10.
幼い頃から世界中を転々として、歴史を抱えた建物や、息を呑むほどの景色をたくさん見てきた。
そのせいか私は、美しいものにめっぽう弱い。
それは物だけに限らず、人間に対しても同様だ。
ただし、私が心奪われるのは、実を伴った美だけで。
張りぼての美しさには、微塵も興味が湧かない。
特に、それが私の脅威になり得る場合には。
……とはいえ、私は現実主義者。
それでも、美しいものを見るとテンションが上がるのは事実で。
だからこそ、この世界で出会う男たちが、揃いも揃って美形ばかりであることには、正直いって気疲れしている。
美しいものは好き。
でも、恋愛は相手が美しいからという理由だけでは成立しない。
それは、完全に別物なのだと思う。
左腕にある時計を、指の腹でそっと撫でる。
触れた金属の感触に、胸の奥に沈めていた古傷が、微かに、けれど鋭く波立った。
……落ち着け。
これはただの条件反射だ。
感傷なんて、もうとっくに精算し終えたはずだろう。
◇
「……ああいうのが、好みなのか」
重苦しい沈黙を切り裂いたのは、キースの唐突すぎる、そしてあまりに無遠慮な問いだった。
部屋を去るアークオーエンさんの後ろ姿を、私が"抜き身の日本刀"のようだと見惚れていたのがどうも原因らしい。
「「え゛?」」
私とローアム隊長の声が、ぴたりとハモった。
思わず隊長の顔を見ると、彼もまた「何を言い出したんだこいつは」という驚愕に固まっていた。
アークオーエンさんが去り、囚人の容疑も事実上晴れた今。
ローアム隊長は、いつの間にかキースの隣まで歩み寄っていた。
2人の騎士が並び立つと、その圧倒的な存在感と造形美に、部屋の空気が一段と重くなる。
うっ、眩しい。
2人がなんか発光してる気がする。
ヘイロー?
視線をキースに戻すと、当の本人は自身の発言に1番驚いているような顔で狼狽していた。
まるで、意識の深層にある"何か"が勝手に口を動かしたかのように。
今はまるで、叱られた直後の犬のようにしおれている。
いや、誰だよさっきまで私を殺す気満々だった男は。
わんちゃんかな?
……はぁ、落ち着け、私。
この異常事態のなかで、彼らに情緒の安定を求めるほうが間違っている。
「……あの、彼はいつもああいう、"直球すぎる質問"を投げてくる人なんですか?」
なるべく外来語を使わないように、噛み砕いた言葉で隊長に確認する。
「いや……済まない。さすがに今のは私も予想外だ。……キース、己の立場と場所を弁えろ」
「……っ、失礼しました!私は、ただ……!」
私を囲むように、至近距離まで近づいた隊長。
そして、耳の付け根まで赤くしているキース。
3つの視線が、逃げ場のない空間で交差する。
こういう場面なら、キースの先ほどの質問を大抵は聞き流すのが正解だろう。
しかし、真剣に問われたからには、誠実に答えるのが礼儀だと思っている。
美しいものは美しい。
それを話すだけの話だ。
えー、キーシェ……キーシュ……なんだっけ。
……まあ、キースでいっか。
「……で、キースさん?様?の先程の質問ですが、好みでいえば、好きですよ。あの系統の顔」
淡々と、事実を羅列するように返答すると、今度は2人揃ってギョッとしたまま彫像のように固まった。
キースは目に見えて肩を落とし、顔を伏せた。
さっきまで牙を剥いてた図体のでかい犬が、耳を伏せて尻尾を巻いた子犬みたいになった。
一方、隊長は顔を顰めた後、まるで想定外の機密文書を渡された官僚のように困惑して、暫くしてから腑に落ちないとでもいうように首を傾げた。
この2人、観察していると実に面白い。
さっきまで私の命の灯火を奪い合っていたはずなのに……
この2人の反応、じっくり観察したら見物だな。
こちらの言動ひとつで、反応が目に見えて変わる。
ほんと、観察対象として優秀すぎる。
「まあ、その観点でいえば、隊長もキース……様?も好きですよ。……顔が」
事務的にトドメの追い打ちをかけてみる。
さっき散々脅されたんだし、これくらいの意趣返しは許してほしい。
その瞬間。
キースが弾かれたように顔を上げ、隊長はあからさまに動揺したのか視線を彷徨わせた。
キースの問いたげな視線。
苦渋を滲ませるような隊長の横顔。
2人のそれぞれの仕草が、不自然なほど静かで……
酷く色っぽい。
それらに、私は一瞬だけ目を離せなくなる。
腹立つ、言い出したのは自分だけども。
はぁ、言うんじゃなかった。
そもそもだ、あなたがたほどの美形が今さら称賛されて照れるのは反則では?
