず展開が遅いですが、平にご容赦ください。