1話-② 森の中の研究室
スゥスが手配した馬車は、朝焼けの光に包まれた森の獣道を静かに進んでいく。
ボウシを捕らえた裏路地を離れてから、すでに一時間が経過していた。
外はひんやりとした風が吹き抜け、車輪の軋む音だけが静寂の中に響く。時折、遠くで鳥の鳴き声がするほかは、何の気配もない。
馬車の内装は余計な装飾がなく、洗礼されている。対面で座れるえんじ色のソファがあり、僕とスゥスが向かい合っている。天井や柱に使われている木材には艶があり、工芸品のようだった。
こんな上質な馬車を、一声で準備できるのも、スゥスの凄さを物語っている。
やがて、スゥスが馬車の内壁をコン、コンとノックした。小さな合図に応じるように、馬車はゆっくりと速度を落とし、やがて完全に停止する。
「それでは私は本部でボウシの後処理をしておきます」
彼女は変わらぬ冷静な声で言った。
「うん。ありがとう」
短く答えると、僕は馬車の扉を開け、ひらりと地面に降り立つ。
そしてスゥスを乗せた馬車は、再び森の中を走り去っていく。
僕は振り返ることなく、そのまま踵を返し、さらに草生い茂る道を歩き出した。
ここからさらに1時間。道なき道を進むのは、今ではもう慣れたものだ。以前は迷うこともあったが、何度も足を運ぶうちに、木々の生え方や岩の位置を自然と覚えていった。
木々の隙間から差し込む陽光を頼りに、静かな森の中を進んでいく。
しばらく歩くと、目の前にひっそりと佇むログハウスが現れた。
家の周囲は、ぽっかりと開けた草原が広がっている。昼間なら、風に揺れる穂先が波のように揺れ、陽の光を浴びて穏やかに輝いているのだろう。だが、今は朝方。しんと静まり返った薄暗闇の中で、草木はただ黒い影となっていた。
畑には、育ちかけの野菜が並んでいる。規則正しく植えられた作物が、かすかな夜風にざわりと揺れた。
「ただいま帰りました」
僕が扉を開けると、外よりもひんやりとした空気が肌に触れた。床も天井も木造で囲まれたこの家は、冷えやすくなっている。
家の中は静まり返り、灯りのひとつもついていなかった。人気のない部屋の空気は、まるで時間が止まっているかのようだ。
僕はそのまま廊下を進む。足音が微かに床板を軋ませた。そして奥から二番目の扉の前で立ち止まり、軽くノックをする。
いつも通り中からの返事はない。しかしそれで問題ない。
僕はそっと取っ手を回し、扉を開けた。軋む音を立てて開いた扉の向こう側は、まるで異世界のような光景だった。
フラスコの中では、怪しく沸騰する緑色の液体がぐつぐつと泡立ち、棚の上では発光するマウスが、規則性のない動きを繰り返している。
無機質なアーム型の機械が、無言で試験管を持ち上げ、カチリと別の容器にセットした。壁には数枚の紙が貼り付けられ、淡く光る魔導式の文字列が書かれている。
ここだけ家の雰囲気とは違う、完全に切り離された空間だ。
そんなカオスな光景の中、中央に座る一人の女性が、僕の姿を目に映して微笑んだ。
「おや、おかえりなさい」
不思議なものに囲まれながらも、彼女の笑顔はどこか穏やかで、いつも通りだった。
彼女の名はネユ・シュタウリン。
国王直属の魔法学者という肩書きを持つ。
学者というだけでも十分に名誉ある職業だが、さらに国王直属ともなれば、その影響力は凄まじい。
実際に僕も何度か経験をしている。彼女には憲兵の護衛が付くし、国王への謁見も申請できる。
さらにネユさんの専門分野は、魔法のみに留まらない。軍事学、法学、生物学、医学までに精通している。いわば王国の頭脳とも呼べる存在だ。
そんな大層な肩書きと能力を持ってはいるが、そこから想像できる人物像とは大きく異なる。その容姿は拍子抜けするほど若く、柔らかな雰囲気の女性だ。
目尻が下がった垂れ目に、丸みを帯びた鼻と口元。その穏やかな顔立ちは、知的でありながらどこか母性的な印象を与える。
ベージュ色の髪は胸元まで伸び、センター分けの前髪からは広い額が覗く。毛先にはゆるやかなウェーブがかかっており、彼女が少し動くだけで、空気に乗ってふわりと揺れる。
身長は高めで、オーバーサイズの研究着から真白な四肢はしなやかに伸びている。
そんな彼女が、混沌としている研究室の中心で僕を迎え、優しく微笑む。
「成果はありましたか?」
彼女の声は静かで、どこまでも落ち着いていた。
「はい。近頃、裏市場を荒らしていたボウシを捕らえました」
僕は短く報告し、懐から取り出したものを差し出す。ボウシから押収した例の武器だ。
「それで、見てほしいものが……」
ネユさんはそれを興味深げに手に取る。ゆっくりと観察しながら、その長い指が、武器の表面をなぞる。
「……ふむ」
ネユさんの目が、僅かに鋭さを帯びた。先ほどまでの緩やかな視線とはうって変わって、真剣な眼差しだ。攻撃をするもののようだが、僕もスゥスも使い方はおろか、その構造すらもよく分からなかった。
しかしネユさんが武器についていたスイッチを押すと、一部が微かに開き、内部の機構が露わになった。そしてその表情が、一瞬だけ険しくなる。
「……これは、凄いですね」
低く呟かれた彼女の言葉に、俺の背筋が自然と伸びる。
「何かわかりましたか?」
ネユさんは視線を僕に戻し、慎重に続けた。
「小規模な魔法紋章が描かれています。魔力を溜めて、放出することができます」
「そ、それって……」
「ええ。私がベルアさんに施したものと同じです。しかもここまで小型化するとなると、私にもできませんね」
「ええっ!?」
ネユさんにも造れないような技術となると、この国でこれを造れる人はいないだろう。
「これ、単なる売人が持っていていいものではありませんよ」
その言葉に、胸の奥がざわついた。
ボウシがこの国に流入しようとしていた武器。
それが、僕たちが想像していた以上に厄介なものであることを、ネユさんの表情が物語っていた。