このレベルの騎士なら、道を歩けば老若男女問わず視線を奪い、令嬢たちからひっきりなしに声が掛かるのが日常だろうに。
何を今さら私ごときに言われて初々しい反応をしているんだか。
今の反応、普通に可愛かったけども。
思わぬ2人の反応の"可愛さ"に、私はつい、クスリと笑ってしまった。
いやいやいや、待て。
……かわっ、可愛い?
脳裏に浮かんだ単語に、私は戦慄した。
大の男を捕まえて可愛いって何だ。
それも、自分を殺しかねない騎士を前にして、可愛い?
何を考えているんだ私は。
いけない、いけない
絶対に、ぜーったいにっ、いけない。
私の脳みそ、今日だけで何回バグってるの。
私はもう、恋愛はしないと誓ったはずだ。
その決意の結晶が、日本に残してきたあの分譲マンションだったというのに。
あの努力が一時の感情で全部パーになるなんて嫌すぎる。
「今の私はおかしい」
そう冷徹に分析し、結論付けて、暴走しかけた私の心拍数を無理矢理ねじ伏せる。
つい先ほどまで死の恐怖に晒されていた異常な環境。
これは吊り橋効果の一種だ。
一時的な脳のバグにすぎない。
そう、自分に言い聞かせた、その瞬間──
扉に乾いたノックの音が響いた。
「アークオーエン様より、レイ=タダノ=オカシズキー=ド=ジャポン様へ、"御託け"がございます」
……っ!
その仰々しい、呪いのような偽名が響いた瞬間。
私の体温は沸点を超えた。
羞恥心が怒涛の勢いで押し寄せ、視界の端がチカチカする。
この場で土に還れたらどれだけ楽か。
むしろ今すぐ埋めてほしい。
顔が真っ赤に火照り、耳鳴りがする。
あまりの気恥ずかしさに、私は思わず口をパクパクさせてしまった。
部屋の空気が、一気に変質した。
無防備に弱みを晒してしまった私の仕草に、2人の視線が鋭く、執拗なまでに吸い寄せられたのが分かった。
その刹那、部屋の温度がわずかに上がった錯覚を覚える。
言葉もなく立ち尽くす私を、2人の騎士が同時に絶句しながら見つめる。
至近距離で、火がついたみたいに赤くなった私を凝視したまま、キースの喉仏が大きく上下した。
「……っ」
それまでの不機嫌な仮面が剥がれ、そこにあったのは、読めない眼差しだった。
その意味を図ろうとして……
失敗した。
キースが1歩、私の間合いに近づいたからだ。
……やめて。
そういうの、ほんと心臓に悪い。
一方、隊長は盛大に咳払いをした。
隊長の咳払いに釣られるように反射的に顔を見ると、磨かれたガラス越しに、逸らされた隊長の瞳とかち合った。
だが、彼の態度からは先ほどまでの冷静沈着さとは異なる、張り詰めた緊張感が漂っている。
そこには、大人の余裕をかなぐり捨てたような……
底知れない何かが湛えられていた。
え?
切羽詰まってる?
敵でもいるの!?
それにしても色っぽ……
いやいや、隊長、黙って立っているだけでその色気は暴力だ。
本当に、この国の騎士はずるいな。
彼らの視線は、私の反応をじりじりと追ってくる。
あ、そっか返事しろと。
そういうことだな。
「……あ。……あ、はい」
動揺のあまり、かんだ。
扉が開き、茶色の髪を上品にまとめた使用人の女性が入ってきた。
その清潔感あふれる、けれど完璧に整った顔立ちを見た瞬間、私は天を仰ぎたくなった。
……はぁ。
本当に、この国は……
隙のない美形しか、いないのか。
かわいい。
文句なしに、清純で、それでいて華やかで、本当にかわいい。
ここに来てから、造形の美しさに心酔し、同時にその波状攻撃に、私の審美眼はすでに食傷気味だった。
私は、これから始まる"御託け"への不安以上に、この逃げ場のない美形包囲網から、どうやって自分の平穏と理性を守り抜くかという、極めて個人的で切実な戦いに、深く深く、頭を抱えていた。




