1話-① 憲兵として
黒に黒を塗り重ねたような真夜中。
郊外にある路地裏の湿った空気には、街灯の薄明かりが滲み、道路脇には雨水の溜まった水たまりが黒く光っている。
その街灯の下に男が一人。
革のコートを羽織り、深く被った帽子の影に顔を隠している。まるで時間の流れから切り離されたかのように、じっとそこに佇んでいた。
男は時折、顔を上げて周囲を見渡す。その仕草からは焦燥と警戒が見え隠れしていた。
僕はフードを目深に被って、静かに足を踏み出した。舗装されていない砂利道を踏む音が響かぬよう、ゆっくりと男に近づく。
距離が縮まるにつれ、男の視線がこちらに向けられる。鋭く、観察するような眼差しだ。
「お前がボウシの男か?」
僕は目線を落とし、くぐもった声で、男に問いかける。すると男は口元をわずかに上げた。
「ああ。約束通りの時間だな」
ボウシは僕を一瞥すると、地べたに置いていた黒ずんだボストンバッグを持ち上げた。古びた革が擦れ、長年使い込まれたことがわかる。
そして顎をぐいっと上げて、僕の全身を見つめる。その瞳は覇気がなく、ひどく濁っているように見えた。
「パーツと武器、どっちがいい?」
「武器だ。人体改造は施していない」
ボウシは軽く鼻を鳴らし、ボストンバッグのファスナーを引いた。わずかに開いた隙間から鈍く光る鋼鉄の塊が見える。
ボウシはそれを片手でがっしりと掴み、ゆっくりとバッグから取り出した。
「確認しろ」
殺意を孕んだ鉄塊を、僕は無言のまま受け取った。持ち手には箱型の機械が取り付けられている。魔力が保管できるのだろう。そこから90度曲がって伸びる棒は、中が空洞の筒状になっていて、そこから魔力によって火球や水球が発射される構造だ。
「最近、よく見かけるタイプだな。お前が売っているのか?」
俺はその鉄塊を弄りながら、呟く。
「あぁ、そうだな」
「……どこから仕入れた?」
「おい、余計な詮索はするな」
男の目が鋭く光る。試すような、あるいは牽制するような視線。
「悪かった。興味があるだけだ。お前は人体改造しているのか?」
「……いいから、金を寄越せ」
ひやりと冷たい空気が漂う。ボウシは警戒しているのか、まったく立ち入らせてくれない。これ以上はもう限界か。
「そうだな。そろそろ仕事に移ろうか」
静寂を破るように、僕は拳を握り込んだ。
すると、腕から指先へと紫色の光が駆け巡る。血が沸き立つように熱がこもり、身体の奥底から力が湧き上がってくるのを感じる。
次の瞬間、僕は男に向かって拳を突き出した。
紅蓮の炎が弾け、暗闇を照らす。燃え盛る魔力の奔流が一直線に走り、男の革のコートを呑み込んだ。
しかし、手応えがない。
「……やはり、憲兵だったか」
轟音とともに爆ぜる炎の中から、男の声が聞こえる。そして跳ねるように後方へと飛び退いた。
ボウシは軽やかな動きで着地すると、焦げたコートを肩から払い落とす。
コートの下に現れたのは、初めて見る魔法具だった。どうやら正面からの魔法は効かないらしい。
「チッ! やっぱり人体改造か」
舌打ちしながら、俺はすぐさまボウシとの距離を詰める。ならば今度は、直接叩き潰すまでだ。
僕は拳を再び突き出す。しかしそれはあっさりと防がれた。ボウシは無駄のない動きで受け流し、即座にカウンターの蹴りを繰り出してくる。
「ぐっ……」
鋭い衝撃が脇腹に突き刺さる。僕は堪らず後退した。並の魔導士なら一撃で伸せるはずの拳を軽々受け流し、正確なカウンターを叩き込んでくる。
戦い慣れている。いや、それだけじゃない。明らかに訓練された動きだ。
僕は見せつけるようにもう一度、拳を握りしめて、力を込める。
「魔法は効かないぞ」
ボウシが冷たく言い放つ。
僕はグッと姿勢を低くすると、脚に風魔法を纏わせた。
「どうかな……」
すると爆発的な風が、僕の足元から一気に吹き上がる。
それと同時に僕は地面を蹴り出した。風力を利用して、一瞬で男との距離を詰める。
「……っ!」
ボウシの濁った目が微かに揺れる。だが気付いたときには、もう遅い。
僕はその勢いのまま、ボウシの鳩尾に肘を叩き込んだ。
驚愕の表情を浮かべたまま、ボウシは弾き飛ばされる。そして受け身の体制を整える前に、壁に叩きつけられた。そして足元をふらつかせながら、僕の方を睨む。
「魔法を2つも……」
ボウシの声は掠れ、額には焦燥の汗が滲む。
「お前、例の黒魔導士か」
「あぁ。だが、その呼ばれ方は好きじゃない」
僕が言い終わる前に、ボウシは意識を失い、そのまま膝から崩れ落ちた。
路地裏は再び息をするのを躊躇うほどの静寂に戻る。
「ふぅ、思ったよりも手強かったな」
僕は大きく息を吐きだし、拳の力を抜いた。
俺は気を失った男をしっかりと拘束し、両肩に担ぎ上げながら合流地点へと足を進めた。
夜の街は妙な静寂に包まれ、ほのかなランプの灯りが、まるで空気そのものを溶かすかのような微かなパチパチという音を響かせていた。
合流地点は、郊外にある小高い丘。
さっきまでボウシとやり合っていた路地裏を一望できる位置にある。
「お待たせ、スゥス」
俺が声をかけると、スゥスは冷静な眼差しでこちらを見返しながら、淡々と応じる。
「お疲れさまです」
彼女の名前はスゥス・エルビス。僕の胸ほどの小柄な体躯。肩まで流れるシルバーブロンドの髪は、無造作に跳ねる癖毛が幼さを感じさせる一方、どこか洗練された雰囲気を漂わせている。
丸みを帯びた顔立ちに童顔の印象を与えるが、着用している軍服の胸元には、無数の勲章が輝いており、ただの少女ではないことを、如実に物語っていた。
風魔法を自在に操り、その身体能力は常人離れしている。実は、さっき俺が男を倒す際に繰り出した技も、彼女から学んだものだ。
かつて爆破テロの混乱に巻き込まれ、炎と煙に包まれた現場から俺を救い出してくれた命の恩人。今では、彼女は憲兵として俺の上官にもなっている。
俺は男を背中からそっと下ろし、状況報告を始める。
「魔力反応は無かった。ゲヌスだ」
ゲヌスとは非魔導士のことだ。魔法が使えない代わりに、身体能力に優れている。
僕の攻撃に初見で回避できたのは、そのためだろう。
すると、スゥスは僕の手元に目を落として、指を指す。
「それは?」
「今日の取引物。こいつ自身は確かに人体改造されていたけど、武器も用意していたみたい」
スゥスの目が一瞬細まる。
最近、隣国から流れ込む武器の売人は後を絶たない。テクノロジーの発達により性能は高いものの、流通してくるのは安価で粗悪な品がほとんど。
結果、そうした武器を用いた強盗や略奪事件が、急増し、治安維持のための対策に追われている現状がある。
「おそらくこの男も隣国の売人ですね」
スゥスは無表情のまま、淡々と頷く。
普段から冷静沈着で、感情を表に出すことがほとんどない。
しかも国境付近ばかりだから、政府の目が行き届かないことが多い。
「こちらから見ていた限りでは、仲間らしき連中は見受けられませんでした。組織的な犯行ではなく、ボウシ自身もお金に困り、取引を求めてきたのかもしれません」
スゥスの推理は、的を射ているような気がした。他国での問題を、我が国にも持ち込まれるのは、面倒だ。
まだ組織的なものなら対応はしやすいが、個人となると、その度に対応が必要になる。
僕は、どこか呆れたように短く呟いた。
「……やっかいですね」




